「地方分権速報」(1998年9月分)」

朝日新聞に掲載された地方分権に関する記事を、月単位でまとめて掲載してあります。

目次

○9/30 行革や合理化、国がまず示せ(声)
○9/29 地方議会「器」から改革 議論活性化へ起爆剤?
○9/28 直轄国道の地方移管案は再考を 吉原俊嗣(論壇)
○9/27 教育の地方分権
○9/22 どう生かす「学校の裁量」中教審答申
○9/22 地方分権推進委は使命を果たせ
○9/22 学校の裁量、提言 住民参加の意義強調 教育の地方分権へ答申
○9/19 小渕首相、市町村長と懇談へ
○9/16 デジタル化で情報の分権危機
○9/15 教育長人事、議会同意に賛否 自治省「疑問」、文部省「指導力増す」
○9/10 省庁側、公共事業見直しに抵抗 地方分権推進委第5次勧告案
○9/10 地方の実情踏まえた分権論議を
○9/9 分権・行革と地方小都市の不安
○9/8 分権に逆行する財政しわ寄せ

行革や合理化、国がまず示せ(声)
発行年月日   98年 9月30日

 市川市 小川栄(無職 41歳)
 神奈川県の岡崎知事が「県財政が危機的状況」と、西田自治相との会談で配慮を求めたという記事が、19日の本紙にありました。同じ日の千葉県版には、千葉県の今年度歳入は約520億円不足の見通しと出ています。ほかの自治体の財政も、おしなべて深刻なようです。
 景気の低迷による税収減少に加え、政府のとった減税政策が大きく響いたためです。財政の制度は、国によって大枠が決まっていて自治体独自の部分は小さく、国の政策が自治体の財政にすぐに影響が出ます。現在、どの自治体も四苦八苦している様子がうかがえます。
 千葉県では、財源確保のため未利用の県有地の売却を決めましたが、歳入の不足額に比べて焼け石に水の印象です。
 自治相は岡崎知事に、地方行革や合理化など、歳出削減への努力を促しています。当然、それは自治体にとって必要不可欠なことです。しかし、政府の策が自治体の財政や行政にすぐに影響し、自治体が対応に追われる様子には疑問を感じます。
 行革や合理化は国にこそより緊急の課題で、出来るだけ国の機関はスリムにした上で、財政の裁量権をもっと自治体に移すべきではないかと思います。地方分権への動きは財政の面でも必要なことです。

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地方議会「器」から改革 議論活性化へ起爆剤?
発行年月日   98年 9月29日

        地方議会に議場の形を変える動きが広まっている。議長を背に議員仲間に向かって質問する「国会型」が定形だった。それが、質問席を首長と対面させたり、座席を丸く並べたり。「まともな議論が少ない」という住民側の空気を意識してか、議会としては「まず形からでも改革を」ということらしい。
 (地域報道部・大島具視、社会部・浜岸和洋)
 9月は地方の定例議会シーズン。大分県国東(くにさき)町議会の本会議では、一般質問を終えた町議がこう言った。「なにせ町長の顔を見ながら質問できる。気合が入った。今までは横にいたんだから」
 ここの町議会は3月、議員席の通路に新たに質問席を設けた。正面に議長席があり、町長以下の執行部がその両側に座る。町長は議長席の前の演壇で答える。従来はこの演壇で質問もしていた。
 発案したのは岩本峰雄議長だった。「議会は執行部のチェック機関。面と向かった方が緊張感が出ていい」
 徳島県川島町議会では3月、議長席を議員と執行部の間に移し、双方を見渡せるようにした。議長の役割を問い直した配置だ。
 福岡県宗像市議会の本会議はちょっと複雑だ。市長や議員ら「選挙で選ばれた人」の演壇、「助役以下の職員」答弁席、さらに「議員発言席」が別々にある。議員は演壇で質問した後、議員発言席に移り、執行部と相対して質疑を続ける。六年前に始めた工夫だ。
 全国市議会議長会の加藤幸雄調査広報部長によると、まだ地方の議場の大半は国会の本会議型。「明治期はロの字形などの議場もあった。昭和に入って現在の国会議事堂ができ地方も準じたらしい」という。
 それがこの数年、庁舎改築や議員定数削減で議場に余裕ができ、改革の動きが広まった。国会では首相を擁立した与党と野党ができ議員同士で議論するが、「住民が首長と議員を別々に選ぶ地方議会では、執行部と議会が論議するのが基本」という考えが深まったことも一因だ。
 「和」を重視した所もある。静岡県掛川市では一昨年、庁舎の新築を機に議場や座席配置を円形にした。ガラス張りの特異な庁舎には賛否両論があるが、円形議場自体は「地方分権の時代には議会と執行部が一緒に知恵を出す必要がある」と榛村純一市長が発案した。戦前から円形の名古屋市議会をモデルにした。
 もっとも、質問をする演壇は従来通り国会型である。その点、同じ円形でも高知県馬路村議会は2年前から自席で質問をしており、対面式の質疑応答になる。
 こういった議場改革で論議は活発になったのか。多くの議員が首をかしげる。「本会議で質問するのは青臭いという空気がある。このあしき慣習は議場の形を変えただけでは直らない」と掛川市議。国東町議も「実質的な論議をするのは全員協議会なのに、公開していない。議事録を作って公表するべきだ」と言う。
 議場の「形」を入り口に、「質」の改革の機運がどこまで高まるか。統一地方選を来春に控え、それが本当の課題である。

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  直轄国道の地方移管案は再考を 吉原俊嗣(論壇) 
発行年月日   98年 9月28日

