「地方分権速報」(1998年10月分)

朝日新聞に掲載された地方分権に関する記事を、月単位でまとめて掲載してあります。

目次

○10/24「直轄」削減の縮小を打診 地方分権委、第5次勧告で妥協案
○10/24最高税率引き下げ配分巡る論議 国と地方で平行線 政府税調始動
○10/20月内の勧告、難しい状況 地方分権委
○10/18在宅福祉、地方分権が後押し フィンランドの知的障害者の場合
○10/15市町村合併って得なの(時代を解く)
○10/14 地方分権、立ち往生 公共事業めぐる勧告案大詰め
○10/14 問われる「税の配分」 「都市vs.地方」日本でも(政治家よ)
○10/7 地方の配慮欠く 特別減税で名古屋市の保険料不足<解説>
◯10/6民主主義の機能する公共事業とは 浅野史郎(論壇)
◯10/5田舎に住む(窓・論説委員室から)

「直轄」削減の縮小を打診 地方分権委、第5次勧告で妥協案
年月日   98年10月24日

 政府の地方分権推進委員会(諸井虔委員長)は23日までに、公共事業の分権を柱にした第五次勧告案づくりが難航している事態を打開するため、直轄事業の削減範囲を大幅に縮小する妥協案を非公式に建設省など関係省庁に示した。8月の第2次試案で建設省に求めた国の直轄事業を道路は国道1号から58号までなどに限定することを断念した。しかし、建設省などはなお反発しており、勧告を期限の10月末までに出すのは引き続き困難とみられる。
 関係者によると、分権委の妥協案は、国の直轄事業の範囲について(1)試案が道路を国道1号から58号までと高速道路に具体的に限っているのをとりやめ、直轄の指定基準を見直して縮減する(2)試案が特定重要港湾のうち中枢的な港湾で、水深の深い岸壁に厳しく限定しているのを「高規格港湾事業に限る」と縮小する、などがおもな内容となっている。
 国の補助金については、試案とほぼ同じように、市町村事業への補助金の一般財源化や、自治体が使い方をある程度自由にできる「統合補助金」の新設などを求めている。
 妥協案について、関係省庁は「直轄事業の範囲という政策の中身まで踏み込まれるのは納得できない。統合補助金も中央省庁等改革基本法が定めているものと違う」などと抵抗姿勢を崩していない。

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最高税率引き下げ配分巡る論議 国と地方で平行線 政府税調始動
年月日   98年10月24日

 政府税制調査会(首相の諮問機関)は23日、総会を開き、来年の税制改正に向けた検討を始めた。しかし、景気対策の重要な柱である大型減税をめぐり、国税分と地方税分の振り分けの調整は入り口で止まったままだ。中でも、個人所得課税の最高税率を50%に引き下げるにあたり、大蔵省が所得税40%、住民税10%とする方針なのに対し、地方の自主財源の減少を恐れる自治省は、できれば住民税の最高税率15%を維持し、所得税率を35%としたい考えだ。法人課税も同じ問題を抱えており、減税の押しつけ合いの様相を見せている。
 個人所得課税の最高税率引き下げがすんなり決まらないのは、組み合わせ方によって国税、地方税の収入への影響が大きく異なるからだ。
 大蔵省案では、所得税が2千億円、住民税が6千億円の減収となり、住民税率引き下げの影響が大きく出る。自治省案では所得税の最高税率を35%まで引き下げることで4千億円の減収となる一方、住民税には手をつけない。財政危機に陥った自治体側の要請を背景に、自治省は「減税は基本的に国税で面倒を見るべきだ」と抵抗姿勢を崩していない。この日の政府税調総会でも西田司自治相は、地方財政の厳しさを強調し、「地方分権のためにも地方の財源確保が不可欠だ」と訴えた。
 大蔵省は、住民税はできるだけ負担を平準化するべきだとして、税率を5%と10%の二段階に減らすのは、長期的にも望ましい姿だとする。また、自治省の主張する所得税最高税率35%は、国際的に見ても低すぎ、「自治省は金のことだけ心配して税制を考えていない」(幹部)ということになる。
 総額4兆円の枠の中で、最高税率引き下げ分の残り3兆数千億円が、納税額の一定割合を減税する定率減税の財源となるが、最高税率の話が片づかないため、定率減税の規模が決まらない。減税率を何%にするか、減税の上限額をどう設定するのかについて、検討に着手できない状態だ。

