〜研究作文其の十三〜 ドイツ仮装巡洋艦について(初級編)




仮装巡洋艦という艦種をご存知でしょうか?いまでは、既に消滅したと思われる艦種の一つです。外洋航行力が あり、かつ高速な船舶に武装を施し、正規の戦闘艦艇では手の足りないところを補助するための艦種です。日本では 特設巡洋艦という呼び名で呼ばれていました。もっとも日本では有名な「愛国丸」「報国丸」を始めとする数隻しか、 準備していませんが。
しかし、この艦種をより多目的で活用した国として、イギリスとドイツがあります。今回はそのうちドイツの仮装巡洋艦について、簡単にまとめてみたいと思います。


さて、まずは仮装巡洋艦とは何か?という点について簡単に述べてみたいと思います。元来、巡洋艦というのは、各種の戦闘艦艇の中で、ひじょうに役に立つ艦種です。海上通商路の防備から始まって、植民地の防衛や外国への派遣、戦時には主力艦隊に先行しての偵察や、敵の水雷艇の排除、夜戦での水雷戦に投入されたり、通商破壊に使われたりと海軍の活動のほぼ全てに関わる、なくてはならない艦でした。
戦艦では小回りが効かないですし、駆逐艦では長距離の作戦はできないし、武装も限られたものですから、何でも使える巡洋艦は重宝したわけです。

しかし、正規の巡洋艦を建造するのは、資金がかかります。その用途からある程度の数がないといけませんし、WW2までの一番の目的である艦隊決戦に温存しておかなければなりません。そんなわけで、高速の商船(といっても正規艦艇ほどの速力はでないですが)に武装を施し、高速力と防御力の要らない任務、護衛任務や警備任務、派遣艦隊の旗艦任務等に使用されたのが仮装巡洋艦です。
そういう意味では、現代に仮装巡洋艦がない(いまのところ)理由は簡単ですね。現代の武装は電子装備を始めとして、ひじょうに複雑かつ高価となっています。おいそれと作れないわけです。安くて簡単に作れるというのが仮装巡洋艦のメリットな訳ですから。


さて、そんな訳で、第二次世界大戦までは各国が戦時になるとせっせと仮装巡洋艦を作ってました。特に熱を入れていたのが、先ほど述べたイギリスとドイツです。イギリスは守らなければならない通商路や植民地が無数にあり、巡洋艦は何隻あっても足りませんでしたし、ドイツはイギリスに対抗するために、多数の艦艇をそろえる必要がありました。正規巡洋艦の不足を仮装巡洋艦で補おうとした訳です。

まあ、この辺は日本もそうですね。第二次世界大戦時には、アメリカとの航空戦力差を埋めるために、せっせと特設水上機母艦を作って、かなり有効に利用してました。日本の特設水上機母艦も結構面白いので、今度まとめてみたいと思います。

ちょっと横にそれましたが、話を英独二国に戻します。両国の仮装巡洋艦の使い方は、正反対でした。
イギリスがシーレーンの防衛に仮装巡洋艦を投入したのに対し、ドイツはそのシーレーンを襲う、通商破壊任務に投入しました。まあ、ドイツは守るべきシーレーンがほとんどありませんでしたし、正規の艦隊決戦に投入できるような艦種ではないので、通商破壊任務に使うのが一番効率的な訳です。





さて、ドイツの仮装巡洋艦が最初に大暴れしたのが第一次世界大戦です。この戦争はそれまでの戦争と比べて、戦域が世界中に拡大したのが特徴でした。それまでの英仏の延々をわたる戦いも世界中でやってましたが、今回のは規模が違います。開戦と同時に世界中の海でも各国の艦隊が活発に活動を開始しました。

うち、ドイツは青島にいた東洋艦隊を始めとして、インド洋やアフリカ沿岸にちょこちょこと艦艇がいました。東洋艦隊に配備された「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」の二隻の装甲巡洋艦は別として、他は旧式の軽巡と駆逐艦・砲艦が少し、あとは特設艦艇でした。とてもではありませんが、イギリスの大艦隊をまともに殴りあうわけにはいきません。特にフォークランドの沖でシュペー提督の艦隊が全滅してからは尚のことです。ドイツとしては、残った艦艇を通商破壊に利用するのがやっとでした。