地方分権推進委員会(諸井虔委員長)は公共事業に関する第5次勧告の試案で、国直轄管理の道路、河川、港湾などを限定し、他は地方自治体に移管、国庫補助金も統合し一般財源化するという考えを発表した。
 国道については、約460路線のうち、直轄管理は1号から58号までと高速国道とし、他の路線は直轄から外して地方に移管するというものである。その結果は大部分が自治体管理となり、財源も交付税などに一般財源化されることとなる。
 「中央省庁等改革基本法」には国が直接かかわるのは全国的な見地から必要な基礎的、広域的事業に限定するとうたっているが、三ケタ国道にはそうした機能と役割がないとするのはいささか空論に過ぎるのではないか。
 国はこれまで東京一極集中を是正し、多極分散型の国土づくりを目指してきた。均衡ある国土形成こそが国づくりの理念である。国の道づくりは国土形成の骨格をなすものであり、これと相照らすものといえる。国道の建設は地域の開発と地域経済の活性化を図りながら、均衡のある国土の形成を目的とした国家的動機と大義を有する事業である。約460の国道はいずれもこうした目的でつくられ、その使命を帯びつつ機能している。
 試案通りになると、自治体の行財政力の格差がそのまま道路行政に反映し、道路整備や維持管理に差が生じ、地域間格差をますます助長することになる。
 私の町は、滋賀県北西部に位置し、奥琵琶湖など光と水と緑に囲まれた自然豊かな田園地帯である。冬季は雪が多く県内でも有数の豪雪地帯であり、社会経済条件は厳しく、県南部、東部との格差は歴然としている。地域の活性化を図るには交通基盤を整備して、他地域との人、物、情報の交流を促し、さらに豊かな自然をはじめとする地域資源を開発し、今の閉塞(へいそく)状況を切り開くことを置いてほかにない。
 マキノ町を通過し琵琶湖の湖西地域を縦断する自動車交通の主軸となっている一般国道161号は、滋賀県と福井県にまたがり、環日本海の拠点港の敦賀港、および北陸地方と京阪神都市圏を最短距離で結ぶ延長85キロの重要な路線である。1967年から建設省の管理となっているが、道路事情が悪く渋滞や交通事故が多発、沿線の1市6町では長年にわたりバイバス整備を国に要望してきた。
 このたび地域高規格道路に位置づけられたこともあって、ようやく整備事業が本格化し、四車線整備のうち二車線供用の全貌(ぜんぼう)が見えてきたことに地域住民は安堵(あんど)した矢先の試案である。
 整備率が半ばにも満たない現状で、地方に移管されたとき、いまの整備計画は頓挫(とんざ)するのではないか、機能は維持されるのか、不安である。また複数県にまたがる道路が地方に移管された場合、各自治体の整備方針や管理システムに整合性を欠き、道路の一体性に支障をきたさないか大いに疑問がある。さらに自主財源に乏しい自治体にとって道路財源が地方交付税などに一般財源化されればいずれ将来、なし崩し的にカットされるのではないかとの不安もぬぐいきれない。
 道路は、高規格幹線道路とそれらを結ぶ地域高規格道路、それに三ケタ国道を含むすべての直轄国道との全国ネットワークを確保し、体系的、一体的に整備してこそ機能は発揮できる。これは遅れた地方の社会資本を整備充実し、ナショナル・ミニマム(国民最低限の行政レベル)を確保するうえで重要である。
 「集権型システム」から「分権型システム」への転換が叫ばれ、それに沿った行財政改革に取り組まねばならないこと、そのための中央省庁の再編やスリム化、地方分権の受け皿づくりが重要であることはいまさら論を待たない。しかし、今回の直轄国道見直しの試案は、単なる行革サイドや地方分権の文脈からのみの発想であり、それらとは次元の異なる道路本来の機能論としての視点が欠落している。総論先行、各論不在の分権論、いわば総論による無差別ローラー作戦の感がする。角をためて牛を殺すことのない腎明な行革論、分権論を期待したい。
 (よしはら・としつぐ 滋賀県マキノ町長=投稿)

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教育の地方分権 学校現場の「判断」拡大(みんなのQ&A)
発行年月日   98年 9月27日    

 Q 「教育の地方分権」という話が出ているけど、どういうことなの。
 A 中央教育審議会が文相に出した答申のことだね。一言で言えば、文部省が都道府県や市町村の教育行政のやり方を事細かに指図していたのをやめて、学校現場の判断でできることの範囲を広げ、住民にもどんどん意見を言ってもらおう、という話だよ。
 Q いままでは校長が市教委のご機嫌をうかがってばかりで、自分の考えが伝わってこなかったけど、学校の権限が強まれば少しはよくなるわね。ところで、小中学校の通学区域制度が変わるというけれど、うちの子が通う学校は、住んでいる場所で自動的に 決まっちゃったわよ。
 A 文部省は長い間、通学区域を設けて厳格に守るように全国一律に指導し、うちの市もそれに従ってきたんだ。これからは、ぼくたち住民が「子どもが通う学校を選べる制度にしてほしい」という意見でまとまれば、市教委は制度を変えることになるんだ。
 Q 文部省とか中教審というと、いままでは頭が固いという印象だったわね。手のひらを返したように「分権」と言い始めたのはどういうわけなの。
 A 文部省は去年の1月に「通学区域を弾力化してもいい」という通知を都道府県教委に出し、それがきっかけで一部の市町村で弾力化が始まった。でも、自発的に通知を出したのではなくて、行政改革委員会がその前の年の暮れに自由化を提言したのを受けてのことなんだ。行革の流れに逆らえなくなり、ようやく重い腰を上げた、という面もあるね。
 Q 「学校がきらい」とか「学校がおもしろくない」という子どもが多いけど、そういう問題はどうするつもりなのかしら。
 A 学校を地域に開かれたものにして、学校が一手に引き受けてきた子どもの教育についての責任を、地域住民にも分担してもらおう、というのが中教審の考え方だ。
 Q 住民が学校運営に参加できるようになるというけど、どういう仕組みになるの?
 A 地域住民の代表として、授業内容や生徒指導について校長に直接意見を言う「学校評議員」という制度ができるんだ。いままでのPTAが学校の外の組織だったのとは違って、地域住民の代表を学校の中に引き込む形だね。
 Q 「評議員になりたい」と声を上げれば、私でもなれるのかしら。
 A そう簡単にはいかないんだ。まず、学校評議員を置くかどうかは自治体の判断だから、どの学校にも必ず置かれるわけではない。それに、校長が推薦して教委が委嘱する仕組みになるから、人選は校長の意向次第だ。結局は町内会長とか、同窓会長をやっている有力な卒業生とか、地域の名士タイプの人がおさまるんじゃないかな。
 Q なあんだ。そんな制度、意味ないわ。
 A まあ、そう言わずに。校長が年度初めに開く説明会とか、教委の公聴会とか、ぼくたちが意見を言う場はいろいろできるから、積極的に声を上げていこうよ。
 (大野博=政治部)

