『鳥インフルエンザ問題の今後(87)』



わが家は常に消費者との接点に在る。スーパー、コンビニなどと違い、全て固定客であり友達客である。
医者の友達が多いのも昔は近所の医者は皆鶏を飼って居たからだ。具合が悪くなると呼びに来る。駄目なものは開いて肉にしながら、ついでに人間と比較して説明する。このメッケルが人間のヘソの跡だ、ラッパ管は人間とこう違うとか情報交換してきた。最後の肉をうまく作らないと画竜点睛を欠くのは百姓たる所以である。必死に家衛試に通ったのもそんな理由からもある。あらゆることに相手が先生でも、こと鶏に関してはこっちが先生だ。「オヤジは医者の友達が多くっていいね」と従業員達が云うが、そのくせ自分が見て貰ったことは余りない。「お前から血を採るときは緊張するよ」すぐヘタだなあと云われるからである。そんなことで不特定多数を相手にする商法は余り参考にならない。トレサビリティもヘッタクレもない。情報はすべて筒抜けである。
こんな我が家でも鳥インフルエンザに関してだけはうまく説明出来ない。「何時廃めるんだい?」それすら分からない。狼が来たの譬え話のようになった。お客のレベルはものすごく高く、こっちは鶏だけの文字通り<一事の師>だからごまかしが効かない。すぐ「そりゃあ無いだろ?」とくる。日本一難しいと笑う。

「モニター鶏を予め置いても、LPAIのサーベイランスがうまく行った国なんて世界中に無いんです」
説明に窮しての彼らへの返事を、そのままホームページにアップさせる、そんな流れである。地方のカラスと動衛研のカラスの差も彼らの指摘である。トリフルウイルスは何故県境が分かるのか、何故数週間で判定が100%変わってしまうのか、何故ウイルスはグアテマラだとすることに拘るのか(Recombinomics論評を指さして)、なぜ最大の疑問国を除外しておいて選択肢無し、とするのか。環境汚染に直結する野鳥、野鼠などの検査をしないで渡り鳥だけにこだわるのか(これは去年お笑い専門家に研究費が付かないからと揶揄された)。

これが我が家のお客さんやお勝手談義では、さもありなんという大人の判断?に落ち着くが一般の消費者の反応では、行政のプロパガンダが基礎になり、ゆるぎないからすべての批判は当然生産者に向けられる。ワクチン問題ひとつをとっても、わが家の友達客の反応とプロパガンダの上に乗った一般の人達の反応は大違いで、いくら消費者団体の代表が本当のことを私達は知りたいんだと云って居てもプロパガンダの洗脳状態が解けないうちは、それに沿った話しか入って行かない。しかもその先棒を、専門家として権威者として、さらには絶大な権力者にもなった学者達が担いでいるとなれば、生産者側から理解を求めるのは至難の技である。

ひるがえって今回の茨城の事例は我々にとっても不可解である。先の小委員会では、自然の形の感染としては不可解であるとして人為的なワクチンであると大胆に踏み込んだ。踏み込んだはいいが、そこは底無し沼かも知れぬ。
それに不自然だとしてのワクチン説は尚更説明がつかなくなる。全く経営の違う、一つ一つが我が国を代表するような養鶏場の、しかも管理の行き届いたウインドレス鶏舎で軒並みの感染の事実を、限りなく断定に近い形でワクチンのせいにした農水省とその小委員会が踏み込んだ先を、否定的な見解も含めて、世界中が続報をかたずを呑んで見守って居る。われわれも無論だ。

H 17 9 6. I,SHINOHARA