『鳥インフルエンザ問題の今後(63)』



夕方まで鳩首協議をやらずとも、ものの5分で片が付くような結論だった。それしかないだろうと思って居た。これで大規模で設備が整ったウインドウレス鶏舎の場合は事実上、ヤミワク使用も可能になった。良いとか悪いとか云って居る訳ではなく、ただ可能になったというだけである。
次に予想されるのは文句をいう弱小養鶏場の淘汰である。何のことは無い、全部にハセップ適用を義務づけて、ウインドウレス鶏舎以外の養鶏は認めないとするだけである。

こうなった時、薬などに頼らない健康的な鶏の飼育による健全な卵が消費者に受け入れられて来たなどという幻想は、あっと言う間に雲散霧消する。早い話、加工用やコテコテに煮てしまう卵など輸入でも冷凍でも何でもいいわけだから。そして卵とはそういうものだとなった時、日本の卵の誇りも失われて、すべてがアメリカ型になり、その消費量も世界の標準的水準に落ち着く。
これは実は私が常々抱いて来た養鶏の未来図である。20年前、少し贅沢な卵を作ったとき、本来、畜産とは直接人間が食えない資源を家畜の腹を通してうまい肉や卵にすることだと教わってきた手前、その後ろめたい気持ちを卵のパッケージの裏に記してきたが、そろそろ見直す時期になったなと思うのである。

養鶏がもはや農業ではなく、立派な二次産業だと養鶏家みずからが標榜して久しい。私のような《阿呆の鳥飼い》が未だにそれで食って居られるのが寧ろ不思議である。これで事実上全国の弱小養鶏淘汰の筋道が出来たと考える。
それは理屈ではウインドウレスと云えども、それだけ厳重に管理しているところに入ってきたものは、また容易く出られる道理で、しかも相手は忍者ウイルスである。それを委員会も農水省も閉じ込めて出さない、否、出ないというのだから無理はある。しかし所詮国家権力をもってすれば道理くらいは簡単に引っ込むのは、論より証拠である。

しかし現実問題としては取り敢えずIさんも茨城県も大変だ。陽性鶏の殺処分をまぬがれただけで、我々弱小養鶏場のブーイングに会うとはわりの合わない話で気の毒になる。

しかし、このことは国がウインドウレス鶏舎を推奨して、建設費半額補助を打ち出した時からの既定の方針であると言えなくも無い。当局や小委員会からすれば、絶対安全な筈の、しかも指導以上の理想的管理の農場へウイルスが寧ろ率先して入り込んだことへの当惑が、昨日の委員会の時間延長にも認められるものの、その辺はすっぱり割愛して既定路線を突っ走るあたりさすがである。

ただ問題がなくもない。取り敢えず閉じ込めたのはウイルスではなく単なる抗体つまりは《セミの抜け殻》に過ぎない。セミの匂いが後どれくらいで抜けるのかと鶏の経済寿命との関係で、匂いがなかなか消えない場合はどうするのか、或いは消えてしまったら普通の処理を許すのか、まだまだ具体的にはどう逃れるかに頭を使うことにはなるだろう。

ただ事ここに至っても、それこそワクチンのワの字も出ない。そしてはっきりウインドウレス指向を打ち出した。実際、方針が齟齬を来したところから、逆にそれを推奨するあたり国の矛盾と恐ろしさを、弱小養鶏場は痛感するだろう。それに本当はそんなことよりも外電の伝える真の恐怖が目前に迫って居る。

H 17 8 23. I ,SHINOHARA