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どう生かす「学校の裁量」 中教審答申(社説)
発行年月日   98年 9月22日

 中央教育審議会が、「教育行政の地方分権化」を掲げる答申を出した。
 各学校の裁量の幅を広げ、地域に根ざした自主的・自律的な学校づくりをめざす。そのため文部省などによる「口出し」はできるだけ減らす。そんな内容である。
 「上意下達」の教育行政が、教育現場を縛り、硬直させてきたことは明らかだ。改善に踏み出すのは当然だろう。
 中教審は一昨年、「ゆとりの中で、生きる力をはぐくむ」ことを教育の基本方向とする、という考えを打ち出した。これを受けて、教育課程審議会が今年、「特色ある学校づくり」などを提言した。
 その実現には、学校の自主性を制度的に保障することが欠かせない。そこで、今回の答申となった。
 答申は、「40人学級」を下回る編成や教職員配置について、都道府県、市町村の裁量を広げるとうたっている。
 教育長の任命承認制度を議会同意制に改める。宿泊を伴う学校行事を、教育委員会の承認から届け出に変える。そんな提言もある。こうした分権・自由化は好ましい。とくに注目されるのは、「学校を地域にもっと開こう」という呼びかけである。
 答申は各学校に、教育目標や教育計画を、年度当初に父母や地域住民に説明するよう求めた。教育活動などについて、地域の有識者らが校長に意見を述べる「学校評議員」制度の創設も打ち出した。
 地域に根ざし、保護者の信頼を得てこそ、学校は自主的な教育を試みることができる。その点で、提案を評価したい。
 とはいえ、不十分な面も残る。たとえば、教育委員会制度について、現在の枠組みを維持したまま、「増員なども可能とする」というにとどまった。学校選択の自由にからむ通学区域の決め方についても、「弾力的運用に努める」と、あいまいな表現に終わった。そもそも、いまの受験競争をそのままにして、きれいごとをいっても限界がある。入試制度の改革努力も、続けていかなければならない。子どもたちのために今回の答申を生かせるか、それとも絵にかいたもちに終わるのか。それは、文部省や教育委員会、それに校長や現場の教師らが、どれだけ意識を変えていくか、にかかっている。
 文部省が自由化をいうと、しばしば「何をしたらいいのか、例を示してほしい」との要望が地教委や学校側から出るという。「指示待ち」「横並び」の惰性が、教育界全体にはびこっている。
 一方で、答申を先取りするような動きも各地にある。神奈川県横須賀市立鷹取小学校では、余裕教室の使い方について、地元の多くの人たちや教員代表でつくる協議会で、2年半、徹底的に議論した。
 PTA会員へのアンケート、児童たちの意見も加えた結果、広い畳の集会室や、老人デイサービスセンターができた。地域と学校の結びつきは強まっているという。答申では「学校評議員」は校長が推薦することになっている。形式的なものにならないよう、公募枠をつくったり、子ども代表を入れたりする工夫も必要だろう。どんな教育が望ましいのか。教師と父母や子どもたちが心おきなく話し合い、実行に移していく。その好機としたい。

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地方分権推進委は使命を果たせ 並河信乃(論壇)
発行年月日   98年 9月22日      