ドイツの通商破壊はひじょうにうまくいっています。特に有名なのが、カール・フォン・ミュラー中佐の軽巡、「エムデン」であり、他にも「ケーニヒスベルグ」もイギリス艦隊を引きずりまわしています。
他にインド洋や南大西洋で暴れていたのが何隻かの仮装巡洋艦です。有名なものとしては、「ヴォルフ」「メーヴェ」「ゼーアドラー」なんかがイギリス艦隊の追撃をかわしながら、せっせと商船を襲っていました。
これらの仮装巡洋艦は正規の巡洋艦の護衛のついた輸送船団を襲うのは無理でしたが、第一次世界大戦では、それほど輸送船団方式も徹底されていなかったため、独航船を多く、そういった艦船に襲い掛かってたわけです。





第一次世界大戦は連合軍の勝利で終わり、ドイツの仮装巡洋艦たちもあちこちで撃沈されていきました。戦後、ドイツ海軍は骨抜きにされ、まともな軍備ももてなくなりましたが、ヒトラーの再軍備後、新生ドイツ海軍が着々と建設されていきました。
この新生海軍(クリーグスマリン)の特徴として、明らかな通商破壊志向が挙げられます。ドイツは「Z艦隊」建設でイギリスに対抗する大艦隊の建設も目指しましたが、個々の艦艇の性能は明らかに単艦を基準とした通商破壊でした。
そのいい例が「ポケット戦艦」(装甲艦)ですね。明らかに通商破壊用の艦艇です。逆に艦隊行動には向かない艦でしたし(のちに重巡洋艦に艦種が変わりましたが)。

どんどん、世界の空気が戦争に向かう、1939年の夏にドイツでは新たな戦争のために仮装巡洋艦の準備を始めました。前の戦争の通商破壊よ再び、という訳です。この頃、バイエルンに海軍設計事務所が設けられ、そこで仮装巡洋艦の装備と人員の準備が進められました。人員はバルト海や北海にいた練習艦隊の人員を中心に編成され、極秘に指定された各艦の艦長が準備を行っています。


ちょっとここでドイツの仮装巡洋艦の名称について解説しましょう。ドイツの仮装巡洋艦は「HSK」と呼ばれており、これは「通商保護巡洋艦」という意味です。名前とやってることは全然別ですが。のちには「HK」、補助巡洋艦と名前を改めています。
「HSK」は各艦ごとにナンバーが割り振られており、また通信用に各艦にシッフナンバーと呼ばれる番号も割り当てられてました。以下に第二次世界大戦のドイツ仮装巡洋艦を上げてみます。


HSKナンバー艦名シッフナンバー艦長
HSK1オリオンNO.36ヴェイヤー
HSK2アトランティスNO.16ローゲ
HSK3ヴィダ−NO.21ルックテセン
HSK4トールNO.10ケーラー
HSK5ピングィンNO.33クロイダー
HSK6スティアーNO.23ゲルラッハ
HSK7コメットNO.45アイセン
HSK8コルモランNO.41デトマーズ
HSK9ミフェルNO.28ルックテセン
HSK10コロネルNO.14ティーネマン


他に「ハンザ」と呼ばれる艦が作られていましたが、出撃しませんでした。

また、イギリス海軍は発見した仮装巡洋艦に対して「レイダーナンバー」と呼ばれる符丁を割り当てています。例えば、 「トール」「レイダーE」「コルモラン」「レイダーG」といった具合です。





1940年の3月終わり頃より、準備の終わったドイツの仮装巡洋艦たちが北海、さらには大西洋に向けて、次々と出撃していきました。この当時は、イギリス海軍の哨戒もそれほど厳しくなく、後期の艦に比べれば、比較的楽に出撃できたようです。
出撃時には、駆逐艦や掃海艇、戦闘機等がノルウェー沿岸まで護衛し、その後は、Uボートが援護につきました。通常、北海からイギリス・アイスランド周りでイギリス哨戒圏を突っ切る航路を取っていました。天候不順な状態を逆利用しての出撃です。

元々、仮装巡洋艦は単艦行動が基本で、元来が商船のため、艦内に燃料弾薬、消費物件等を多量に搭載していました。そのため、南大西洋やインド洋では、やはり通商破壊に従事しているUボートに補給任務も行っています。
ただ、インド洋等で長期にわたる任務を行っていると、拿捕船等のかっぱらい品を含めても、補給が枯渇するため、ドイツは世界の海に通商破壊艦用に補給艦を巡回させていました。
「ノルトマルク」「アルトマルク」「ミュンスターランド」等がそうで、南大西洋を中心に展開していましたが、太平洋にも足を運んだり、日本に寄港したりもしています。


ドイツの仮装巡洋艦はそれほど、本国からの指令に縛られてはいませんでした。作戦海域の指定とか、補給船との邂逅指令や、帰還命令程度です。そのため、仮装巡洋艦の艦長は自分の裁量で、戦果をあげる作戦をたてることが出来ました。

