鶏飼い時事(じじい)…『民間獣医の協力は不可欠』



また情けない、現場からすると泣きたくなるような報道である。李下に冠を正さずと云うとおり、やはり疑いを持たれぬ為には公的な検査には自場の獣医が手を出すべきではない。しかし一部報道に見るように、予め陽性になる検体を隠して陰性のものだけを提出するというような確信犯的行動は技術的にとれる筈がない。いや闇ワクチンならそれが可能ではないかとするところがやりきれないのである。ここまで来ると、何が何でも闇ワクチンのせいにしようとする農水省の陰謀臭くなる。困ったことにこの報道で民間の獣医は尻込みしてしまった。これでは今後必要な協力も得られないことになる。これからの実際のAI対応は事実上家保の獣医さんだけということだ。人数も足りなければ現場の経験もない人達ばかりで、それでどうしようというのだろう。こうしてみると闇ワクチンでっちあげの弊害は計り知れない。

それにしても「陽性鶏を放置すればウイルスが変異して強毒化する」「ワクチンは危険だ」という清浄国論に都合の良い、片寄った情報だけを教え込まれて居る日本人も、われわれの鶏もこれからどうなっていくのか。今朝の日経新聞コラム《春秋》に「メディアが最も排すべきは粗雑な思い込みではないか」と書かれて居る。しかしもっと怖いのは国による思い込ませを頭から信じてしまうことだ。

国の標榜する《清浄国論》のもとでは鶏の摘発淘汰以外の選択肢はもともと無い。しかしそれ故にこそ喜田さんも云われる通り、発症を伴う3点セットが必要である。それを抗体の保有だけ、しかも標準以外の特異な抗原と合致させて殺してしまうなど、これは国による暴挙である。そして民間の獣医による本来必要な協力までも不法行為にしてしまう。行政と民間のこの信頼性のなさ、そしてそれをあおるようなマスコミの報道、これでこれからうまくいくのだろうか。

ところで一旦ウイルスが侵入して拡がりをみせ、殺し切れなくなってコントロールせざるを得ない状況になれば、どうしてもワクチンが必要になってくる。本来、国と産業側の意見が別れるのはそこからであり、そのイニシアチブは予算を握る国側が100%とることになる。即ち予算が許せば殺し、足りなければワクチンで自衛させる、その決定権は国にある。その原則を乱して居るのが《清浄国論》であるがAIが人畜共通の感染症であるとの認識は、そのことを更にややこしくし産業側をひるませた。しかし少なくともこの問題では先進国のアメリカ各州などは経済問題として割り切って居り、処分かワクチンかは州の予算次第であるといわれる(Halvorson2002)。更に最近我が国で盛んになったトレサビリティは取引自体を固定化してしまい疾病が発生した場合の代替を困難にしてしまっている。

このように家禽産業としてもその疾病対策がますます重要になって来る時、最も身近かなアドバイザーである民間のラボや獣医師が、うっかり農家の相談にも乗れない状況を作ってしまったことは今後取り返しのつかない、返す返すも残念なことである。どうしてこんなにまずく行くのだろう。これではもう目茶苦茶である。
A鶏園様、少し報道に反論してください。主張せざるは負けになります。

H 17 11 5. I,SHINOHARA.