 地方分権推進委員会(諸井虔委員長)は、10月末をめどに、国の直轄事業や補助事業の範囲の限定を柱とする公共事業の見直し作業を行っているが、これが立ち往生しているようである。
 もともとこの作業は、昨年末、地方分権の進め方について第4次までの勧告を出して作業が一段落した推進委員会に対して、当時の橋本龍太郎首相が特に要請して始められたものである。中央省庁再編が単なる数あわせだという批判を、中央省庁の仕事を地方に移すことによってかわそうとする狙いである。
 今年6月に成立した「中央省庁等改革基本法」第46条には、国の行う公共事業は特に必要のあるものだけに限定し、その他の事業は地方にゆだねることを基本とすることが明記されている。この法律の国会審議においても、建設省と運輸省、国土庁、北海道開発庁をあわせて新設される国土交通省が巨大な公共事業官庁になるのではないかという疑念は野党のみならず与党からも出された。これに対して、橋本首相は「公共事業については、まず国と地方の役割分担を徹底して見直す」と述べ、さらに建設大臣や運輸大臣も、巨大化の懸念を一掃するために努力する旨答弁を行っている。
 このような重要な役割を担わされているのが地方分権推進委員会なのであるが、その作業は、心配されたとおり、建設省や農水省、関係議員らの抵抗にあって難航し、10月末の第5次勧告のめどはたっていない状況のようである。自治体を巻き込んでの反対運動も行われている。
 しかし、この作業がとん挫するということは、国土交通省をそのまま巨大な官庁とするということであり、これは法案審議の過程で政府が行った約束を破ることになる。
 もともと、中央省庁再編より前に分権や規制緩和を徹底させるべきだとの意見が強かった。しかし、手順は逆ではあるが、この中央省庁再編が地方分権などの実現に結びつくならば、この法律はそれなりの役割を果たすことになるという期待もあった。しかし、この期待が裏切られ、今よりもはるかに強大な官庁が出現するとなれば、中央省庁再編とは百害あって一利なしという結果になってしまう。
 小渕恵三首相は、8月7日の所信表明演説において、政治主導のもと既定方針どおり作業を進め、来年4月には事務の範囲を定めた各省設置法など再編関係法案を国会に提出することを表明している。しかし、前任者が国会で行った約束を破り、巨大官庁を生み出すような法案ならば、成立させてはならない。
 では、膠着(こうちゃく)状態となっている現状をどう打開するか。
 まず、首相をはじめとする各閣僚が、分権推進委員会の作業への協力の意思を明確にし、各省や党内をまとめる努力を払うことである。また、改革基本法にもとづく作業に対するお目付け役として置かれている顧問会議も、首相に対して注意を促すべきである。さらに、新たに発足した首相の諮問機関である経済戦略会議も、公共事業の見直しを課題として掲げているようであるが、ゼロから議論を始める前に、現在難航している推進委の作業をバックアップをすることが先決であろう。手を尽くして、まず首相に注意を喚起することが必要である。
 それでも、なお官邸の動きが鈍い場合はどうすべきか。推進委としては、依頼主(首相)からの注文がキャンセルされたと考えて、直ちに作業を中断すべきである。あるいは、実現可能性という呪縛(じゅばく)を脱して、作業内容について各省庁とのすりあわせをやめ、5年あるいは10年先を見据えた、長期的なあるべき姿を大胆に描き、その取捨選択を政治の責任において行わせる道を選ぶべきである。同時に、委員会としても今のような密室審議を改め、広く世論のバックアップを求める姿勢が必要である。
 地方分権とは、単に国と地方の権限争いや損得の押しつけあいではない。制度疲労が目立つ日本の中央集権的な政治・行政システムを変革し、民主主義を復活させるための壮大な試みである。分権推進委員会としては、今後の改革推進のためにも安易な妥協を排し、政権に対して毅然(きぜん)とした態度を示すべきである。
 (なみかわ・しの 行革国民会議事務局長=投稿)

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学校の裁量拡大、提言 住民参加の意義強調 教育の地方分権へ答申
発行年月日   98年 9月22日

 中央教育審議会(会長・根本二郎日経連会長)は21日、教育行政の地方分権を進めるよう求める答申をまとめ、有馬朗人文相に提出した。答申は地域住民が学校運営に積極的に参加することの意義を強調したもので、人事や学校運営などについての権限を文部省から都道府県教委や市町村教委に移し、個々の学校の裁量を拡大すべきだと指摘している。具体策として、小中学校の通学区域や学級編成の弾力的運用、地域住民が学校の運営に参加する「学校評議員」の新設、教育長の任命承認制の廃止などを盛り込んだ。文部省は関連する法律の改正案を来年の通常国会に提出する方針だ。
 中教審は、教育行政への住民参加や、地域ぐるみで子どもの成長を支援する態勢をつくることが必要だとしている。
 「学校評議員」は、市町村や都道府県の判断で設置できるとしている。一校につき10人前後で、町内会長、青少年団体の代表やPTA役員などを想定している。
 このほか、(1)各学校が各年度の当初に、その年の目標や計画を保護者や地域住民に説明し、達成状況についても報告する(2)地域内の小、中、高校の連携を進めるため、合同で部活動や野外体験活動をしたり、高校の先生が近くの小中学校で教壇に立ったりすることができるようにする――などを提言している。
 学級編成については、都道府県が独自に「40人学級」より少ない基準を設けること、などをあげた。また、教員免許がなくても教育に関する仕事を10年以上経験した人の校長への登用、校長の権限の強化、なども盛り込んでいる。
 さらに、通学区域の見直しにあたっては、公聴会を積極的に開くことを求めている。
 一方、教職員の人事も今後は、一つの学校に長く勤務したり、同じ学校に繰り返し赴任したりするケースを増やすよう求めている。

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小渕首相、市町村長と懇談へ(永田町霞が関)
発行年月日   98年 9月19日       

   西田司自治相は18日の記者会見で、10月23日に首相官邸で市町村長の代表者と小渕恵三首相との懇談会を開くと発表した。これまで政府は毎年秋に官邸で全国都道府県知事会議を開き、知事と首相や閣僚との懇談の機会を設けていたが、市町村長との懇談会は今回が初めて。全国市長会や全国町村会からの要望を受けて実施する。約20人の代表者が出席し、地方財政問題や地方分権の推進などを話し合う。

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デジタル化で情報の分権危機 金井宏一郎(論壇)
発行年月日   98年 9月16日 

