『鳥インフルエンザ問題の今後(78)』



今日も電話取材を一件受けた。茨城の抗体陽性続発分七カ所と抗体調査中の七件についてのの明日の小委員会の判断を予測出来るかと云うのである。そんなこと分かりっこないし、関係者の心痛を思うと、もうそんな気にもなれない。「《飯綱(いづな)の術》だから」と逃げたら無論伝わらなかった。

講談本にその《飯綱の術》というのが出て来る。本物の身体は別の所に隠して置いてニセ物の体を晒して、それを棒切れや掛け矢で打たせたりして大道で金を稼ぐのである。何にしろ本当の身体は脇の脱いだ着物の中などに隠してあるので打たれても痛くも痒くもなくヘッチャラである。

飯綱忍者は長野県の戸隠しの近くの飯綱(いいづな)の里の出だと云うが、そこにはその伝説の記述はない。

小委員会の面々はこの術使いの達人である。本心は別の所に隠したまま議論する形を取るだけだ。その内容は外部からは計り知れない。議事録を請求すれば真っ黒に塗りつぶして出て来る。そうなると議事録ではなくて疑似録である。

本心からではない議論に身が入る訳は無く、《飯綱の術》そのものである。前例に添うだけで精一杯だろう。ウインドレスは殺処分は適用せず、開放型は殺。まさか多少の抗議くらいで、朝令暮改と云う訳にも行くまいし、本物でないから打たれたって痛くも痒くもなく、第一血が通って居ない。とすれば結果は推して知るべきであろう。身も入らず心ここにあらず血も通わぬこの忍者委員会、忍者ウイルスの前に全くどうにかならぬか。


H17 9 1  I, SHINOHARA