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月内の勧告、難しい状況 地方分権委
年月日   98年10月20日

 地方分権推進委員会(諸井虔委員長)が中央省庁のスリム化のために検討している、公共事業の権限を地方に移譲することを柱にした第5次勧告は、期限だった10月末までにまとめることが難しい状況になった。分権に難色を示している建設、農林水産、運輸各省が「対案を出すには時間がかかる」との姿勢を変えないためだ。勧告を受けて本格化する省庁再編に向けた新省庁の基本方針づくりのスケジュールにも影響が出かねない情勢だ。
 分権委は8月に、道路の国の直轄の範囲を高速道路と国道1号から58号までに限り、他は地方管理に移す、などとした、国の権限と補助金の縮減策を第2次試案として各省に示した。しかし、建設省や関係する国会族議員が「地方は国道格下げを要望していない」などと反発。分権委が3週間ぶりに再開した19日の非公式な協議でも、建設省が「直轄事業の範囲を明確にする指定基準の見直しを含めて、11月初めでないと考え方は出せない」と説明するなど、三省とも具体的な対案を示さなかった。

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在宅福祉、地方分権が後押し フィンランドの知的障害者の場合
年月日   98年10月18日

 知的障害児・者の施設ケアをやめ、自宅やグループホームで暮らしてもらう福祉政策の転換がフィンランドで進められている。「在宅のほうが基本的に費用が安くつく。また各種のサービスがきめ細かく行き届き、人間らしい暮らしができる」との理由だ。政策転換を可能にしたのは、財源を伴う地方分権の推進だった。日本でも、施設から在宅への切り替えを目指しているが、問題は十分な権限と財源が市町村に移せるかどうかだろう。(有岡二郎・編集委員)
 ○グループホーム 全員個室、食事も担当
 フィンランド西南地方のパライネン市で、知的障害者のグループホームを訪ねた。住宅地の一角に並ぶ二棟の平屋建て住宅だった。来客に喜んだ中年の男性が1人、2人と玄関から出てきた。
 周りの家とは、腰より低い高さの木製の塀で区切られている。庭に幼児用のブランコや遊具がある隣家もあった。「この家はグループホームができたあとに引っ越してきた。建設当初は、周辺住民の中にホームを嫌がる空気もあったので、この引っ越しは住民の理解が進んだと思い、うれしかった」。案内してくれた女性責任者は笑顔で言った。
 知的障害者が1棟に5人ずつ暮らす。男女を分けてはいないが、「別に問題はない」という。すべて個室で、リビングルームと食堂、台所、トイレ、シャワー室は共用だ。職員は1棟に1人。夜勤も含めて3交代で世話している。
 台所には、各曜日ごとに知的障害者の顔写真をはった日程表があった。食事の支度や後片付けの当番表で、職員と一緒に家事をする。
 グループホームは、複数の自治体による組合が運営している。法律で、知的障害者へのサービスは、自治体が自治体組合を結成して取り組むよう定められているからだ。個々の自治体では、対象となる障害者の数が少なく、効率的なサービスができない、との考えによる。
 この組合では、所有する施設に、以前は220人の知的障害者が暮らしていたが、政策転換で、すでに 120人が施設から出て自宅やグループホームに移った。残る人たちも順次、在宅に移ってもらうという。
 ○権限・予算が国から移り、柔軟なサービス可能に 知的障害を含む障害者福祉の、施設から在宅への転換はフィンランドでは約10年前に始まった。だが、当初はなかなか進まなかった。権限や予算の多くを国が握ったままだったからだ。
 そこで1993年に、国から地方への補助金制度が改革された。使い道を限った補助金をやめ、「社会福祉保健」や「教育文化」という大きな項目ごとにひとまとめにして自治体に渡すことにした。補助金は、自治体の年齢構成別人口や全国平均と比べた疾病率、財政力などをもとに計算され、使途についてはかなりの自由裁量権が自治体に与えられた。
 「地方分権のよい点は、自治体職員の意識が変わって、行政組織や法規よりも住民サービスを大切に考えるようになったことです」。フィンランド東部・東カリヤラ地区の自治体組合の幹部は言った。
 自治体の方が障害者の状態や地域の実情にくわしいから、行き届いたサービスができる。職員と障害者の間に自然な人間関係ができて、対応に柔軟性が生まれる。サービス内容の開発や職員の研修も、それぞれの地域の状況に合わせてできる――そんな利点も、幹部は挙げた。
