鳥インフルエンザ問題の今後(106)



鶏飼いにとって憂鬱な秋は深まるばかりである。
昨日は朝、公共放送ならぬ《国営放送》のNHKに、前夜の「クローズアップ現代」に対する抗議文を小分けにして送り、家保との情報交換、12時からはOOラジオの電話依頼。午後は午後でまた情報が持ち込まれてテンヤワンヤであった。それにしても養鶏場の瑕疵を見つけてはそれにすべての責任をなすり付けようとする行政当局始め感染経路究明チームのやりかたにも困ったものだ。自分たちも気が咎めるだろうに。これはもう責任逃れでしかない。《国営放送》も商店での養鶏場従業員の長靴履きをクローズアップするんだったら、付近一帯を飛び回って熟柿をついばんで回って居るムクドリ(こやつは前々からAI保毒で知られる)でも写したほうが余程現実味も風情もあろうというもの。尤もこいつらから瑕疵責任を問うことは出来ないからお得意の責任転嫁はできそうもない。

昨日は黄砂も届いた。その国ではもうお手上げの状態だ。そこでは確かに偽ワク問題も起きて居る。サイエンスとしてはムクドリや同じ仲間のスズメにまでハチクマ並に発信機を取り付けて調べないと証拠にはならないだろうが、その前に昔からの常識も常識として持ち合わせていないと、とんだ笑えぬ笑い話になる。とりあえずは「感染経路究明」などと勿体振らず、養鶏場の「瑕疵究明チーム」としたらどうか。

その一例に過ぎないが、茨城でわずか数週間で大半の鶏が陽転した愛鶏園の事例を、民間の獣医による条例もしくは指導違反行為がすべての混乱の原因であるかのような発表をして、今朝のProMEDでも日経新聞からの情報として「茨城におけるAIテストの半分以上は認可された役員以外の営利事業の従業員、または私的な獣医によってなされた」とするような、明らかに事実に反する悪意に満ちた情報がその日のうちに世界を駆け巡る時代に、笑い話ですまされぬ国辱ものの報道につながってしまう。

これと同じ事例が、森屋農場で起きたが、こちらでは同じ瑕疵が見つからなかった。ここで怖いのは究明チームがすぐさま愛鶏園での判断を誤りとすることなく、新たな瑕疵を懸命に見つけようとしかねないことで、そうならないのを祈る気持ちだ。何しろ人間のやること、瑕疵を見つけては原因と結び付けられてはたまったものではない。そして本来の原因からは遠ざかるばかりである。

さてこの二つの、実際に業界で最も信頼の置ける農場での事例で、逆に官側が検査抗原でも替えぬ限り、ウインドウレス、解放鶏舎を問わず、ほんのわずかのウイルス量で短期間に感染が成立することが分かったことになる。尤もこの例の解放鶏舎は換気に関してはウインドレスに準じたものになっているだろうから感染の形は大差はないだろう。ただ経験から云えば、これほど親和性の高い株だと、逆に発症するには大量のウイルスが必要な筈である。この辺りからも最初から云う通り、単なる陽転と実際の発症は分けて考えなくては、鶏は殺し切れなくなる。

むろん詳細は分からぬものの、アメリカチームのスペイン風邪ウイルスの復元でウイルス粒子の3種のポリメラーゼとその機能を抑制する表層構成蛋白の働きの説明などから、我が国の遺伝学研究所の研究成果などと相俟って、ウイルスと細胞表層のレセプターの相互作用以外の細胞内環境によっても感染が起こり得て、スペイン風邪とは実は鳥インフルエンザ其のままの形だったと報じ、H5N1は8本の分節のうち3本までがこれと合致していると(外電そのままで私の読みちがいは大有りだが)いうようなことで将来起こり得るパンデミックもさることながら現在のH5N1そのものも、やはり別格として備えねばならぬ状況を日々外電から読み取っていたところである。

そんなわけで私の大きな読みちがいでなければ、差し当たってこの冬に向かって、最も警戒すべきはH5N1そのものである。それがまさに渡って来ようとして居るときに、我が国だけ、もはや世界で相手にしていないLPAIで大騒ぎをしているなど平和ボケがひどすぎないか。当局の云い方をなぞれば、H5N2で死んだ人はいない、河岡教授のペンシルバニアの事例も過去の話である。一方のH5N1HPAIは目下世界中の脅威でついにはアメリカの大統領まで引っ張り出した。パンデミックにならなくたって、現在、単純に鶏の病気としても怖いのはH5N1に決まって居る。その怖いH5N1を防ぐのに、今やって居るH5N2陽性鶏の虐殺が貢献しているかと云えば寧ろ逆である。目下のところ急激な発症を防ぐことが急務であり、サイレントエピデミックの問題はいまや二次的な懸念でしかない。こんな単純なことが分かって居ない国でありマスコミであり国民なのだ。

世界中が目下そのH5N1に焦点を合わせ臨戦態勢をとろうとしている時、無毒のLPAIがいつの日か強毒に変異することばかりを説いて偽ワクと養鶏場の瑕疵探しにうつつを抜かすこの国の指導者と、その言い分を無定見に垂れ流す《国営放送》。何度でも云うが困ったものである。

H 17 11 10. I,SHINOHARA,
No.16615 No.16616