集団遺伝学に基づいて改良された近年の鶏は、365卵鶏などと云って我々が個体でいじって居た頃と違って見違えるような斉一性がある。経済寿命は極端に短く、産卵開始後ほぼ一年である。これを過ぎると極端に卵殻が悪くなり、卵本来の防御機能がなくなって外界から微生物が入り易くなる。と同時に育成中に施されたワクチネーションの効果も薄らいで二重に危険な状態になる。従って廃鶏処分を急がねばならない訳だ。 茨城県ではこの状態になるまで多くの鶏をウインドウレス鶏舎内に留め置いた。安全宣言よりも何よりも急がれねばならなかったのは、実際の観察での強毒変異の恐れの有る無しである。観察期間に相当する2カ月なら2カ月を、むしろ変異の恐れを強調する形で2年に延長して業界に吹聴するなど、実際は変異以外の危険度が増すばかりの行為である。当初の開放型鶏舎からウインドウレス鶏舎へと感染が広がった際、即座の処分が実際上不可能なこともあって観察留保を決めたが、この時、変異への観察期限をはっきり決めるべきであった。そんなことは分からないと云えば安全宣言だって同じことである。 今、国も茨城県も関係する学者達も監視残存鶏の処分で大きな自己矛盾の壁にぶち当たっている。一部の学者は、現実的でない茨城株の強毒変異の懸念を、これまでの殺処分の正当性を主張するあまり躍起になって吹聴し、それに躍らされて来た国や県も、ことここに至っては、県外施設での処理を求めざるを得ないこととの間で板挟みになっているのである。それなのにそれを先導する学者は、保身のためとしか思えぬ相変わらずの危険だ危険だの一辺倒である。 県外で処理するとなれば、まず安全を確認して保証することである。実際は逆のことを云って居て、業者がいうことを聞かぬと逆ぎれするかたちで、茨城県は「安全宣言は出せぬ」という。おいおい安全でないものを県外で処理させようというのか。埼玉県はたった一件、茨城から搬入された中古鶏のお陰で、茨城、埼玉と並び称せられてえらい目にあったばかりだ。埼玉を通り抜けて東京都へ生鳥を運ぶなど以てのほかと云うだろう。こうしてみると全ての元凶は強毒変異への恐れを未だに吹聴する先導(扇動)学者だということが分かりそうなものだ。「茨城株は初発から7カ月を経て実際は安全でした。大変ご迷惑を掛けました。安全を確認したところで、今後はこの株に関しては陽性鶏だけの摘発はしません」と声明しさえすれば、あんな茨城株など誰も恐れはしないのだが、摘発されるのなら怖さは強毒株と同じである。持ち込み絶対お断りは当然である。 1000万羽以上の鶏を抱える茨城県での事態は当事者以外にも食の安全とは無関係に、飼料、卵、鶏肉、孵卵、育成、廃鶏、それに流通小売などの関連業界にも甚大な影響を与えた。人民の、人民による、人民の為の民主政治も、やはり神の元でとする共通の倫理観、価値観抜きでは単なる衆愚政治であることを鶏飼いの立場で痛感したが、あれだけ後出しジャンケンばかりで事を決められて見ると、法治国であっても、国との間に判っきりした契約が必要なことを痛感する。 H 18 2 4. I,SHINOHARA. No.18289 |