『鳥インフルエンザ問題の今後(49)』



茨城での鳥インフルエンザ問題は一応終息ないしは収束したようである。被害養鶏場とそれに未だ処理に係っている関係者の方達に心からお見舞い申し上げる。
それが契機で業界団体の陳情もあって始められた全国的サーベイランスも目下のところ全く異常はないようである。それに関して《平和屋》様の「壮大なる無駄」との表現は昨年の青森大会でのコーディネーター、NBI所社長の「壮大なる実験」のもじりだとしても云い得て妙であると不謹慎ではあるが感心した。

また具体的に将来ワクチン接種が許可されても全国一律ではなく、発生現場中心の考え方は、実際に現場では対応出来ない。最初から云うように育成中のワクチネーションプログラムに組み込む形しかない。その是非は兎も角、我が国では多頭羽ウインドレスでの管理中心に考えなくては実際的でないからである。
この問題はもう2年も前、研究者から、実際ワクチンを接種する労力なんてないだろうと云われたとき現場などから、育成中に組み込めば一羽数円の費用で事足りると反論している(NBI他)。

ただ曾て社会党が消費税反対で山を動かしたとき、自民党の「食料品を除外する妥協案」を断って逆に多数決で全面導入されたように、ワクチン問題も兎に角一応は認可にこぎつけることが重要であって、発生現場を取り囲んでリング状に接種し後すべて鶏は廃棄する、というような馬鹿馬鹿しい案でも、すべて全面解除への一里塚として受け入れなくてはならないと考えるのである。と同時にその立法趣旨は輸出国オランダがお手本であって(向こうは予め全部殺した)、法治国家日本の一番悪いところは事実上その趣旨に合わなくなっても、法令規則だけは残って規制を続ける点に有ると思う。
いっぽうロシア、カザフスタンでの発生報道でこの問題は風雲急を告げて来た。ジャカルタでのショックもあり、世界三機関の考え方もそうであるように今更ワクチン危険論を蒸し返しても、実際相手にされなくなってきている。

先日サイトを賑わしたデビッド・スアレスチームのレポートでも、人にとってのAIウイルスの危険な変異は専らAntigenic shiftによって起こるとされていたものが、不活化ワクチンがあることによってAntigenic driftのかたちでもmajor antigenic differencesが見られたという、笹山先生のいわれるようにreassortment以外に危険なmutationがあり、それを不活化ワクチンが助長する恐れが有るか、としたことに喜田教授はある会場でナンセンスといい、今はもうそれどころではなくアジアだけでも1億4000万羽以上の鶏が虐殺されても効果がなく唯一の残された手段であるワクチンを推論くらいで拒絶してどうなるのか、というのが当事者であるアジア諸国の立場であり、もはや世界三機関の統一見解でもある。

それを日本だけが、やれ輸出国の論理だとか云いながら、相変わらずワクチン危険論を蒸し返す時代遅れの状態で、なにが先進国だ、20年遅れじゃあないかとするのが、切羽詰まっている我々現場の切実な訴えでもあるだが、それでも表面的には「泣く子と地頭には勝てぬ、サーベイランスでは一件の陽性例も出ないように願っている、況んや我が家から、とおびえている毎日です。」というのが生産者のコンセンサスであるようだ。

その状況から生産者サイドからは、お上に睨まれるような情報は表面的には出て来る筈がない。せめてもの掲示板で《とき》様 達の議論を聞いて、うっぷんを晴らす位が関の山。

H 17 8 6 . I,SHINOHARA