   地球的多国籍メディアの話題しきりだが、市民がふだん地元のテレビなどから当たり前のこととして得ている地域情報がいま、危機に瀕(ひん)していることを訴えたい。 ある地域の災害や事件、政治、経済、文化、スポーツ、環境、医療といった情報は、その地域の人々のライフラインであり、地域の諸活動を支えている。「情報の地方分権」とは、地域の人たちがどれだけ豊かにこの地域情報を得られるかということであり、前提として情報の送り手である地元のテレビ局や新聞社が健全で、経営的にも安定した状態が必要である。
 ところが、テレビに限っていえば、到来しようとしているビッグバンが地方のテレビ局の存立を根底から覆す恐れがあるのだ。
 ビッグバンというのは、2,000年ごろから本格化する衛星デジタル放送局の開局と、今の地上波テレビの総デジタル化政策である。最終的には全国の家庭のテレビ一億数千万台が買い替えられることを計算にいれた、郵政省主導の国家10年計画である。
 デジタルテレビは高画質と多チャンネルなどが特長で、視聴者は鮮明な画像や今より以上に豊富な専門分野の情報が得られ、すべての点でより便利で信頼できる情報源になるといわれている。
 ところで、地方のテレビ局の経営は現在、東京キー局を中心にした地上波ネットワーク制度によって支えられている。地方局の収入の大半は、ネットワークから配給される番組の前後にはさむ局独自のスポット広告、及び番組内のCM料金の配分などによってまかなわれている。地方局がつくる自社番組はゴールデンアワーであってもほとんど赤字で、ネットワーク制度がその穴埋めを保障するという形が定着している。地方局では自社番組の制作比率と財務上の利益率が比例しないのだ。
 仮に、衛星デジタル放送に今地方局経由で放送中のネットワーク番組がCM付きですべて移行するとすると、各家庭の受像機がデジタル対応になっていれば視聴者は衛星から直接受像でき、地方局を経由する必要はなくなる。地方局は収入の源を失うわけで、例えばわが社で試算すると七〇%以上の収入減を覚悟せねばならず、今まで通りの企業形態では存続できない。
 一方、地方局自らがデジタル波を送信しようとすれば膨大な設備投資を迫られる。その負担で2,010年にはほとんどの地方局が赤字決算という試算もあるほどで、地方局同士の吸収合併も起きるだろう。
地方局はこれまで地域に根差した番組をつくってきた。が、そのほとんどは地元以外で見ていただく機会がない。いま広島では、地元民放四局とNHKを合わせた地元番組の延べ放送時間は平日で1日8時間以上に達している。また、民放のうち3局が夜のゴールデンアワーに1時間ものを週3本並べている。日本のテレビ界は情報の地方分権が定着しつつあると言っていいだろう。
 ビッグバンに備えて、地方局自身もこれまで厳しいスリム化に取り組んできた。北海道のある局は最大時八百三十一人の社員が今三百四十六人に、九州の某局は五百六十九人が二百九十九人に減ったが、地域ジャーナリズムの旗印を降ろすことなく、自社番組を時間数で2倍に増やしている。
 地方テレビ局の経営に携わる人間が以上述べたような発言をすれば、局の存続を狙ったエゴではないかと批判されそうで、広く世の中に訴えるのをためらってきた。だが、デジタル化がなんの規制もなく進行すれば、地方局の従業員が職場を失うだけではなく、情報の集中化・画一化とメディアの集権化を招き、情報の地方分権は崩壊し、ひいては地域の文化を消し去ってしまうのではなかろうか。
 情報の地方分権を高めることは地域の民主主義を成熟、発展させる基本条件だと確信する。その担い手のひとつにテレビを数えるのならば、テレビ局の経営は経済合理性だけでは判断できないはずだ。
 アメリカの大統領と日本の首相の姿はよく見かけるが、地元の知事や市長の顔は知らないという市民ばかりという話が、現実になるかも知れない。
 (かない・こういちろう 中国放送代表取締役専務=投稿)

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教育長人事、議会同意に賛否 自治省「疑問」、文部省「指導力増す」
発行年月日   98年 9月15日       

 地方自治体の教育長に対する国などの事前承認制を廃止する後の任命方法をめぐって、文部省と自治省が対立している。文部省が事前承認制に代わって、議会の同意制度を採用する方針なのに対し、自治省は教育長の政治的中立に反することになりかねない、などと反発しているからだ。
 都道府県の教育長は現行制度では、教育委員会が文相の承認を得て任命。市町村では、教委が教育委員の中から都道府県教委の承認を得て、任命する。これについて、地方分権推進委員会が「自治体が自主的に決められない唯一の人事」として、承認制の廃止を勧告。文部省は受け入れたが、代わりに副知事・助役、出納長・収入役と同じように各地方議会の同意を求める方針だ。
 文部省はその理由として、「教育委員会がより主体的、積極的に施策を展開していくために、教育長が議会から直接信任を得ることで、そのリーダーシップを高め、住民への責任を明らかにすることが極めて効果的」(中央教育審議会の今春の中間報告)との点をあげる。
 これに対し、自治省は知事ら首長と議会の多数派を占める政治勢力が違う場合に、副知事や助役の議会同意がなかなか得られず空席が続く例があることなどから「政治的な中立が保たれるか」との疑問を示す。文部省は、教育長を副知事らと同格の四役へ格上げすることと、教委が人事案件の提案権をまず握って、将来は教育予算案を提案することまで考えているのではないか、とも見て、対立している。調整は年末までもつれる、との見方が強い。

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省庁側、公共事業見直しに抵抗 地方分権推進委第5次勧告案
発行年月日   98年 9月10日 

