トリ・インフルエンザ対策の方向転換をはかるべき



トリ・インフルエンザが我が国で発生することを予想して防圧マニュアルのようなものが示されては居たが、昭和40年代初め強毒ニューカッスルにしたたかにやられ、初めての経験で不慣れな点があったにしても、パコマによる浴びせるほどの消毒もヒリヒリするオルソ剤の踏み込み槽も不活化ワクチンさえも一向に効を奏さずバタバタ斃れていく鶏に地団駄踏んだ体験からすると、そのワクチンも使わずにどうやって強毒のウイルスを防ぐつもりだろうとあきれかえって見ていたし、入って来たらおしまいと観念して来たつもりだ。ニューカッスルの場合もLVスプレーで局所免疫をつくる、それも移行抗体のあるうちから2週間毎に重ねるという当時の家衛試の椿原先生に叱られるようなやりかたで猖獗期の危機を脱したのである。

トリ・インフルエンザはいずれ人間のインフルエンザに変化するだろうと恐れられ、そのためにもその常在を許さぬように清浄化を図ることが叫ばれている。しかし大局的にみると広くアジア各地にちらばったH5NIは最早次世代人インフルエンザの地位を確保しつつあるのではあるまいか。とりあえずの媒体は渡り鳥らしいという。水禽が弱毒のウイルスをもっていることは既に知られているのだとか。今回の山口の例はテレビで学者が解説した渡り鳥の弱毒が当該農場の鶏体内で強毒化したとするには時間的余裕がなさすぎる。素人考えながら強毒そのものを体外にくっつけて持ってきたとするほうが妥当だろう。そうなれば水鳥でなくてもムクドリでも何でもいい、近くの池なんか関係ない。だとすれば血液をとって抗体を調べても菌検索をやっても分かるはずは無い。そんなところかなあとみている。

いずれにしても強毒ウイルスに有効なワクチン抜きで消毒と移動禁止、殺処分で対抗するなんて最初から将棋でいえば形作りの負け戦だ。おなじ将棋の升田九段の言葉に、着眼大局 着手小局というのがある。将来の人類を考える大局観も必要だが目先の形作りでない有効な手段もこうじなければ肝心の勝負に負けてしまう。ワクチンもなしに鳥小屋に網を張ったり消毒薬でビショビショになりながら強毒ウイルスの来襲に脅える鶏飼いの図は竹槍でB29を迎え撃ったかつての日本人と同じだ。

そのうえ国立感染病研究所の岡部信彦情報センター長は「鳥小屋をのぞきにいくような馬鹿なことはやめたほうがいい」という。その伝でいけばバードウオッチング、いわんやカモ猟、白鳥の湖などもっての外ということで此処まで日常生活に触るようになったら潔く軍門に下るべきだ。敵はいきなり強毒甚急性の形で入ってきたのに弱毒をワクチン投与で強毒化させる心配ばかり続けるのは愚の骨頂、一刻もはやく方針転換を図るべきだ。技術的にも学者はむずかしいことを言い過ぎて急場の間にあわない。

同じようにウイルスが変化しやすいIBも、かつて両極端にあるマサチューセッツかコネチカットかで論争した時、結論づけたのはフイールドで例の常に局所にワクチンをくっつけておく「お山の大将」方式を試してどちらも有効だった。尤も今ではこのやりかたは指示書の内容に違反する。病院でインフルエンザワクチンを受けるとき、備え付けの問診書に記入すると接種が必要な人ほど受けられなくなるなどまったく役人のすることはいつもこれだから困る。マレックのときも新鶏舎病と言われた位清浄な所ほどひどくやられた。此の際一刻も早く周りの諸国以上の免疫を人畜共に持たせることへの大転換を大局観としても目先の手段としても持つことが必要なのではないか。

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