『鳥インフルエンザ問題の今後(76)』



鳥インフルエンザ問題に対する農水省や地方官庁などの対応は総て《清浄国論》に基づくものだから、理不尽な!としつつも、その国という大船に乗ってゆられている以上、どうしようもない諦めの部分もある。しかし業界団体など仲間組織の動向には、場合によっては芯から意気消沈させられる。

「全数殺処分堅持」を農水省消費安全局に要請した日本鶏卵生産者協会と日本養鶏協会の真意の程が計り兼ねる。確かに、大手業者のウインドレス鶏舎だけをさしたる根拠も無しに優遇して殺処分を除外した農水省の方針転換に対して、全国の養鶏家からの抗議が殺到している話は同業者として痛いほど良く分かる。しかし反面、そう定めた規則があるからと云って本来は理不尽な、発症もしていないLPAI陽性鶏の殺処分を例え姑息な理由にしろ国が中止したということは、まさか大岡さばきとまでは云えまいが、一つの大英断と評価出来そうな部分もある。だから、業界団体としてはこれを前向きに追求することで、せめてその差別の陳腐な理由を撤回させて、解放鶏舎に対しても同じような措置を認めさせる為に業界全体の力を結集させる努力をすべきではないかとも考えた。

今回の業界団体の要請は、規則によるとは云え国のより本質的な理不尽を推進させる方向であることは間違いない。尤もこのほうが分からず屋の国に対しては効果的であるとの高度な判断があれば別である。

ただ、この要請を文字通りに捉えたならば、あくまで我、人共に同じならば船が沈んでも止むなしとする、集団自殺的指向の現れと取れぬでもない。一方業界としてはAI陽性鶏の出現を真摯に受け止めて、日頃指導されているHPAIへの変異のみを、危機感を持って捉えて居るとすれば今回の要請もやむを得ないのかも知れない。

大経営との差別的扱いに対しては無論私だって個人の感情として、量にものを云わせて押しまくり、特に説明の付かぬ中古鶏とやらを搬入して迷惑を振り撒いたIさんに恨みの気持ちが無い訳ではない。しかし養鶏全体の生き残りを考える時、村八分の私が云うのもおかしなものだが、業界団体とすれば、より建設的な方向への大同団結を図るべきではないだろうかとも思う。ただ難しいのはその建設的方向が分からないことである。未だに《清浄国論》を振り回し、世界中が過去の過ちとして反省をしている鶏の虐殺をこれからも続けようとする 国の方針は間違って居ると個人的には思う。しかし畜産の中で養鶏だけは自前で発展して来たと称する業界も、その実、国の施策におんぶに抱っこで来たことは同様で、今、国に楯突けばやって行けないことも確かだろう。そう考えると無駄な抵抗はやめて運を天に任せるより仕方ないのかなあ。

H 17 8 30. I,SHINOHARA