鶏飼い時事(じじい)…『獣医は頭悪い?』



うちの親父は明治43年卒業の獣医である。戦前の話で畜産の三虎、和牛の大家と称されていたこともある。頭が悪く<阿呆の鶏飼い>を志した私はそのツテで、10年間は修行しろと孵卵場を手伝いながら、あちこちに潜り込んでは、育種、病気、飼料、管理と勉強させて貰った。その後自立して現在は二人の息子、娘婿、総勢14名でわずかな鶏をこねくり回して居る。昔から無借金経営で制度資金も一度も利用したことがない。一応中核農家ということになっている。

さて本題。仕事柄獣医の知り合いは多く、石を投げれば獣医に当たるくらいだが、どういうものか医者の友達も多い。医者と獣医はおおむね仲が悪いことになっている。大体昔は言葉も違った。医者は「はいけつしょう」といい、獣医は「ばいけつしょう」と云った。理由は分からない。新制になってからも獣医は4年、医者は6年、インターンもあり、どうしても見下す傾向は否めない。決定的に違うのは、医者は病気を治そうとするが、養鶏の獣医は鶏の病気を絶対に治さないことである。いや治そうにも、その手段がない。出来るのはワクチンを使った予防だけである。病性鑑定の結果は大体殺すことになり、診ても診なくても、その群については同じである。その予防についても研究室内の状態と実際のフィールドでは大違いだから、習ったことは現場の役には立たないことのほうが多い。いや、ほとんどが役には立たない。これは私が一番よく体験した。

その実験室の獣医さん達が養鶏場の現場をテーマにした映画を作ろうと云うのである。現場を一番分からない人達が、その現場の意向を全く無視して映画を作るわけである。ところが、その人達はもともと、時代考証とか方言指導の専門家であって映画自体はまるで素人、一番肝心な製作費がいくらかかるか、その金が何処からのものかも頓着しない人達なのである。その映画には、もともと戦時中の戦意高揚目的に匹敵する《清浄国論》の強力なプロパガンダが込められて居る。採算なんかとれなくても国民さえ納得させれば、それでいいのである。殺せ殺せで良いわけである。

監督としての小委員会の人達は、それぞれの専門である「方言指導」については専門だからそのことだけにこだわる。プロヂューサーの国は本当の中身よりは「戦意高揚」で国民をうまくだまして、命の危険と引き換えに最終的には税金という製作費を出させればいい、まあ、そんな構図を思わせるやりかたである。

此の際は戦意高揚式のプロパガンダ映画製作でせめてもの自分達の本意を盛り込めるかどうか 、撮影現場の本当の姿が見えるかどうかが、小委員会の人達に対する現場と国民の評価するところであり、もともとの人格、社会的地位がどうのこうのというのは関係のない話だろうと思う。
そしてその映画の試写会をみた同じ「方言指導」の人達が、その専門分野だけで映画表現全体の現実離れとプロパガンダが見抜けないとすれば《頭わるいかなあ》ということにもなると思うのである。


H 17 9 14. I,SHINOHARA.