鶏飼い時事(じじい)…『11/3毎日新聞《記者の目》を読んで』



今年9月20日、毎日新聞のコラムに小島正美記者の、家禽に対する鳥インフルエンザワクチン肯定論ともとれる記事が出て、日頃農水省の掲げる《清浄国論》の前に議論さえさせて貰えぬもどかしさに加え、迫り来る実際の危険に対する防御方法を全く持たぬ養鶏業界は、大新聞といえども政府の方針やプロパガンダには全く逆らえぬ実情を聞き知っていているだけに驚嘆したのであった。
果たしてその後、「あの記事、まだ早いよ、もっと農水の意向を確かめなければ」というような仲間の記者の話。そして社説での大袈裟な打ち消し、更には、10月16日望月記者による反論と一連の流れは、我々の予測した通りであった。

ただその中で6時間に及ぶ力説を、たった2行の「AIワクチン危険論」に収斂された加藤獣医師の毎日新聞に対する抗議(鶏卵肉情報誌10/25)投書など望月記者の反論の論拠にも大分問題有りの観は否めなかった。
そして今日11月3日の小島記者による再反論。今後のこの問題の展開を予想するとき、せめてこの位の風穴を開けて置かないと新聞自体が困ることに成りかねない。と云うのはこの問題、国の立場と業界の利害との対立というより、このままではこれから必要になってくる国民のワクチンへの理解に蓋をしたまま最大の難敵を迎え撃つことになるからに外ならないからである。
パンデミックが起こったとき、それを防御する唯一最大の武器はワクチンであることは論を待たない。その研究を進め国民の理解を深めて置くために、まず前段階の家禽でのワクチン情報をすべて開示しておくことが大切なのである。

それなのに国はこれまで「ワクチンは害ばかりだ」とする宣伝をことさら行って来た。鳥インフルエンザと人のそれさえ区別のつかぬ大衆が、果たして鶏と人のワクチンの区別がつくだろうか。鶏に害のあるものなら人にも害があると取るのが普通だろう。逆に人に有効なら鶏にも有効と感じる。実はもうそのことで日本政府は困っているのだ。

この期に及んでも日本では《清浄国論》の手前、鳥インフルエンザワクチンはタブーである。したがってアメリカのように人ワクチンの必要性を声高に叫べないのだ。その前にとりあえずの鶏問題が横たわって居て、もはや鶏にワクチンを施すことが人の安全の為にも必要だと世界的に叫ばれていてもワクチンの害毒を宣伝しすぎた手前、自縄自縛で動けないのである。人でのワクチン必要論を高めれば、せっかくcalm downに成功した鶏飼い達が、鶏だって同じではないかと騒ぎだすに違いないしマスコミだって理の当然として同調しかねない。依って黙して語らないのである。

いま政府は茨城の鶏大量虐殺の正当性を主張するのに躍起である。さして根拠のない闇ワクチンとやらに拘るのもそのためである。落ち度を見つけて全責任を押し付けようとする狡いやりかたである。それ故ことさら強毒への変異を強調して国民の理解を得ようとする。実ははるかに危険度の高い要素が幾らでも存在していることを伏せて居るのは、諸外国の論調と比較すれば一目瞭然である。何も言えないのはその弱みがあるからである。
ならばその大量虐殺の当否も含めて、この辺りで広く会議をおこすべきであろう。

ひるがえって我々現場は渡り鳥シーズンも真っ只中、最高の臨戦態勢である。各自せめて自場への侵入を各自があらゆる手段で防がなくてはならない。ワクチンが無くても、野鳥の異常など周囲の環境調査から飼育鶏の監視、更に有効と思われるあらゆる防御手段を講じて行かねばならない。また案外その中に発見が有るかもしれない。

H 17 11 3. I,SHINOHARA.