 したがって、知的障害者への在宅福祉サービスも地域によって少しずつ違いがある。だが、大きな枠組みは変わらず、抱えている課題もほぼ共通している。 フィンランドでは、サービス提供の観点から知的障害者を「24歳以下」と「25歳以上」とに分けている。「24歳以下」は、14歳で義務教育を終えた後も生活訓練や就労訓練を続ける。しかし25歳を過ぎたら、リハビリ効果はあまり望めなくなるので生活支援に重点が移される。
 とくに出生時から小学校入学ころまでの時期を重視し、障害の早期発見とリハビリにかなりの力を注いでいる。そのために自治体組合の知的障害者センターを中心に、病院や保健所との間で、健康診断や情報、リハビリの緊密なネットワークがつくられている。
 子供は親と一緒に暮らすことが基本とされている。親がいなかったり、アル中などできちんと世話ができい場合は、まず里親をさがす。地区によっては9割以上の子どもが在宅で暮らしている。施設に入るのはかなり重症の子どもだ。
 課題の一つは40歳以上の知的障害者の処遇だという。長い間、本人も家族も施設中心の世話に慣れているので、在宅への切り替えがうまく進まない。50歳以上になると、体力の衰えや病気など別の問題も起きる。一緒に暮らす親が高齢になって十分な世話ができないし、グループホームにもなじめない、という問題もあるという。
 就労訓練をしても賃金をもらえるようになるまでの人は少なく、多くが障害者年金で暮らしている。しかも近年の不況で、障害者全体の就労の機会が狭まっているのが悩みだという。
 ◆松友了・「全日本手をつなぐ育成会」常務理事に聞く
 親の立場から見て、日本の知的障害者福祉はどこに問題があるのだろうか。知的障害者を持つ親の会の全国組織「全日本手をつなぐ育成会」常務理事の松友了さんに聞いた。
 ――どこが問題ですか。
 「日本の福祉は、サービスを提供する行政側と利用する側との間に明確な権力構造があります。貧しい者やあわれな者、異常な者に対する救済策として、上から施してやるという感覚です。これは、重度の知的障害児を抱えた親として、長い間、福祉行政と向かい合ってきた実感です」
 ――欧米先進国に比べて予算や福祉サービス量が少ないのでしょうか。
 「正確なデータはわかりませんが、福祉予算や福祉サービスのメニューは、たぶん欧米と比べてもそん色がないんでしょう。国連に日本政府が報告している数字を見て、外国の関係者が日本は高福祉国家だと誤解するほどです。しかし、利用する側の満足度や実際の効果はずいぶん違う。屈辱感を味わわされるから、できれば利用したくないし、サービス提供側もあれこれもったいをつける。そんな権力的構造があります」
 ――日本の厚生省も「施設中心から在宅中心に転換させたい」と言いますが。
 「当然進むべき方向でしょう。しかし日本では、在宅という言葉に誤解があります。親の家にずっといるという意味で考えられている。そうではなく、ケアつき住宅とかグループホームで自立して生活できるような環境を整えた上での在宅でなければならない」
 ――子どもは基本的に親元にいたほうがいいというのが、フィンランドの考え方のようです。
 「どんな制度や施設があっても、子どもは一定年齢までは親と暮らすのが一番いい。また子どもの面倒をみるのは親の義務だと思う。ただ障害のある子どもを抱えた親の負担は大きい。それを社会が支える環境をつくってほしい」
 「日本では、知的障害者が50歳、60歳になっても、何か起きれば親が呼び出されて、その世話は親の責任とされる。高齢の親が疲れ果てて中高年の子どもを殺す悲劇も、そうした世間の無理解から起きています。一定年齢以上の知的障害者は基本的に社会で支え、自立して地域で暮らせる環境を整えるべきです」
 ――在宅中心への転換は進むでしょうか。
 「厚生省はよく、親が施設入所を望んでいるじゃないかという言い方をします。でも、なぜ望むかといえば、施設入所のほうが圧倒的にサービスの質も量もいいんです。在宅で頑張ろうにも支えてくれるサービスがほとんどない。親は疲れ切って、入所させたほうがいいとなる。予算や人手の流れを施設から地域に大き切り替える構造的転換を、まず進めるべきです」
 <知的障害> 脳の不全によって理解力や判断力が低下している人。原因としては先天性疾患や出生時の呼吸障害などが考えられている。障害者基本法などの関係法ではまだ「精神薄弱」と書かれているが、今年9月に国会の議員立法で「知的障害」と用語変更する改正法が成立し、1999年4月から施行される。 95年調査では、全国で在宅者297千人、施設入所者116千人の計413千人いる。

