鳥インフルエンザ問題の今後(123)



茨城株は、その初発期と見られる昨年初春以来ほぼ一年間、小変異はしていても全く強毒化はしなかった。これは周知の事実である。強毒変異説の急先鋒である河岡教授の云い方を以てしてもその変異は2〜3カ月以内の筈であった。ペンシルバニアの場合もイタリアの場合もそうだった。にも拘らず彼らは目の前の事実を否定してまで強毒変異の惧れを強調し続けて居る。彼らにとってこの事実を認めることは茨城の処理方式が間違いだったと認めることになるからである。
一方の業界側もその茨城方式を是認、つまり抗体陽性を自ら危険視したままでワクチンを要求するのは筋の通らない話で、ワクチネーションとは抗体を作りウイルスなどによる発症を防ぐ行為にほかならないからである。

この国のプロパガンダはよく浸透して消費者のみならず業界までも御用学者のワクチン危険論に乗せられて来た。だから世界の実情にそってWHOやOIEなどが予防的ワクチンを是認するようになっても日本だけは世界の先頭に立ってそれに反対した。今、事実上茨城方式は行き詰まりを来たして居る。なにしろ国が御用学者を総動員してワクチン即ち抗体危険論を振り撒いて来たのだから消費者は無論のこと、今更廃鶏処理場だって陽性鶏を受け入れる筈はない。この方式を続ける限りは、きちんと金を出して国や県が処理する以外ないのである。廃鶏業者もそんな勝手な要求を受け入れるべきではないし、それにどういう訳か去年の暮れから関東は廃鶏が多いようだ。

問題は今後である。森屋農場の殺処分予定鶏を入れて330万羽を3月一杯で片付けても姑息な手段とはこの事で、何一つウイルス対策にはなっていない。繰り返すように、実際は実効もなく実行とても不可能な条件を養鶏場に押し付けて官、学の責任逃れを計るだけであろう。今回の森屋農場の事例でも新規の感染は、ウイルスが鶏舎内に居たものか、外から新しく入ったものか実際には分からないのに発表は外界と隔絶されたウインドレスだから中に残って居たものと断定している。まるで子供だましで無責任極まりない。

さて全国の養鶏家は茨城方式を全国的に拡げられたら大変と、強毒株の侵入以上に戦々恐々としている。何しろ決定権を持つ面々は自分たちの研究予算が付けば鶏などいないほうが都合が良いと感じられる連中ばかりのようだし、日本の鶏飼いにとって無毒の茨城株は強毒H5N1よりも恐ろしい。苛政は虎よりも猛なりというが、恐ろしいのは本当は茨城株ではなくて茨城方式である。 

繰り返すが、実際一年近く強毒変異しない、寧ろEDが無いだけ無毒化している茨城株そのものを怖がって居る鶏飼いはいない。処理場を初め関連業者が怖いのは茨城方式の拡大であり消費者の反応である。確かにこれまでは学、官呼応して闇ワク退治とばかりに陽性鶏摘発に躍起となった。その錦の御旗としたのがありもしなかった強毒変異への恐怖を煽ることだった。しかしそれが実際の危険なH5NIの防御に役立つとはもう誰も考えてはいない、いないのだが陽性となれば否応無しの茨城方式がそれ以上に怖いだけである。そして一方では武器も持たされず、実際の虎に立ち向かう恐怖も断ち切れてはいない。

流石にここまで来るとワクチンに遮られてのサイレントエピデミックの危険性を第一義にもってくるアジアの国は日本くらいだ。その日本だって御用学者に云わしめているだけで本音は別の所にあるのだから始末が悪い。業界も殺した鶏の数の割りには風評での消費者離れがないと喜んでいるが、人々の興味が鶏殺しよりホリエモンやヒューザーの小嶋社長のほうへ行ってしまって居るだけで見捨てられかけて居るのが本当のところかも知れない。

未知の亜型とその組み合わせまで含めて、全くの無毒から特定の強毒型まで環境中に無数に存在するであろう鳥インフルエンザウイルスが何十年に一度、人型に変異してパンデミックを起こした事実があっても、最近のH5N1の人感染の場合はサイトカインの猛烈な増加が返って全身の臓器を破壊し重篤な症状となる全く新しい病気とさえ見られているようで、SARSと同様、その感染初期にステロイドの大量投与が行われて来たようだ。いうまでもなく過剰な防御反応を減じる処置である。そしてそれが良かったか悪かったかも分からないで居る。

そんな変幻自在な相手だから現在全くの無毒である茨城株も見つかったからには無視出来ないであろうことは分かる。しかし何度も云うようにその現実は巷間無数に存在する全く無毒のストレーンの一つに過ぎない。その強毒変異は危惧にも至らない単なる懸念である。それを国は未だに《高病原性鳥インフルエンザウイルス》と称して撲滅しようと鶏を殺し続けて居る。しかも推測では一年以上、同定されてから7カ月も強毒変異していない相手に対して一切見直しをしないで鶏の虐殺を続け、真の強敵への備えを疎かにして自ら疲弊して行く、こんな馬鹿な国があるだろうか。相手はウイルスであり、人間は息もしている。いくら重装備で処理に当たろうと感染するものなら感染するのが当たり前である。その当たり前を当たり前とせず、鶏の場合は飼い手の瑕疵とされる。全く馬鹿なと吐き捨てたくもなるこの頃である。

H 18 1 18. I,SHINOHARA.
No.17784-17785