『鳥インフルエンザ問題の今後(74)』



政府などの公式発表、公式見解なるものはほとんどが架空の数字にもとずくものだから特に現場で信用するものなど居る訳がない。国の郵貯の残高みたいなものである。

鶏に感染させることの出来るウイルス量の10の4あるいは5乗という数字だってウイルスそれぞれが違う訳だから、実際にはそんなふうに決められっこないが一応決めて置かないと後の役所の仕事が出来ない。感染元は渡り鳥だとしてそれに対策予算を付け、実際はもっと複雑な要因があるにも拘わらず、決められた範囲の条件や数字で事はきまり規則化されるから、あとはそれがどんなに実態に合わなくてもそれによって対策も決まるのである。ウインドレス鶏舎の優位性もそんな中での産物である。我々現場はそれを踏まえた上で、しかし実際はこうだと回りくどく説明しなければならなくなる。

国の方針は一度決めたらもうテコでも動かない。だから現場は四苦八苦しながら自己防衛しなくてはならないが、法に触れたらおしまいである。一切の抗体が無ければ、どんな病気も防ぐことは出来ないのは自明の理だが、一般に考えられて居るようにただ健康に鶏を飼うだけでは何もならない。日本人にとってのバリ島である。馴致、脱感作が決め手になる訳だ。それをどうやって自然環境から取り入れて行くかが現場の技術と云える。それを確かなものにするために安全な生ワクチンの力も借りることになる、ところがそれによってもたらされる細胞免疫の類いは免疫応答が悪く、いわゆる抗体価が上がらない。公の抗体調査は抗体価の数字で示されるから、実際に病気にやられた経験がないと信用し難いのである。しかし実際攻撃してみるとその効果は死毒ワクチンの比ではないことが多い。一番違うのは免疫が交差する能力があることで、T細胞などによる広い意味の交差免疫に我々は期待して現場での勉強を、許されるIBなどを使って繰り返して来た。ところが、そこでの効果を日本の学者は認めようとしなかった。やむなくわれわれはその回答を海外の学者や文献に求めて来た。その面で日本は20年遅れて居ると毒づいたりしながら。

IBはコロナウイルスのSARSの仲間でありAIはNDの兄弟である。われわれの現場はその二つについては実際面では世界一の対策をもっていると自負している。50年もの蓄積である。それをなんとかAIに生かせぬものかとしてきたのがこの2年間である。

庭先の放し飼いの鶏がワクチンもしないのにND抗体をわずかながら持って居る、それの多くが非特異的な免疫抗体で,それがあるから或る程度の抵抗力がある。しかし仮にNDの強力なのが来たらその程度ではあっさりやられてしまう。それでもその程度でもウインドレスの鶏とは大違いだ。しかしそれがAIの抗体調査でNDの場合と同じように疑陽性と出て簡単に淘汰されてしまったら困る。何度も云うように昔一度それでやられているだけに可能性を否定出来ないのである。現場の繰り言をひとつ。

H 17 8 29 . I, SHINOHARA