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市町村合併って得なの(時代を解く) 
年月日   98年10月15日

 京都府、大阪府と接する兵庫県多紀郡の篠山、西紀、丹南、今田の4町が合併し、来春に新しい「篠山町」になる。合併の協議を始めて50年、失敗すること実に5回。現地を訪ねた。(編集委員・中村征之)
 ◆香川県寒川町の会社員 真嶋方文(まさふみ)さん(40)
 地方分権を進めるために、市や町や村を合併する必要があると、よく聞きます。合併が住民にとって本当に得なのかどうか、何を元に考えればよいのでしょうか。私の町にも合併話があるので、参考になる実例を教えてほしい。
 4つの町は同じ「丹波」地方にある。といってもそれぞれ違った顔をしている。お城を中心に観光に生きる篠山。過疎と老齢化にひるまず健康・福祉策で頑張る西紀。JRや自動車道が走る交通の要所、丹南。立杭(たちくい)焼を誇る今田。6回目の合併協議を始めた1992年ごろ、4町はやっと、それぞれの個性を一つに束ねる方が得策との判断に傾いた。
 とはいえ、開発偏重、福祉後退を恐れる合併反対の声も消えていない。町長や町議会代表らは、何を根拠に「合併は住民の生活にプラス」と判断できたのだろうか。
 ■町の台所
 合併によって町の台所は豊かになるのか。その損得から考えたい。
 町財政の柱として国から新「篠山町」に交付される地方交付税は、4町時代より年間約20億円は少なくなる。だが、一気に減らすと合併意欲をそぐので、市町村合併特例法で、最初の5年間は合併前の水準に据え置き、後半の5年間で順次減らしていく。この5年間の減額分を合計すると約50億円になる。交付税には、住民が納めた国税の一部を、地方に払い戻すという意味もある。この50億円は戻し金の減額にほかならない。
 一方、合併自治体には10年間、事業の起債枠が拡大され、その返済についても国が手厚く面倒をみる制度が用意されている。新「篠山町」の場合、この制度でほぼ上限いっぱいの180億円の事業を予定。優遇制度によって、その7割、約126億円の返済は事実上、免除される。合併しない場合、このサービスは四割強、74億円にとどまるため、差し引き約52億円の得になるはずだ。
 以上をまとめると【52億円―50億円=2億円】すなわち町側にとって2億円のプラスとなる。とはいえ、これは合併後の10年間に限った計算。その後は、国にとって交付税減額という「合併リストラ効果」が100%現れる時期になる。町や住民側からみれば、この10年間に「自立」の道を探らなければならない。
 ■住民サービス
 次に新「篠山町」から住民が受ける公共サービスを考える。水道料金は現在一番安い篠山町の水準に合わせる予定になっている。