仮装巡洋艦と呼ぶ以上、これらの艦は武装を施しています。どの程度の武装を施していたかというと、「アトランティス」を例に取ると、備砲として戦艦「シュレジェン」45口径15センチ砲をハッチの後方に左右2門づつ、それに後甲板に2門の計6門を装備し、35口径の7.5センチ砲1門と、37ミリと20ミリの高射機関砲をそれぞれ2門、4門づつ、さらに53センチ連装魚雷発射管を2基、機雷92個、さらにHe114水偵を2機という重装備でした。

ただし、弾薬はそれほど搭載していないため、拿捕船を沈めるには、作業員を派遣して爆薬で沈めることが多かったようです。急ぎに時は砲撃で沈めており、魚雷はほとんど使いませんでした。
これが大戦後期になると、武装の変化が発生しています。最後の出撃艦となった「コロネル」 では、15センチ砲6門はそのままですが、40ミリ機関砲が6門に増加し、20ミリも多数装備となりました。仮装巡洋艦の敵が護衛の巡洋艦から、哨戒機に変化した証拠です。ただし、航空機に静められた仮装巡洋艦はありませんが。
当然ですが、これらの武装は全て偽装されています。舷側のブルワークがパタンと開いて砲が出てくるような感じです。貨物の箱で偽装したりしていました。また、ほとんどの仮装巡洋艦は偽装煙突や、デリックがついていたりしました。





さて、1940年から、仮装巡洋艦たちはあちこちで活動を開始しました。1940年3月から7月に間に、仮装巡洋艦6隻が次々と出撃していきます。そして、インド洋を中心として、激しい通商破壊戦を始めました。
全部をあげるのはちょっと厳しいので、著名な艦を幾つか、上げてみましょう。

撃沈数の一番多いのが、「ピングィン」(HSK5、クロイダー艦長)の28隻です。13万6千トンの戦果をあげ、うち5万トン強を本国に回航する手柄まで付けました。もっとも、28隻中、多くの部分が捕鯨船団攻撃時のことなので、数ほどの戦果ではないかもしれません。最後は1941年5月にインド洋でイギリス巡洋艦「コーンウォール」に撃沈されました。

戦果の単純量が一番多いのが「トール」(HSK4、ケーラー艦長)です。22隻、15万トンを静め、うち一隻は仮装巡洋艦です。インド洋と太平洋を中心に活動し、1942年には日本に寄航して、水中聴音機や、掃海具、潜水艦用の機雷等を日本に贈与しています。横浜に停泊して、日独の情報交換中の1942年11月に事故のために爆沈しました。

最も、活躍した仮装巡洋艦としては「アトランティス」(HSK2、ローゲ艦長)があげられます。インド洋と太平洋を中心に1940年3月に先陣を切って出撃してから、帰還途上にイギリス巡洋艦「デボンシャー」に撃沈される1941年11月まで1年半にわたって、イギリス海軍を奔走させています。
戦果は14万トン、22隻で補給は受けても、一度も寄航整備せずによく、ここまで戦果をあげれたものです。しかも撃沈後は、Uボート等に便乗してドイツ本国に乗組員は帰還しています。

他に1941年11月にインド洋でオーストラリア巡洋艦「シドニー」と刺し違えた「コルモラン」(HSK8、デトマーズ艦長)や、はるばる北氷洋を越えて太平洋に進出した「コメット」(HSK7、アイセン艦長)これはソ連海軍が表砕船を出して協力しています。最後にヨーロッパ要塞からの出撃に成功した「スティアー」(HSK6、ゲルラッハ艦長)等々です。

一番最後の仮装巡洋艦は「コロネル」(HSK10、ティーネマン艦長)ですが、1943年1月にドーバー海峡を突破しようとして失敗、損傷し、外洋進出は出来ませんでした。この艦はのちに夜間戦闘機指揮艦に改造されて活用されています。





ドイツ仮装巡洋艦の活動できたのは1941年一杯まででした。1941年末に日本が参戦し、太平洋とインド洋が戦闘海域となったこと、連合軍の哨戒活動が活発となったこと、そして護衛船団の編成が徹底化し、単艦の仮装巡洋艦では攻撃できなくなったこと、ヨーロッパからの出撃が困難となったことなどが原因です。

1942年頃からUボートの活動も厳しさを増してきており、通商破壊という作戦は衰退していくこととなりました。同時に通商破壊に全力を挙げてきたドイツ海軍の活動も行われなくなり、これ以後、ドイツ海軍は戦略的な貢献が出来なくなります。

2000/11/19



研究室へ戻ります