『鳥インフルエンザ問題の今後(]]Z)』



尼崎JR事故の報道が続いている。ミスを隠して査問を逃れようとすることが次ぎの重大事故につながる。その査問は指導よりも、むしろいびりに近いとの現場の声もある。その辺り日本は典型的村社会だ。浅田農産事件もそうだったと私は思う。その一人を槍玉にあげて全部の責任をかぶせてしまう。あえて李下に冠を正す者はいない。無理に冠を直そうとすれば有無を云わさず盗っ人扱いされかねない。村社会たる所以である。

隔離中心のバイオセキュリティでAIを防ぐことが可能であろうとあるまいと、それで万一発生すれば袋だたきは間違いない。その影響は地方に止まらず国を東西に二分する騒ぎにもなった。もともと日本中に点在する農業としての直売方式の養鶏場では、顧客からの隔離など不可能で消毒さえままならない。丸っきり無防備状態で罹らないほうが不思議だ。国の清浄国論に従えば、わが国にはAIは存在しない。存在しないものにやられたら、やられたものの責任になる、こんな理不尽なことはあるまい。尤も、存在しないものは全て外から入って来たもの、故に撲滅すべきというのがその趣旨らしいが、問題は現に存在する場合も外国から持ち込まれたものとして処理されることで、O157のカイワレ然り、SE然り、AI然りで現場は常にそのために犠牲にされる。こんな理不尽な事が通るのもまた村社会である。すべからくミスは無かったことになり日本中から鶏の病気が消えて仕舞う。

かつてAIの侵入に警鐘をならし続けた指導者たち、渡り鳥を調べて国内で発生のないのは僥倖であるとし、人と共通の亜型の存在を憂慮し、ウイルスの絶滅など人間の奢りでありコントロールして仲良くすべきであり、中和抗体が上がり難く緊急の不活化ワクチン接種は効果的でなく、弱毒型を防ぎ周辺国を睨んだ対策が必要だなどと正論を吐いて居たものが 国がようやく眼中になかった鳥、鶏に目をやり、清浄国論の旗の下、いくばくかの予算措置を講ずるようになると、皆が皆、御用学者になってしまったとみるのは僻目か。養鶏現場とすればこんな情けないことはない。

この間にも、ヨーロッパでは欧州連合の委員会などでAI対策の見直しの議論がなされているらしい。HPAIを目標に鶏を虐殺することで根絶を期するとした92/40/EECの見直しなど2007年1月1日を目標に作業をすすめるとするような意向が伝わって来る。わが国もアジアの先進国を自認するのであれば、架空に近い統計的数字にばかり拘ることなく、より真実に近い数字を見極めて対策を立てるべきである。

一例を挙げれば、現実のHPAI発生後、わずか数パーセントの入雛減少で、今年の未曾有の高卵価を招き、その間の消費の減少はこれまた僅か数%で、仮に万一HPAIが再発生してもその影響は諸外国に比べ、微々たるものに過ぎないとする報告など、村社会であるわが国の事情を全く無視したものであり、現場の目から見れば、その間に無慮数千万羽の淘汰が行われたとするような見方が寧ろ当然のようにささやかれもして来たのである。

つい最近までの羽数統制時には統計に現れないアングラ羽数の多さが話題になったが、それの廃止と期を同じくしたHPAIの発生は、統計上の数字に変動を少なくせしめた効果があったとさえいわれる。それぞれの立場と見方で真偽のほどは無論定かではない。

まあ日本に限らず、公的見解とはほとんどが仮定の事実に基づいたものであることは論を待たない。その意味で我々飼養現場は常にガセネタの中からの真実を追求していく構えを崩してはいけないと思う。
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