 在宅老人、重度心身障害者(児)の各手当は、一番高い西紀町の月額1,500円に合わせる予定。過疎集落から、最寄りのバス停や老人一人ひとりの通院先を結ぶ西紀町の「福祉バス」も残す。やはり西紀町が実施中の在宅老人への「食事サービス」なども存続させる。ただし、合併を機に、新町の全域に同じサービスを拡大するゆとりはなさそうだ。となれば、地域によって「受益の差」が生じることになる。
 保育料金は国の基準に統一される。旧町役場は支所として残し、住民登録などの窓口サービスは続く。全体的にみて、【公共サービスは合併前の高い水準の町に合わせ、負担は低い町の水準が採用される】。その分、新町の財政負担増は下水道事業を含め年間3億円を超す見通しだ。
 4町の人口は現在、計約47千人。新町は、阪神間への地の利を生かした人口6万人構想を描く。それが実現すれば、税金収入も増え、国からの交付税も増額されるが、人口が増えれば、必要な公共事業も増える。例えば、新町は県の広域水道計画に乗って水道整備を進めるため100億円を充てる方針だが、これは先に見た起債枠の新事業180億円の55%を占める。期待通りに人口が増えるのか、見込み通りの事業費ですむのか。将来像についての結論は【不透明】だ。
 4町内には、合併を批判する五つの団体が住民投票の実施や合併協議会の公開を求めている。合併協議会長の森口武治・西紀町長は「住民はよく勉強しごまかし行政など通るはずがない。協議会非公開は細かい相談で、譲り合う必要があったからだ」というが、批判派の篠山町議、岸本厚美さんは「財政、水問題の先行きなど、まだ説明が十分でない。情報公開のない合併は『住民不在』だ」と話す。
 冷静に見て、合併による国の将来メリットはほぼ確実に見える。が、町や住民の計算できる合併のプラスは思いのほか少なく、「大きいことはいいことだ」と言い切れない。新町の「行政能力の向上」、それに寄せる「住民の信頼度の向上」という、数字に置き換えられない力が、合併の成否をきめるといえそうだ。
 ■明治と昭和の大合併■
 過去2回、大規模な市町村合併があった。1つは「明治の大合併」。7万を超す集落を1889年に、一気に約16千市町村に作り替えた。「一寸(ちょっと)ここでベルを押せば、ずっと隅まで響きが応ずるごとく、陛下の思(おぼ)し召しが…及んでいる」制度をつくるのが目的だった。
 2回目は1953年から56年にかけての「昭和の大合併」。憲法で「地方自治」がうたわれ、自治体は住民に対して教育、保健、福祉などに大きな責任を持つことになった。だが、肝心の財源が十分用意されず、財政危機に陥る所が多くなり、「規模の合理化」を狙って、半ば強制的に市町村の数を約3分の1にした。
 時代は国家最優先の明治でも、混乱克服が最大課題の戦後でもない。しかも、自治体の適正規模を巡る学者の分析も15万人説、30万人説、50万人上限説などと様々だ。定説はないといっていい。外から与えられる基準ではなく、「必要性」と「結果」を見極める地域住民の自己決定にゆだねる態度があってよいだろう。
 交付税や起債を使った国の誘導策が有効なのも10年だけ。過去10年の合併件数は18件。掛け声ほどに件数は増えていない。

