昨年夏、友人に「人魚のミイラが観られるらしいよ。」と誘われ、
行って参りました和歌山県橋本市学文路(かむろ)。
▲南海高野線学文路(かむろ)駅。(撮影:2002/07/某日)
▼徒歩で移動中、歴史街道の道標(?)発見。ちゃらららちゃ〜ちゃっちゃ〜(ごわ〜〜ん)〜ん。(?)
(撮影:2002/07/某日)
▲到着、西光寺。正面のお堂が学文路苅萱堂(かるかやどう)。(撮影:2002/07/某日)
友人が事前に連絡を入れておいてくれたので、学文路苅萱堂保存会会長の岩橋蘇風氏が直々に出迎えて下さいました。
手土産のお菓子持参も忘れないあたり、友人の人魚に対する意気込みを感じます。
▼寄贈された人魚像。(撮影:2002/07/某日)
▲「秘宝・人魚」の説明書き。(撮影:2002/07/某日)
石童丸の物語と繋がりが。
▼お堂の中。(撮影:2002/07/某日)
石童丸の物語について詳しい説明を受けた後、いよいよ人魚を拝見させて頂くことに。
人魚は普段、厨子(ずし)の中に大切に保管されているそうです。
左にちょっと写っているのは保存会会長の岩橋氏。
▲秘宝・人魚。(撮影:2002/07/某日)
▼苦悶の表情は何を伝えようとしているのか。(撮影:2002/07/某日)
▲するどい牙が覗く口。(撮影:2002/07/某日)
▼胸腹部。(撮影:2002/07/某日)
▲頭部には毛髪が。(撮影:2002/07/某日)
▼肩にはウロコらしきものが。(撮影:2002/07/某日)
「このミイラが苦悶の表情をしているのは、人間の業や罪をその身に引き受けてくださっているからなのではないかと思うんですよ。」
岩橋氏が神妙な面持ち(おももち)でそう語っておられたのが印象的でした。
石童丸の母である千里ノ前も、だからこそこの人魚を崇拝したのでしょう。
私と友人も思わず知らず、人魚に向かって手を合わせるのでした。
学文路苅萱堂についてのサイトはこちら。石童丸物語についての説明もあります。
今はあまり知る人の少ない(と思われる)石童丸の物語ですが、
昔は桃太郎などの物語と同じく、母から子へ寝物語として聞かされる、割とメジャーな物語だったそうです。
私はここに来るまでまったく石童丸の物語について知らなかったのですが、
実家に帰省した際、母や祖母に訊いてみたところ、当然のように知っていたのには少々驚かされました。
若い者はまだまだ年配者に教えられることがあるなと感じ入った次第です。
お年寄りは大切にしましょうね。
さてこの人魚、以前は人魚関連のイベント(?)などに貸し出すこともあったらしいのですが、
運搬中の管理が難しい(破損等)などの理由で、現在は門外不出となっているそうです。
実際、あちこちに貸し出している間に尾ビレなどがだんだん削れてきてしまったとか。
このような貴重な財産は、いつまでも大切に残していって欲しいものですね。
ここ苅萱堂には他にも「夜光の宝珠」「蛇柳」など、興味深い宝物が展示されていました。
この友人、そのあと高野山を観光中に頭痛が酷くなり、高野山病院に担(かつ)ぎ込まれたりしてましたが、
これは友人の持病(?)なのでタタリなどとは関係ないと思います。
その後は元気に回復し、現在はなんか交通事故で入院中だったりしますが、これも関係ないと思います。多分。
ちなみに私はお蔭様で健康そのものです。
といったところで、今回はこのへんで。