鶏飼い時事(じじい)…『ワクチン貶(けな)しの影響を恐れる』



私達はいわゆる百姓ですから、自分達の勘を大事にします。農作業にとって最新のバイオ技術を勉強してどんどん取り入れて行くことも大切ですが、土地の古老からの伝承の類いも馬鹿に出来ません。

分かりやすく云って、A農産事件のあった冬は各地でIBとかSHSとか鶏の変な呼吸器症状が散見されたほか、豚もPRRSワクチン騒ぎがあったり、子豚が育たなくなったり、漂鳥か留鳥かStarlingがめっきり居なくなったり、猫がみんなおかしくなったり、ガセネタと云えばガセネタだけれどもおかしいと云えばおかしい、現にあちこちの養鶏場の鶏が居なくなったり随分緊張したあげくがA農産事件などで、その前に問屋という問屋から消毒薬が姿を消して仕舞い、代わりにお勝手洗剤を使えと云ったくらいでした。それから2年足らずでもうそんなことは何処にも書いてなく、わが家の日記くらいです。

椋鳥の食い残してや木守り柿、あれほど多かったStarlingは相変わらず居ません。冬に向けて増えるかどうか、何処でもそういえばそうだと云う話です。豚の育ちも相変わらずです。鶏のED話はLPAI騒ぎで無くなって仕舞いました。ガセネタが引っ込んで仕舞うと怖いのです。尤もニセワク論争は真っ平ですが。でも豚の調子がおかしいときは出入りの薬やも風邪を引くとか、人間のインフルエンザが流行るときは、鶏もおかしくなるなんて話は何時でもあるんですよ。あくまで現場の茶飲み話ですがね。
人にもよりけりだけど、そんな勘の話を研究室に持ち込んで、一笑に付されても、やっぱりそうだったじゃないか、ということはよくありましたよ。

大正13年か14年頃の鶏ペストの話も手記が残っていたんですが、火事でなくなってしまいました。うちの親父の任官が明治43年で当時の農商務省勤務で産業技師として関西に居ました。関東は震災後で鶏の病気どころではなかったでしょうが、種畜牧場が出来たのは昭和3年と聞いて居ますから、鶏の大御所、高橋広治先生は何処におられたやら、でもペストのことは随所に出ていました。

なんでも前年までアメリカの一部で流行したものが鶏にくっついて入って来たそうで、公式には千葉、東京、埼玉、奈良での発生、いまでいうH7N7らしいですが100%の斃死でそれ以上拡がらなかったというより鶏の密度が低かったんでしょう。今だったら大違いの筈です。
日本に限らず、戦前のケースでは強毒型がヨーロッパなどで時々出現しても長続きしなかったのは、まとまった鶏やターキーが居なかったからで、1981年の国際シンポジュームの頃でも、一部を除きあまり変わっては居ない筈です。

H5N1も1950年代すでにイギリス中心に出て居るようですし、様相が変わり、対策も撲滅からコントロールに、世界三機関が先に立って提唱するようになったのは未だ今年になってからですから情報が錯綜するのも無理のない話です。

ただ懸念するのはAIに限らず、今後、公衆衛生面でも家禽家畜の健康にとっても最大の拠り所であるワクチンを、行政当局はおろか市井の獣医さんまでもが、国民消費者が誤解するほど貶してしまって、あとがうまく行くだろうかということです。

国民の誤解ほど恐ろしいものはなく、いざと云うときにままにならないものは有りません。中国の反日教育が良い例です。都合よく野放しにして置くと取り返しのつかぬ事になりかねません。強毒ウイルスの南下はそこまで来て居ます。

H 17 9 19 . I,SHINOHARA.