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地方分権、立ち往生 公共事業めぐる勧告案大詰め
年月日   98年10月14日

  10月末をめどに公共事業の分権を柱にした第5次勧告案をまとめる地方分権推進委員会(首相への建議機関、諸井虔委員長)が、大詰めにきて立ち往生している。再編される中央省庁をスリム化するため同委が打ち出した、道路や港湾など国の直轄事業と補助金の縮減を盛り込んだ第2次試案に対し、建設省や運輸省、自民党の族議員らが反発し続けているからだ。だが、地方分権は小渕恵三首相が「鬼手仏心」で取り組むと表明したテーマ。首相の指導力がここでも問われている。
 ○分権委 協力求めて行脚すれど…
 分権委は第5次勧告に向け、本来なら最終的な詰めに入る時期なのだが、9月末から省庁との交渉もストップし、開店休業状態となっている。諸井委員長が何とか事態を打開しようと、中川昭一農水相、関谷勝嗣建設相、川崎二郎運輸相を訪ね「対案を出してほしい」と要請して回った。
 だが、今のところ分権委が望むように関係各省が動いてはいない。同委のメンバーの1人は「公共事業は政治家の活動にかかわるだけに、困難なのは覚悟していた」と言いながらも、省庁の抵抗の強さに驚いている。
 そもそも同委は昨年秋の第4次で勧告を終えるはずだった。ところが、橋本龍太郎前首相が進めた「省庁再編」で、国土交通省などの巨大官庁ができることに「看板の掛け替え」との批判が集中。こうした声をかわすため、前首相が「中央省庁のスリム化と地方への権限委譲」の検討を同委に要請し、作業が始まった。
 同委では、中央省庁等改革基本法が公共事業について(1)国の直轄事業は全国的な基礎的、広域的事業に限定する(2)国庫補助金は国家的事業などに限り、他は統合補助金とする――との見直しを定めたのを受け、6月に第1次試案を示した。だが、関係各省は「すでに法に沿った形になっている」とゼロ回答だった。
 同委は「各省には変革期にあるという認識がない」との思いと国が職員を抱えて行う直轄事業を削減しないとスリムにはならないとの判断から、この8月にあえて厳しい内容の第2次試案(表)を提示。論議を起こして、対案を引き出すことを狙ったが、逆に激しい反発を招いている。
 ○族議員 「景気対策が優先」大合唱
 「直轄事業の指定基準をいま作っている。どう急いでも11月初めにならざるを得ない。直轄でやっているものは大部分は触れようがない。」関谷建設相は記者会見で、こう強調。自民党建設部会幹部も「省庁改革も分権もデフレ要因。この景況ではちょっと遅らせた方がいい」と景気優先で行革はその次という姿勢だ。農水、運輸両省も自民党の部会と連携して、反発を崩していない。
 先月下旬の自民党建設部会・地方分権小委員会(野呂田芳成委員長)では、「分権委は暴走しているのではないか」といった批判が相次いだ。第2次試案では、国の直轄事業費が例えば道路で10%、河川で75%も減ることから、建設部会が「条件の厳しい国土の整備、管理という国の責任への認識を欠く」としたのをはじめ、他の部会も同じように反論文書をまとめた。
 こうした党側の強い反発の背景に、公共事業が分権されると、その配分をめぐる議員の「働きどころ」が狭められる、との懸念があるようだ。自治省の1995年度行政投資実績では、道路、河川、土地改良、港湾の4公共事業だけで約20兆円が投じられ、このうち国の直轄事業は約6兆円、補助金は3兆円にのぼる。これをカットして地方に権限を移せば、予算と人員の削減につながるので省庁は嫌がるわけだ。
 ○官邸 落としどころ探る動きも
 小渕首相は8月の初の所信表明演説で「規制緩和と地方分権を通じ、中央省庁のスリム化を図る」などと橋本行革路線の継承を言明している。それだけに、手をこまぬいているわけにはいかない。野中広務官房長官は先月25日、関谷建設相ら3閣僚を招き、協力を求めた。今月初めには、山本有二自民党建設部会長らにも「分権は時代の要請だ」と説得した。
 分権委は、省庁が合意しないと実現性がないとして、これまで各省庁の納得を内々に得た上で勧告をまとめてきた。しかし、今回は厳しい抵抗を前に「今度は勧告ではなく、委員会としての意見を発表するだけに終わることもありうる」との悲観論すら出始めている。
 だが、地方分権の作業が遅れると、一応軌道に乗っている省庁再編に悪影響を及ぼし、小渕政権にとってマイナスとなるのは間違いない。このため政府首脳は「勧告を予定通りしてもらう。地方分権への取り組みが後退となるようなことはしない」と話す。
 官邸内には「分権委の第2次試案は行き過ぎだが、主要路線をのぞいた国道の維持・管理などは地方に任せてもいいのではないか」などと落としどころを探る動きも出てきている。首相らが省庁・族議員と分権委の間をどう調整していくのか。
 ●分権委の第2次試案の骨子
 道路   国直轄は高速道路と国道1号〜58号に限り、他は地方管理に
 河川   国直轄は2都道府県以上にまたがる一級河川などに限定し他は都道府県管理の二級河川に
 土地改良 国直轄は2都道府県にわたる一定規模以上に限る
 港湾   国直轄は特定重要港湾のうち、中枢的で水深の深い岸壁に限る
 補助金  市町村事業など身近な事業補助は一般財源化し、統合補助金を新設する

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問われる「税の配分」 「都市vs.地方」日本でも(政治家よ)
年月日   98年10月14日