 2,001年に再編される中央省庁のスリム化のため、地方分権推進委員会(諸井虔委員長)が10月末に向けて検討している、公共事業の分権を柱にした第5次勧告が難航している。中央省庁等改革基本法と橋本龍太郎前首相の要請に沿って分権委が8月に、国の直轄事業の範囲や補助金の縮減など大胆な仕事減らし策を第2次試案で示したが、建設省や族議員らが反発しているからだ。基本法がある以上、省庁側も反対するだけでなく、スリム化の対案を出すべきだ。  (田嶋義介・政治部)
 テーマごとの試案と反対論は次のようになる。
 《道路、河川》 道路では、国の直轄と管理の範囲を高速道路と459路線ある国道のうち、国道1号から国道58号まで(鹿児島市―那覇市)の基礎的な国道に限り、他は地方が管理する。
 河川は大規模なダムと災害復旧工事などを除いて、109の一級河川のうち、国直轄は複数の都道府県にわたる水系などに縮小し、他は都道府県管理の二級河川にする。
 分権委の考え方は「道路と河川は高度成長前までは都道府県が原則として管理してきたし、今は地域のニーズに沿った整備と管理が必要だ。一本の国道に、国と地方の管理が混在する二重行政による無駄がなくなる」というものだ。
 これに対し、関谷勝嗣建設相は「地方から『これを地方道に下ろしてくれ』という陳情は一件もない。直轄を地方に権限移譲するだけの受け皿もできていない」と反発。自民党建設部会も3日に地方分権小委員会を設け、野呂田芳成元農水相を委員長に据え、反撃態勢に入った。小委では、「ほとんどの市町村は国の直轄での基盤整備を望んでいる。分権委の思いと現実は違う」「堤防などは国にやってもらわないと、財源のない市町村がやった堤防は決壊する、といった矛盾をはらむ」などの反対意見が続出した。
 《港湾》 港湾関係の直轄事業は、今は全国120の重要港湾などで国と港湾管理者の自治体との間で協議が整えばできる仕組みだ。試案は、それを横浜港など特定重要港湾のうち東京湾などの中枢的な港湾で、水深が深い岸壁に限るか、港湾管理者がすべての事業を進め、国に委託できるようにする、と提案する。
 再編で建設省と合体する運輸省の羽生次郎運輸政策局長は「社会資本の中でも、港湾は外国などへ行くためのもので、もともと広域的だ。管理は自治体の港湾管理者に任せており、分権的だ。それなのに、他省庁と一律に縮減、というのはおかしい」と反対する。
 《土地改良》 かんがい排水などの土地改良では、国直轄は受益面積が3,000ヘクタール以上の事業で全国約200カ所、都道府県営や市町村営などで国の補助事業が約13,000カ所で実施されている。試案は、直轄を複数の都道府県にわたる一定規模以上などの事業に限るか、都道府県が実施し、国に委託できるようにする、の両案を示す。
 これには、高木勇樹農水事務次官が「直轄事業は限定的に実施してきている。食糧の安定供給という国の責任を果たすための基幹的なものだ」と反論する。
 《補助金》 自治省の行政投資実績によると、この四公共事業に一九九五年度は地方単独事業を含めて十九兆七千億円が投じられ、国直轄は約3割の6兆2千億円。国費は直轄に4兆9千億円、補助金に3兆1千億円。市町村事業は5兆円だが、7千5百億円の国の補助が出ている。
 試案は(1)国直轄事業の縮減分は都道府県が担うので、その分の財源を移譲する(2)個別補助金は基本法の事業に限り、市町村事業など住民に身近な事業への補助金は一般財源化などを進める(3)残る補助金を統合補助金にする、と注文する。
 これにも、各省は「市町村事業への補助も基本法が認めているものだ。統合補助金は内容がはっきりしない」と拒否の構えだ。
 自民党建設部会には、「まず経済を立て直してから分権に取り組むべきだ」と、景気回復のための公共事業優先論が強い。だが、分権委も公共事業削減を求めてはいない。住民の要求に合わせやすくして無駄を省き、補助金減により、自治体は申請の、国は審査にかける労力を減らして効率化を図る、と主張する。
 省庁再編はスリム化が目標だったはずだが、ほとんど前進はない。これでは巨大官庁が生まれるだけで、省庁は国民からますます見えにくくなる。
 諸井委員長らは「試案には固執しない」という。省庁から譲歩を引き出したいからだ。分権委幹部は「先の参院選は、政府・自民党が既得権集団だけを大事にしていると、無党派層が投票すれば簡単に負けることを示した。そこを考えて対案を出してくれるだろう」と期待しているのだが…。
 ○中央省庁等改革基本法
 2条(理念)中央省庁等改革は国の行政組織、事務・事業の運営を簡素・効率的にする
 46条(公共事業の見直し)1、国が直接行うのは、全国的な政策・計画の企画立案、全国的な見地から必要とされる基礎的又は広域的事業の実施に限定し、他は地方公共団体にゆだねていくことを基本とする 2、国が個別補助金を交付するのは国直轄事業関連、国家的な事業関連、先導的な施策、短期間に集中的にする必要がある事業等特に必要があるものに限定し、他への助成はできる限り適切な目的を付した統合的な補助金を交付し、地方公共団体に裁量的に施行させる

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地方の実情踏まえた分権論議を 高橋和雄(論壇)
発行年月日   98年 9月10日       

