3月は人事異動の時期で、私たちの身の回りも何かとあわただしくて、花粉症も相まってうっとうしい季節でもある。
そこで地方自治体の人事についての話題をひとつ。
地方分権が叫ばれ、地方の自立が言われて久しいが、最近の地方分権推進委員会の動きとともに分権の流れは著しく澱んだものになってきている。
それに伴って「○○県副知事、自治省の××氏を起用」、「△△県企画調整部長、建設省の▲▲氏を起用」などという新聞記事もまたぞろ頻繁に目にするようになってきた。
「割愛」と称するこのような国からの地方への移入人事は、それに伴う費用(人件費等)は地方持ちである。また一方地方から国へも職員が派遣されることもあるが、こちらの費用は「研修」という名目になっているので、やはり地方持ちと言うことになる。
これまで中央集権的な行政の特徴に、事務権限、財政、人事の3要素において国と地方の従属関係が言われてきた。分権推進委員会はそのうち事務権限の問題については不十分ながら国の地方への関与の縮小を実行に移すことにした。が、財源と人事の問題は依然として中央集権が温存されていると言える。
一方、あぶくま農業者大学校教頭で日本人初の宇宙飛行士秋山豊寛さんは99年3月12日の朝日新聞「分権の虚実」で地方自治体の心もとない人材について次のように言っている。
「分権が進めば、国から県へ、県から市町村へ、いろんな権限が移るわけでしょう。それを行使するには、情報を蓄積し、処理しなければいけない。その能力がどのくらいあるか。使いこなせる人がどのくらいいるか、心許ない限りです。」「そういう意味では、地方交付税と同じように、人材も中央から還付するシステムが必要かもしれない。」
確かに秋山さんが憂える地方の実態は、我々の前に厳然としてある。ボス的な首長が、議員も巻き込み、情実、縁故人事を縦横無尽に駆使して、自らの支配を維持しようする。ひどいところでは首長が変わるたびに自治体の職員人事が新旧首長派の総入れ替えとなって、自治体行政が混乱させられることも度々だ。
このようなことを地方がしていては、やはりまともな地方自治は育たないのかもしれない。
このような中、住民参加型福祉行政を進める秋田県鷹巣町の岩川町長は、職員の昇任について新たな方式をとることを決定した。
それは昇任を希望する職員は、希望する職種とその理由を書いた論文を町長、助役、収入役、教育長の4役に提出し、それで評価を得た職員は希望のポストへつくことができるというものである。このことによって係員からでも意欲と能力を評価された職員は、課長職への特進も可能となるということである。
兎角、公務員の人事評価が民間と比べ曖昧にされてきたことからすると、職員の意欲を積極的に評価するという点で画期的である。
地方は今、変革の時にある。自治体職員がいまのままの自治体で由とするならば、その職員のいる自治体の運命は、間違いなく山一や拓銀、長銀が辿ったと同じ、消滅あるいは合併の対象となってしまうということである。現に介護保険を巡ってそのような事態が進行している。
このようなことを自覚して、我々自治体職員は、今自治体がかかえる様々な問題をこれまで以上に学習、研究し、それらを施策に反映させてゆく必要がある。(文責:佐藤)