『鳥インフルエンザ問題の今後(51)』



たとえ、鳥インフルエンザワクチンの認可がいつになるか分からない状態でも、現場ではそのことに対する情報をきっちりファイルして備えて置くつもりである。

振り返って見ると、NDにしてもIBにしても現場は常に先んじて手探りで効果的な防御法を見つけて来た。NBIさんのテクニカルニュースで最近の粘膜免疫に関する研究を見ても、実際面で、現場のやりかたは無茶苦茶でも、見方によっては随分進んでいたんだなと思うこともある。

そのNBIだが、去年の冬、当時《戦う鶏飼い》とかで、大袈裟に言えばマスコミがワクチン問題で押し寄せていた時分、まだ業界団体もワクチン反対だったこともあって、理論的な応対は総てNBIさんにお願いした。既に何度も書いているように、そこで理論武装して研究者や行政の所へ行ってもらうのだが、皆最終的に記事を真っ黒に塗りつぶされて帰ってくる。テレビ取材でワクチン要求を繰り返しても、いざ放映されるとワクチンのワの字も出ない、そんな状態が続いたが、その記者たちの理論武装の教科書が《2002年 NBIテクニカル・シンポジウムーAvian Influenzaの脅威−》と題される貴重な冊子であった。

2002年5月15日、NBI主催で東大医科学研究所に斯界の錚々たるメンバー300余名を集めて開かれたシンポジウムの内容は今見ても全く時代遅れしていない堂々たる内容で、爾来、清浄国論の厚い壁に対して、幾多の犠牲も顧みず《ヨシュアの角笛》を吹き鳴らし続けたのは外ならぬNBIであることは業界内に広く知られる所である。そのお陰で我々も海外の著名な研究者達の、その折々の新しいレポートに接することが出来たのだが、残念ながら未だに《エリコの壁》が崩れたとは言えない。ただまだ2年足らずだが鳥インフルエンザ情勢は殊にアジアにおいて一段と緊迫の度合いを増した。少なくともヨーロッパを追いかけて行く段階ではないことだけは確かで、いまさら陽性だけで鶏を殺し続けるなんて世界の物笑いである。それを最近まで、東南アジアなどの深刻な流行地に、研究室内の事しか念頭に無いような我が国の研究者達が指導に出掛けると云うような記事を見るたび、こういうのが文字通りの提灯記事だと思ったものだ。

はたから見ていて日本の学者先生位気楽な者はない。学説などひっくりかえって当たり前だし、言ったことが外れれば想定外で済まし、経済事情も現場の痛みも関係なし、一度上がった地位からは転落することもない。同じことを去年、政府税調の石さんにぶつけて、読売川柳に「増税へ 薄ら笑いの石頭」とやったらボツになった。

ま、本当は生きてる限り気楽ということはないだろうが、この炎天下に白装束で、本来あまり意味のない殺処分をやらされている当事者の苦労を口の端くらいに乗せても罰は当たるまいくらいの下々の話も知って居て貰いたいものだ。

H 17 8 8 立秋. I, SHINOHARA