   新内閣の組閣から1カ月。厳しい不況に対処するため、政府は財政構造改革法の凍結と、公共事業を中心に今年度2次補正も含めた15カ月予算の編成方針を打ち出した。厳しい景気停滞感が国全体を覆うこの時期に前向きの方針を打ち出した意義は大きい。地方においても国と共にこの状況を乗り越えるべく努力することが必要であるが、厳しい財政運営を強いられていることは同様である。今後はそうした地方の実情にも配慮した政策展開を期待したい。
 そうした中で、中央省庁等改革基本法が施行され、地方分権と相まって新しい体制への移行に向けた議論が急になってきている。8月には地方分権推進委員会(諸井虔委員長)が、10月の第5次勧告に向けた試案を「論点の整理」としてまとめている。そこで、ここでは地方分権と公共事業や補助金の見直しについて、大方の自治体が抱えている課題を提起する。
 第1は、財源の問題である。既に国の権限を地方に移譲することや機関委任事務の廃止などが明確になっており、それに伴って自治体は受け皿体制整備の段階に入る。しかし、分権確立に不可欠なのは財源・税制問題である。これを先送りや手付かずにすれば、地方分権は画竜点睛(がりょうてんせい)を欠くことになり、国依存、国指導の実態は改まらない。ぜひ財源の議論を同時に進めるべきである。
 ちなみに、山形県では今年四月から従来は市町村に対して個別に交付していた何種類かの補助金を、一括して総合交付金として交付し、市町村が弾力的に使える独自の制度を創設したところであり、今後拡充して行く考えである。これにより市町村の財源の強化と事務の簡素化が図られた。同様のことを、補助金の整理統合化を図りつつ国でも実施されてはどうか。同時に現行の交付税の枠を拡大し、基準を明確にして透明性を高める。この二つを直ちに措置すれば、分権が動き出したという実感を持つことができるだろう。
 また、現在検討中の税制のうち、地方の法人課税については、(1)企業が受けている行政サービスに見合った応益課税としての性格を明確にする(2)安定的な税収の確保を図る、という観点から、グループ企業を一つの企業とみなして課税する連結税制度や、景気の影響を強く受ける所得ではなく、事業の規模や活動量に応じて課税する外形標準課税の導入が必要である。さらに、景気対策としての減税は地方税に負担が偏らないようにすべきである。
 次に、公共事業について二つの面から考えてみる。一つは公共事業そのものについてであるが、国の骨格をなす高速道や国道などの幹線道路や鉄道、大河川の治水、重要港湾、空港などの建設は国の事業に、また地域性の高いものは自治体の事業に、と明確にする必要がある。
 分権委の「論点の整理」では、公共事業の大部分について単純に自治体に事務事業を移譲するとしているが、理念や観念論に陥り、国と自治体の役割や規模、能力、社会一般の認識などの現実や実態からかけ離れ、実効性を低下させる恐れがある。やはり、国の長期計画や財政力を勘案して役割分担を決めるべきである。国と自治体の公共事業の役割分担については固定的に考える必要はない。社会の実勢に着目して、大規模で困難な国策上の公共事業は国の責務として、その責任において積極的に取り組むべきである。
 公共事業には投資効果や緊急性、必要性などで多くの批判もあり、見直し改善すべきことも多い。事業の透明性を確保しつつ、役割分担に関する客観的な基準を明確にしながら、国と自治体とで十分協調しつつ進めることが必要である。
 もう一つの面として、自治体は人口や財政力などにおいて多様な規模で存在しており、個々の努力だけに頼っていたのでは社会資本の整備に大きな地域格差が生じ、結果として地域の発展が阻害される恐れが出てくる。したがって、公共事業における国と地方の役割分担は、単に経済・財政効果の面からだけでなく、地域政策の視点からも考えるべきである。これまで一極集中の弊害が指摘されつづけ、国土計画などでは全国の均衡ある社会資本の整備が強化されてきたことを、われわれは改めて深く考える必要がある。 
(たかはし・かずお 山形県知事=投稿)

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分権・行革と地方小都市の不安 山根敬則(論壇)
発行年月日   98年 9月 9日     

 国の行財政改革の基本方針は、行政システムを集権型から分権型に転換するとともに、中央省庁の再編成と国家公務員の削減による、中央政府のスリム化であると、私なりに認識している。むろん、これらに異論を唱えるつもりはない。
 しかし、中央での議論は、国と都道府県や政令都市、中核都市といった大都市の視点で論じられることが多く、地方の小都市の立場がなおざりにされている。私が市長を務める玉野市をはじめ、全国の都市の大多数を占める人口10万人以下の448都市は、このことに不安を感じ、危機感さえ持っている。
 一点目は、国道・港湾をはじめとした公共事業における分権である。 例えば、現在、国道の約40%が国の直轄管理で、残りは地方(都道府県)の管理となっている。これを地方管理の割合を増やす方向で、地方分権推進委員会が検討し、関係省庁と協議している。また、港湾についても特定の少数の港湾以外は地方への管理移譲が検討されている。管理が国直轄から地方に移ると、どのような事態が想定されるか。分権推進委では、(1)国への陳情が減り、その分経費が節減できる(2)各地の実情に詳しい県の方がきめ細かな施策を展開できる、などと説明しているようだ。そうだろうか。私は国の予算獲得への陳情は残ると思う。さらに具体的な事業の個所づけをする県への陳情が新たに加わるわけで、以前にも増して地方都市同士の競争が熾烈(しれつ)になることは間違いない。そして、県庁所在地などの中核都市が優遇され、力の弱い小都市が泣くことになりはしないか。大都市では道路建設不要論もあるが、地方の小都市ではいまだに道路整備が遅れている。住民生活の根幹をなすインフラ整備に競争原理が持ち込まれ、中核都市と小都市との間に新たな格差が生じてはならない。地方の小都市にとっては、道路整備によって企業誘致が容易となる。中核都市の近隣都市にあっては、ベッドタウン化が促進され、人口増も期待できる。また、アクセスの良さを生かし、交流人口が増えれば、地域経済の活性化につながろう。港湾整備も港を抱える小都市にとっては、道路同様に重要である。港は、物流・人流のための施設というだけでなく、港湾業者やその港を利用する企業など、地域経済に大きな役割を果たしているからだ。
 二点目は、国家公務員の削減計画である。これは、本来まず中央省庁のスリム化でなければならない。私の地元にある宇野港は、小さいながら古くから国際貿易港として栄え、まちの経済を支えてきた。ところが、この夏突然に入国管理局や植物防疫の出張所(国の出先機関)の撤退案が持ち上がった。計画ではこれらの機能を近隣の中核都市に吸い上げることになっている。これは、地元にとって、港の機能を部分的に失うだけに止まらず、関連業者などの引き揚げによる地域産業の低迷をもたらす深刻な事態である。それは、地方での一極集中を新たに作り出すことになりはしないか。
 小さな政府とは、地方の住民の安全や利便性を損なったり、地方行政を圧迫したり、発展を妨げるものであってはならないはずだ。
 国家公務員の削減は省庁の再編成と並行して、まず、中央官庁を中心に行うべきである。末端業務ではあるが、それゆえに国民生活や地方に直結する出先機関を撤廃するなら、その影響を十分に勘案する必要がある。安易な撤廃を避けるのはもちろん、撤廃がやむを得ない場合は、ほかの国の機関の職員との併任や地方公務員への委任などの代替策を柔軟に検討すべきであろう。法制面など難しい点はあろうが、少なくとも機能を残すことが、地方小都市にとっては重要なことなのである。
 言うまでもなく、地方分権は地方のためになるものでなければならない。特に、地場産業の衰退で苦労している地方の小都市がアイデアと情熱を持って、個性と活力ある地域づくりに取り組むにあたって、心強い応援団になるべきだ。国の行財政改革も地方の努力に水を差してはならない。間近に迫った21世紀は、豊かさとゆとりが肌で感じられる、地方の小都市ならではの良さが着目される時代になると確信している。
 (やまね・よしのり 岡山県玉野市長、中国国道協会会長=投稿)