 米国で新たに「市」を独立させる住民たちと、住民が属している郡の政府との対立は「税の奪い合い」の様相を帯びている。同時に、金持ちから貧しい人への「富の再配分」という政府の機能に対し、裕福な層や豊かな地域が抱く不満が表面化してきたともいえる。日本でも地方分権論議とからみながら、都市と地方での税金の使われ方の差は次第に政治の争点になりつつある。米国での論争として片づけるだけではすまない問題もはらんでいる。(経済部・堀江隆)
 市の独立が続くワシントン州キング郡の歳入は、不動産などの資産税と、日本の消費税に当たる売上税に頼っている。1996年度の売上税の税収は5,300万ドル(64億円)。市の独立がなければ  7,500万ドル(90億円)になったと郡政府は推計。2,200万ドル(26億円)は独立した市が持っていった計算になる。
 新しい市がすべての政府業務を引き受けるわけではない。警察は独自に持つが裁判や刑務所などは郡の仕事に残った。郡財政計画局によると、刑務所など犯罪対策費は急増し、郡の歳出の六割を占める。郡政府の幹部は「刑務所が欲しいと考える市はないから、面倒な仕事ばかりが郡に残る」と独立の動きを批判する。市と郡の税配分そのものの見直し論議も出ている。
 一方で、納めた税金に対するコントロール権は納税者にあるという原則論は根強い。92年、市の乱立に対抗して郡の減収分を新しい市に「手切れ金」として肩代わりさせる州法「歳入均衡法」を作ったカリフォルニア州では、同法の廃止を主張する議員も現れている。
 その一人、ブルース・トンプソン州下院議員は「住民が自分の運命を決めるのは当然だ。好景気で州や郡の台所事情も悪くはないから、独立にともなう減収はすぐ取り戻せる」と話す。
 カリフォルニア州では同法の規制が効いて、93年以降の5年間で市の独立はわずか三つだった。しかし今年は州内で17もの地域が市になる準備を進め、ブーム再来の気配だ。背景には好況を反映し、郡に「手切れ金」を払っても財政的に困らない地域が増えたことがある。財政的な負担で独立運動を抑止するだけでは、自立の動きは止まらないことを示したともいえる。「自分たちの政府」という住民の意識が回復しない限り、税をめぐる「独立」論争は続きそうだ。

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地方の配慮欠く 特別減税で名古屋市の保険料不足<解説>【名古屋】
年月日   98年10月 7日

 景気浮揚を目指した特別減税が、国民健康保険料の増額につながり、減税効果を相殺する。こんな事態を政府が思い描いていただろうか。国が決めた政策が地方自治体にどんな影響を与えるか――今回の問題は、地方の現場に対する政府のイメージの欠如を示した一例といえる。
 今回の特別減税は、橋本龍太郎前首相が昨年12月、突然、発表した。事務作業を簡略化するため、定額制という方式をとったことが、保険料アップへの影響を大きくした。
 名古屋市と同様、「税方式」による保険料算定をしている他の自治体にも、今回の問題はあてはまる。多くの人口を抱える自治体は、国保の保険料の算定事務を効率的に行うために、税とリンクさせてきた。
 札幌市も約20億円の影響を試算した。神戸市、福岡市も保険料の軽減措置をとり、川崎市は申請があれば軽減する。だが、いずれも不足分をどうするかはこれからだ。
 地方自治体側もこうした事態を想定しておらず、「国が決めた政策の後始末まで、なぜ自治体がやるのか」という不信感が広がっている。地方自治体は、景気対策疲れともいえる状況だ。減税で税収が減り、地方債で大量の公共事業を起こしている。
 政策を立案、決定する国。実行する自治体。この硬直的な構図が招いたひずみともいえる。権限と金を国から地方に移譲する「地方分権」を本気で進めない限り、根本的な解決はないのではないか。
(古川寛人)

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民主主義の機能する公共事業とは 浅野史郎(論壇)
年月日   98年10月 6日

