今朝の新聞各紙もトリインフルエンザに関する報道で賑わっている。その中には社会不安につながる風評が立たぬよう沈静これ務めている専門家の記事も多い。 しかしその鎮圧第一線の養鶏場の立場からは、周辺国の状況からウイルス侵入の危機がせまっているのに、大丈夫、大丈夫だけでは済まされないのだ。 私事で済まぬが、30年近く前、週刊誌に、出水の鶴がインフルエンザにやられたらというような記事が出た。じゃあ、鶴が絶滅しないうちに見に行こうと、たまたま出水に養鶏組合が出来て、日配の協力で餌工場を作りGPセンターではスタルカット2台で日50トンの卵を処理しているという、その話を聞きながらと餌会社の紹介で、湯の子、湯の鶴温泉を横目に日帰りで「はやぶさ」に乗っていったのを覚えている。 そこでじれったいのは、今に至るまで、国内の学者、研究者の手で、養鶏現場で役に立つ研究結果が一向にもたらされないということだ。それぞれの研究者の永年のその道の研究は立派かも知れない。しかし実際の養鶏場で役に立つ研究でなければ我々には意味がない。 あらゆる感染症の防御の決め手はワクチンであることは論を待たない。交差免疫など、すでに野外で利用し効果を上げている、つまり常識化していることまで未だに否定し続けているのは日本だけだというのは、学会の人たちでさえ認めている。 頂点に立つ学者が認めなければ誰も物が言えなくなる、その弊害はエイズの裁判でも明らかだし「白い巨塔」もそのことを取り上げて世に訴えている。学者がそうなら農水省や厚生労働省はどうなのだ。研究費を出している手前それを支持せさるを得ないというのは本当なのか、はっきりして貰いたい。 万一このまま手をこまぬいていて、わが家の鶏を埋ける段になったら、その辺をはっきりさせるつもりだから覚悟をして貰いたい。人の命が大切なら、動物の命も同じだ。鶏を救うと人類が危うくなるという二者択一の切羽詰まった場合は、泣いてバショクを切らねばなるまいが、むしろ鶏の発症を防ぐことが人間への感染を防ぐことに有効なのは諸外国の事例をみても明らかだ。 日本の当局は、この期に及んでまで予防法17条一辺倒だが、その基になっている30年近くも準備する時間がありながら、自前で開発することはおろか、既に外国で有効だとしているワクチンと、それに係わる技術まで否定し、自説を押し通す学者なら、それこそ切って捨てるべきだ。 何故その論争がないのか、何故全国の養鶏家は最近までワクチンに反対していたのか。またワクチンが必要と感じたら、なぜ自分の鶏を守るために声をあげないのか。 H 16 2 3 I,S |