鳥インフルエンザ問題の今後(123_2)



少なくとも現在、人畜無害でたまたま発見されたに過ぎない茨城株を執拗に追いかけて鶏を殺し続ける蛮行愚行を一刻も早く止めるべきだと現場から訴えても、決定権を持つ学者たちは「それがお前達素人の浅はかさだ。いつも云う通り危険なのはどの亜型も同じである。パンデミックを考えるとき、本来は鶏に対する毒性の強弱は関係無いのだ」と煙に巻くに違いない。しかしものには順序というものがある。全く未知の危険を勝手に想定して、偶然見つかったものだけを相手取りこれを根絶やしにすることだけが対策の全てだとするような顕微鏡眼で事を決定され続けたら現場はたまったものではない。

先に取り上げた講演録のなかで大槻教授は何回もLPAIの国内事例は初めてだと説明している。しかし1996年の岩手、鹿児島での発症事例にともなって翌年行われた全国調査について家衛試では、その研究の成果を平成11年8月詳細に発表しているし、現に北海道管内の家保ではその結果をインターネットでも掲示していた。それは家衛試でも同様である。日本の学者ほどファイルすることを疎かにするものはいないと良く云われるが全くそのとおりというか、わざとそうしているとしか思えない。皆自分の研究のことばかりで一向に比較検討することもない。現場にとって彼らは全く《一事の師》以外の何物でも無い。

その顕微鏡眼の彼らに対策の全てを委ねコーディネートさせる危険性は最初から指摘し続けたのだが、そのことは返って僅かでも混乱を招くだけの結果となった。やはり日本人には学者先生は偉いもの、政府の云うことは黙って聞くものというのが古来培われて来た文化だったのだ。それを認めざるを得ないのはこの稿を終わらせようとする私達の最後っ屁である。

最後っ屁だから云うが、農水の事務局と小委員会との関係はひどすぎる。肝心なことはどちらも相手のせいにして責任をかわす。

今回の茨城の陽性監視鶏の自主処分にしても本来、小委員会が陽性鶏の殺処分を決めようとした時、それが予算的にどこまで可能かどうかは予め事務局側が小委員会に提示しておかなければならないものを、いざ補償するかしないかの段階になって、直接業者に「予算は無いよ」で済ましてしまう。まるで国家的詐欺行為だと前述した通りである。

ともあれ最後っ屁、最後っ屁と云いながら、このホームページも二年間続けて来てしまったが云っていること自体はまるで進歩がない。一昨年、週間某誌で2ページ余り、大川総裁にぶちまけたことと全く変わっていない。あきれたもんで反省しきりである。

H 18 1 18 . I,SHINOHARA.
No.17792