『鳥インフルエンザ問題の今後(45)』



鳥インフルエンザの問題では極論すれば現場から研究者に至るまで(国は勿論のこと)すべて自己矛盾を抱えながら、夫れ夫れの立場の違いからの主張を繰り返しているだけで、相手を非難したところで所詮は目糞が鼻糞を笑う構図から一歩も出ていないことに気付かされるとどうしてもシラケて来る。

私自身、国立感染症研究所の岡部センター長の最初の警告「用も無いものが鳥小屋を覗くような馬鹿な真似はするな」はその通りだと思うし、だからこそ何よりも従業員の健康に留意し指導医師により、インフルエンザワクチン接種と当初はアマンタジン、その後はタミフルを常時備えさせて置く一方、小さくは我々の生計のため、視野を広げれば世界一の長寿国として特に老人の健康保持に欠かせない良質タンパクの供給源としての安全な卵の生産を絶やさないため自分が考える一番安全な生産方法を模索して来たが、国の施策との間で最早矛盾だらけで手の打ちようとてない。

一方の研究者のほうも例えば喜田さん、ウイルスとの共存をうたい実際現場を指導する場合は具体的に、「鶏に最初に取り付くウイルスは総て弱毒、個体間で移動を繰り返して強毒化する、従ってそうさせないことが肝要」と、つまりは馴致、脱感作、フィードバックを匂わせながら、実際は抵抗力のあるものから殺してかかっているし非特異反応でも場合によっては疑陽性、疑似患畜として殺されかねない。これでは共存どころでない。それに云ってる事と実際が違えば総て想定外としてしまう。無責任極まりない。その上、国の矛盾と来たら枚挙に暇なく取り上げるだけ紙面の無駄である。

昨夜のNHKで戦艦大和をとりあげ、当初の戦果で飛行機の優位を確認しながら、それまでの大鑑巨砲主義に固執した辺り、日本人のメンタリティはトリフルに至っても一向に変わらぬと絶望さえ覚える 。否、もはや絶望的である。

水海道の続報に絶句した。まだ問題の渦中にあるときに何故入雛を急いだのだろう。特別許可を出した農水省の問題である。平静を装うあまり、実際は非常時なのにローテーション通りを誇示しようとすれば問題を広げかねない。これで育成ルートまで抗体騒ぎが広がると、一気に関東全体の問題(もともとはそうなのだが)となりかねない。

育成業者は行動範囲が広く個々の委託先まで含めると問題は点としては捉えられない。尤も今のAI問題を点としてとらえること自体ナンセンスで、もともと水海道はスケープゴートで浅田農産と同じだ。日本村ではそこに何らかの手抜かりの責任を押し付け、他の村人にそれを非難させるようなことをして自殺にまで追い込んだ。それで追い込ませたお上とその一党はぬくぬくとしている。
しかし我々村人のほうも目を覚まして相手が悪代官なら直訴もせねばならぬが、一番のお上が犬公方ならぬ木偶の坊だとどうしようもない。

発生現地の新しい情報では陽性鶏群で過去に全く異常は見られなかったケースもあるという。ならば体温測定でも引っ掛からぬ。喜田先生に云わせれば理想的な感染のしかたではないか。ガンカモと同じ共存状態である。人為的なワクチンよりはるかにHPAI種族に対して抵抗性があるだろう。だがそこにサイレントエピデミックの問題もある。一筋縄では行かないらしい。まあ人間様にとって絶対論では鶏がいないのが一番安全なのに決まっている。しかし人間には有効な薬剤もあれば、ワクチンも開発可能だ。その人間様のご都合の為のみに生かされている鶏共には殺される以外は何も方策がない。そりゃあ人間様が一番偉いのは分かるが鶏飼いの立場ではどうも釈然としない。