『鳥インフルエンザ問題の今後(75)』



ブラックジョークを二つ

研究者の人達、多少は自説を曲げても国の施策に添った研究をしなければ国からの研究費が貰えない。殺処分を決める小委員会で、そんな委員が顔を見合わせて云った。
「お主も 悪(わる)よのう」
茨城県は県の借金が1兆6千万とか、これからはハイテク産業の振興を図ると知事選挙の候補者、マイクをにぎって上意を告げる。     
「茨城は おとり(鳥)つぶしに相成る」

鶏共の蟄居閉門、お取り潰しが全国に拡がらぬよう 西山荘 (水戸黄門)


年寄りの繰り言とは良く云ったものだ。2年間、同じようなことを書いて来たが、一向に進歩も無いがそれ程くるっても居ない。何一つ改善もして居ない。要するに最初に廃業を覚悟した時からの危機感も増すばかりである。

さっきのNHKニュースでI堤向農場の殺処分が終わり、白装束の人達が鶏舎から続々出て来るところを写した。一時間交替での精神的にも重労働だったとか。これであと3週間で再開が可能という。見て居た連中が思わず顔を見合わせた。その顔、顔にいろいろな思いが走ったのが見て取れる、チェッと云う舌打ちまで聞こえた。大経営に対する反感なのか、自分がやられた時、そんなに簡単に再開できるかいという 疑問なのか。

経営再開が条件の互助基金の加入羽数は85%に達したというが、農家の加入割合は50%程度だと云う。これで見ると、うちのような小経営のほとんどが入らないらしい。陽性で摘発されたら 再開など不可能と考えて居るからに違いない。養鶏団体の要請で補助金が沢山ついた制度だから、どうせやられるものなら入って損は無い。それでもワクチン認可要請のほうに奔走していた息子達は、その制度がワクチン要求を引っ込める形で創られたと思って居るらしく、勧められても加入しようとしない。

繰り返して来たが、われわれのようなニューカッスル時代の生き残りはワクチン無しでは、鶏の感染症のコントロールは不可能と感じて居る。いろいろなワクチンの組み合わせを考えることによって互いに協力したり逆に邪魔したりするのだ。最近は細胞免疫、粘膜免疫の重要性が認識されて来たから生ワクチンが使われることが多い。

ここで殊更ワクチンに感情的とも云える反対をされる消費者の誤解を解いて置きたい。
ワクチンを抗菌剤などと勘違いして反対される場合さえあるのに仰天するが、生ワクチンの中にはウイルスに対するものだけでなく、細菌に対するものも沢山ある。だから抗菌剤が一切使えないだけでなく、場合によっては消毒さえ手加減する必要があるのだが、相手を薬で殺すのではなく、洗い流して清潔を保とうとする姿勢をとるように概念を変える訳である。

環境中には無数の微生物が存在する。人間や家畜にとって有益なものも多いが中には有害なものも居る。それらに注意深く接触させて抵抗力を付けることを馴致(フィードバック)といい人間の場合は脱感作という云い方をする。しかし中には強力な奴も居て馴致不可能な場合も多い。これに対しては同じ仲間の無害なものを積極的に差し向けて入れ替えを図る、それが生ワクチンである。

特定の有害な微生物が存在することを汚染と云い、これを無害なワクチン株に置き換えても同じ仲間であるが故に汚染と見なされたままだが、この状態では家畜に害を及ぼすことはなく、有害な仲間の侵入を防いでくれる。この状態をクールハウスと云って、現場では寧ろ安心な状態なのだが学者達は環境が清浄とは見てくれない。鶏に対しても同じ見方をする。つまり一番安心な状態なのだが定義すれば汚染は汚染だから今度の場合なんかは淘汰されてしまい、不安心な清浄なものだけ残される。これはしかし現場にとっては不安で夜も寝られない状態だ。本当に周囲が清浄なら良いが、《清浄国論》のように架空のものでは困る。だから現場はワクチンを要求する訳である。まあ一つ一つを上げれば難しい問題もあるのだが大筋はそういうことである。

こういうワクチンが発達し、それらをうまく組み合わせて使うことで実際は食品としての卵や肉の生産場所から抗生物質や抗菌剤を追放出来たのであって、薬事法と云う法律で罰せられるからそうなったのではない。そんなことは国も学者達も分かりきって居ることなのに、ただ《清浄国論》の建前を守る為、消費者の誤解を都合よく利用して、ワクチンを使うと消費者の理解を得られなくなるなどとぬけぬけと言い続けるのである。実際は現代の文明社会ではワクチンがなければ人間も生きて行けない。その点、鶏は今みたいに殺せば済むのだが、競馬馬はそうは行かぬから認可なしでインフルエンザワクチンを打っただけである。事程左様に国と人間様のご都合で世の中は回って居るのだ。

ワクチンを使うと抗体が出来、その抗体が特定の相手を排除する。これが基本だが現場は実験室と違って、いろいろな相手が乱入して来るので、特定のものに対抗するだけでは鶏の健康が維持できない。そこで免疫がいろいろ交差するように工夫をするが、これらは複雑で実験室の手には負えない。そこで現場では競合排除など実際の試みをワクチンメーカーに聞きながら勉強を続ける訳である。そう、訳ではあったが今度ばかりは、抗体を持たせると鶏がお上の手で殺されてしまう。本当は消費者の方達の啓蒙どころか、こっちが面食らって途方に暮れている状態だ。

H 17 8 30. I, SHINOHARA