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分権に逆行する財政しわ寄せ 竹内謙(論壇)
発行年月日   98年 9月 8日       

 8月3日夕刊(一部地域は4日朝刊)『窓』欄の「ふるさと創生」の記事を読んで、ちょっと気掛かりな点があった。「自治体の自主性を奪う補助金方式はやめ、地域振興は自治体の知恵比べに任せたらいい」といった記事の趣旨には全く賛成なのだが、引っかかったのは「(1988年)当初の(ふるさと創生)事業は、全国の約3,300市町村に『何に使ってもいい』お金として、一律1億円を配った」という部分だ。
 「約3,300市町村」とは、全国の全市町村に配布したという意味だろう。確かに自治省もそのように説明しているから誤解が生じやすいのだが、実は「財政力が豊か」との理由で地方交付税をもらっていない百数十の市町村、いわゆる「不交付団体」はふるさと創生事業費はもらっていないのだ。なのになぜ、自治省は「全市町村」と説明するかといえば、ここが官僚的なところなのだが、「交付税額をはじき出す計算には入っている」というのだ。つまり計算には入れたが、不交付団体はそれでも基準財政需要額を上回る自主財源があるから、実際の事業費はいかないという論理だ。
 ふるさと創生事業だけなら目くじらを立てる必要もないのだが、政府は今、あらゆる行政分野で、こうした欺瞞(ぎまん)的な論理を使って、国の財政破たんを地方へしわ寄せしている。その実態を知ってもらわなければ、今日の政治状況は理解できない。
 例えば特別減税で考えてみよう。この中には国税(所得税)ばかりでなく、市町村税(住民税)もある。政府の突然の決定に、市町村は起債(減税補てん債)で財源の手当をすることになるが、「起債の元利償還金は交付税でみている」という政府の言い分は、不交付団体には何の意味もない。鎌倉市が、94年度から5年間で特別減税のために借り入れた額は約100億円。利子を含めれば百数十億円になるが、すべて鎌倉市民の負担。一般会計規模が600億円だから、その額がいかに大きいかお分かりいただけよう。
 厚生省は今年度から突然、がん検診、休日夜間急患センター運営事業、妊婦・乳児健康診査など多くの補助金を打ち切った。厚生省がやめると都道府県も追随する。だからといって利用者と直結している市町村は簡単には廃止できない。国や都道府県の分も負担せざるを得ない。鎌倉市の場合、厚生省関係のこうした負担増だけで今年度3億円を超える。利用者にも負担増をお願いした。「補助制度をやめて一般財源化した」という政府の説明は聞こえはいいが、これも地方交付税で措置するということで、何のことはない不交付団体には丸ごとの押しつけだ。ダイオキシン対策にしても基準を厳しくしたのは結構だが、「財源は交付税で」という論理では、不交付団体の負担はあまりにも膨大になる。
 こんな傾向が国の財政破たんと軌を一にして、ここ数年どんどん強まっている。地方分権の論議でも、中央省庁は財源を地方に譲ろうとしない。分権とは名ばかりで、実態は完全に逆行している。
 地方交付税は、国税5税(所得、法人、酒、消費、たばこ)の約3分の1を地方自治体に配分する国の地方財政調整制度だが、政府は戦後一貫して大都市部からの税収を「財政力が弱い」との理由で地方へつぎ込む政策をとってきた。それは交付税ばかりでなく国税全般についていえる。しかし、いまや国民生活の豊かさという点から見れば、その関係は逆転しているという見方もある。自治省が旧態依然たる計算式ではじき出した「財政力」が豊かだといって、いまのように不交付団体に過酷な財政のしわ寄せをしていては、納税者の反乱が起こらない保証はない。いや、不交付団体の多い大都市部で自民党が完敗した参議院選挙の結果をみると、すでに反乱は始まっているのかもしれない。 国の地方財政調整機能を否定しようとは思わない。しかし、地方自治体の95.6%が国の一律の基準による財政調整下にあるとは、あまりにも異常な中央集権制度だ。地方交付税の財源を本来の納税者の住む地方自治体に返し、地方交付税を受ける団体をいまの不交付団体の数(142団体、96年度調べ)ぐらいに逆転させる制度改革をしなければ、地方分権の時代には合わない。
 (たけうち・けん 神奈川県鎌倉市長=投稿)

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