鶏飼い時事(じじい)…『生き証人は殺せ』



去る12月26日の対策本部の決定に基づき茨城県は監視鶏330万羽を抱える県内9施設の経営者に対して3月末までに自己負担で、全ての鶏を処分するよう要請したという(茨城新聞1/6より)。業者側の受け取り方は要請というより実質的に命令であり、 この事自体、殺処分に対する補償のがれの脱法的詐欺行為である。それにいくら柔順な茨城の養鶏場でも、まるで可能性のないことをOK出来るものではない。出来ないものは出来ませんと云うべきなのだ。まがりなりにも日本は民主国家の筈である。そう、筈ではあったのだが実はそうではなかった、というのが偽らざる心境であろう。専門委員会は密室の中、出てくる議事録は真っ黒、これでマスコミ諸氏は良く黙って居られる。それに肯んじないと次回の取材に差しつかえると云うなら何をか云わんやである(何度か云った気がするが)。

昨年6月以来、これまでの推移は今回の決定を含め繰り返すようにすべて後出しの国家的詐欺行為である。それ以前からもワクチンを備蓄はするが実際は使わせない、万一使ったとしても使った鶏は全て殺処分の対象。今度はモニター鶏だ。モニターに変化がなければ、その鶏群は無罪放免と思いきや、4週間を限度に以後可及的速やかに自己負担で処理しろという。これではワクチンでもなければモニターでもない。よくもこんな悪計を弄することが出来るものだ。そういう点では学者は天才的だと感心、いや寒心に堪えない。そして行政は、それに対しては必要な予算措置を予め講じて置くべきなのに、否それが条件であるにもかかわらず都合の悪いことは委員会が決めたこととして我関せずを決め込む。これだって国家的詐欺行為だ。

鶏卵肉情報誌新春特大号の大槻教授の講演録を読んでつくづく感じたのだが、彼らは経済音痴と云うだけでなく、現場で実際出来ることと出来ないことの区別がまるでつかないのだ。まるで何とかの一つ覚えのように茨城株の強毒変異の危険性だけを説く。そしてその為に必要な措置として鶏舎を空にすることだけを要求する。そんなもの幾ら一旦空にしたって環境中にあるものなら、また何時だって入ってくる。ウイルス学者のウイルス知らずとはこのことであろう。元がワクチンであろうとなかろうと周囲の人間にまで感染が拡がって居るとする現在をどう見るかが重要なのだ。ここでけじめを付けるとしたら逆に可能性はワクチン以外ないのではないかとまで云えば疑われることにもなろうか。

しかし実際は未だ現実でない茨城株の強毒変異だけを強調して、それが世界、なかでも発祥地とされる中米を差し置いて茨城発となりかねないとまで云うことは、監視鶏の現状から見て扇動以外のなにものでもない。現在茨城株のどこにそんな形跡があるのか。ウインドレスの鶏が居るのを忘れて、殺さなければ確実に変異したと断言した仲間の学者がいたが、彼らはそんなその場限りのうそっぱちを平気で云う。(過去のLPAI発生の事例に対する大槻教授もそうだ)そんなくらいだから、その鶏が本当に居なくなれば今度こそ大威張りでそう云うに違いない。強毒変異を断定した彼らにとって、監視鶏が無事なのは本当に都合が悪いのだ。だからこそ急いで殺したがる。そのことは正に都合の悪い生き証人を消す謀略に他ならないと我々には写ってしまう。本当はその予後を実際に確かめることは彼らにとっても我々にとっても重要なことなのだが彼らは自説を守ることに汲々としているらしい。老鶏の処分が出来ないのは困るが若メスまで殺すのだったら何故モニター鶏 が必要なのだ?これも本来あるべきかたちでのモニター鶏の採用を訴えた業界の要望をねじ曲げた詐欺的行為である。お前達が訴えたからそうしたんだぞとしてほくそ笑む、この手合いの何と多いことか。そして業界は決まってそんな筈ではなかったとホゾを噛む。この期に及んでもまだ国を信じようとしているのだ。国はわれわれを見捨てる気かと いうがとっくに見捨てられて居るとしか思えない。
京都での事例でもその時既に我々は埋めれば後で始末がつかなくなることを憂えて書き記したし進言もした。それを先導したのは学者達ではなかったのか。今彼らがそれを批判すること自体無責任だ。

しかし矢張り最大の責任は我々にある。前回も触れたように自ら助ける努力が足りなかったと思う。自ら助けることの第一歩は自ら考える事である。昨日も《とき》様に《笹山様のページ》で「自らの頭で考えることなく、いまだに意志決定を他人任せにしている」と叱責されたが誠に汗顔の至りである。

とまれ専門家の意見を聞くことは大切なことで傾聴すべき事柄は沢山ある。しかし本を読むのと同様、ただ無定見に拝聴するだけで矛盾や疑問をそのままにするのでは講演を聞く意味がない。しかし会場で食い下がれば進行を妨害したとして摘まみ出されかねないし、昔は後で控室に押しかけたが、今ではとんでもない迷惑行為となる。御時世もあり老いては子に従え、郷(業界)に入っては郷に従えが一番無難なことは分かって居る。自分の所の経営なんて何時畳んだってたかが知れている。分かってはいるが である。

H 18 1 15. I,SHINOHARA.
No.17725-17726