『鳥インフルエンザ問題の今後(32)』



喜田委員長の語録をみると相手に対する決め手として随所に「ナンセンス!」という言葉が出て来る。そこで識者といわれる人達は末端の獣医さんに至るまで、この一言に弱いのだなと思ってしまう。青森大会の時も実感した。

我々現場の人間はもともと全くのナンセンスだ。阿呆の鶏飼い時代は、それで押しまくったが、今の人達は皆センスと品位を要求されるとみえて、地方の研究会までもが小委員会と同じである。すべて粛々と進められる。面白くないから行ったこともないし呼ばれもしない。なにが面白くないかというと総てが公式発表、公式見解の類いをもとに議論される点だ。そんなものは架空の数字に過ぎない。もっと根本の、地方のカラスと動衛研のカラスはどうしてそんなに違うんだいと云うところから始めないと本当のことは出て来ない。ガセネタの中に真実もあることは昔から諺などでも沢山云われて来たが、当たり障りもあるし第一取捨選択が難しい。これこそセンスが必要だ。その必要なセンスが小委員会の議事録をとってみると、委員長以下全く無い。ノンセンスはそっくり喜田委員長にお返ししたいくらいだ。

簡単に、臨床とウイルスの検出と抗体の検出は3点セットで、ようやく国際的合意が得られたと得意がるが、それが今回の水海道にどれだけ生かされたと云うのだ。

臨床と一口に云ったって実験室の鶏と我々の飼養鶏ではエルトールコレラに対するひ弱な日本人と現地人の違い以上のものがある。育成段階で十数種ものワクチンを打ち、そのうえで野外のあらゆる刺激で特異、非特異抗体を増やす努力をしている一般の鶏は、MGがあるとAIが重症化するSPF鶏とは明らかに違う。今回のケースも実験室の鶏ならHPAIになるかも知れないくらいの想定を予め持つ必要がある。その辺の乖離はND猖獗時に嫌と云うほど体験した。

小委員会での話題の中心は、国際的なステイタスをどう守り、どう作り上げるかということらしい。どうみてもそこでは我々現場に必要な、わが国の養鶏産業をどうやって守るかというような視点は全く感じられない。それぞれの委員が無反省に自己を主張し、我田引水を繰り返す。見苦しい限りである。理論を振り回すだけで、実行することの困難さとか、言動や実行したことへの反省とかはまるで無い。厚顔無恥委員会である。これに仕切られる養鶏現場はたまったものでない。

実際は臨床、ウイルスの検出、抗体の検出の3点セットどころか、せいぜいNDのスクリーニングくらいで大慌ての殺戮を繰り返すことは目に見えている。なぜならOIEなどの意見にそってH5,H7に関してはLPAIであっても届けさせようということだったが、わが国ではそのステイタスを保持するうえで、今回のように陽性だけで総て殺処分されてしまうし、A型インフルエンザのすべてが危険であるとしながら必要なコントロール手段を持たないわが国の場合は 実際にはその総ての亜型を殺してしまう以外方法はないと思われるからだ。そればかりではない、これまで度々指摘したように実験室にはない紛らわしい非特異反応が野外ではゴロゴロしていることを考えれば、日本での養鶏存続はかなり難しいと思っている。少なくとも、このままではオランダの軌跡は必至であると断ぜざるを得ない状況だ。

H17 7 11  I, SHINOHARA