 地方分権に関しての議論を、権限と財源をめぐっての中央と地方との綱引きととらえるべきではない。国益とは何か、公益とは何か、そして、本当の民主主義とは何かという観点からも論議されるべきものである。そのように信じる立場から、いくつかの論点を提起してみたい。
 地方分権は、国際社会の中で日本がこれまで以上に確固たる地位と発言権を確保するのに避けて通れない課題である。10月末をめどに、公共事業の分権策を検討している地方分権推進委員会が主張するように、国は、国にしかできない国際調整課題への対応能力を高めるために全力を尽くしてもらいたい。公共事業についても、国が直轄事業、補助事業を通じて全責任を負うという時代ではない。知事は県民に直接責任を負っているのであって、必要な公共事業を効率的に実施もできないようでは県民から見放される。
 大規模で困難な公共事業とか、財政力からいって県では無理というものは、今までどおり国で取り組むのが適当という意見もある。しかし、県が実施できないほど「大規模で困難」な事業とは具体的にどんなものなのか。「財政力」の問題は、財源の委譲も当然セットで考えるのだから、これを県でできない理由にあげるのはおかしい。高速道路や幹線的な国道、空港、重要港湾はすべて国が関与する事業と決めつけていいのかどうか。
 国と県の思惑が違ってくる可能性のある事業を考えてみよう。県境をまたぐ道路の首都圏に近い方の県の県境部分の整備、受益が複数県にまたがる大規模な多目的ダムといった、ごく例外的な事業以外には思いつかない。それを根拠に「やはり公共事業は国の責任で」となっていいのかどうか。
 国の直轄事業でも国の補助金付きの事業でも、「今年度はこの事業を対象とする」という国(各省庁)の「個所づけ」があるが、このルールが県の側からは「ブラックボックス」の中にあると見える。県プラス各種「応援団」の奔走は、明確なルールのないゲームで有利な扱いを求めてのものであるが、度が過ぎれば問題も生じかねない。
 奔走してまで補助金を受けると、今度はその執行に関して繁雑な事務がついて回り、県の職員から思考能力さえ奪ってしまう。しかも、補助金の配分をめぐる煩わしさは、受ける側だけにあるのではない。配る省庁の方の労力は、本来やるべき、たくさんの重要な仕事に振り向けてもらいたいものだ。
 次に、公共事業への国の関与が「縦割り」にならざるを得ないことからくる問題点について述べたい。
 公共事業の有用性に客観的な判断基準を求めるのはむずかしい。さまざまな公共事業の中で、どう優先順位をつけるかとなるとさらにむずかしくなる。例えば、次のようなことが起きうる。
 A事業は県では最優先と判断していた。しかし、これは国の直轄事業なので、○○省の判断で「やらず」となってしまった。逆に、B事業は県としてA事業よりずっと優先順位は低いと判断していたが、「幸いにも」××省の補助金がついたので執行することになった。さらに、C事業は県として優先度は極めて低かったにもかかわらず、△△省から「ぜひ消化して欲しい」との要請があり、執行することになった……。
 公共事業を種別ごとにバラバラにして、それが有用だ無駄だと論議しても始まらない。有用といえばすべての公共事業は有用なのであるから、県なら県のレベルで、ある年度の限られた予算をどの事業に優先的に振り向けるべきかという判断こそが重視されるべきである。
 「優先順位」をつけることは「劣後順位」をつけることでもある。後回しにされて不満を持つ県民への説明責任も免れない。この説明責任に加え、県民の多くがどういった事業を望んでいるのかを判断する感受性、時代性などを「政治」と呼ぶのかもしれない。そのためには県議会との真剣な論議も必要であり、そういったプロセスの総称が民主主義というものだろう。公共事業のほとんどが国の直轄ないし補助金つきというシステムの中では、公共事業に関して、この民主主義が機能する余地は限りなく小さい。
 (あさの・しろう 宮城県知事=投稿)

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田舎に住む(窓・論説委員室から)
年月日   98年10月 5日

 「田舎に移り住む人が少しずつ増え始め、この地域の農村部では、6年前と比べ人口が3%増えました」
ドイツのビュルツブルクを訪れた際、バイエルン州北西部を担当する農村整備局長は、誇らしげに語った。
 農地の整備にとどまらず、自然保護や美しい景観保全に努めた結果、都市部から人を呼び込むことに成功したのだ。いろんな人が移り住んできた。これまで通り、都市部にある勤務先に、電車や車でかよう人が多い。勤めをやめて、野菜や花づくりを楽しむ「定年帰農」組もいる。移り住んだ理由はさまざまだが、田舎のよさを再認識している点では共通している。
 交通渋滞がひどく、居住環境が悪化する一方の都市部にがまんして暮らすのと比べれば、空気がきれいで美しい田舎での生活の豊かさは、多少の不便を補ってあまりある。
 地方分権の進んでいるドイツには、東京のような巨大都市がない。都市の中心部から電車や車で二十分も離れれば、緑の多い田園地帯が広がる。だから、職場を変えずに、田舎に移り住むこともできるのだろう。日本の3大都市圏に住む現役のサラリーマンには、かなわない夢だ。
 日本で田舎に移り住むのは、Uターン組か、定年を迎えた高齢者である。その数も多いとはいえないが、「田園住宅」の勧めを説く農山漁村文化協会によると、確実に増えつつある。
 野菜づくりなどの農業は、高齢者に向いた仕事で、生涯現役でいられる。都会生活よりシンプルな田舎暮らしの方が、精神的に豊かさを感じさせてくれることも一因だという。
美しい農村景観を売りものに、都会の人を呼び寄せる自治体が出てこないものか。
 〈泰〉

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