イギリス戦艦ウォースパイト |
イギリス海軍で最も活躍した戦艦といえば、私はこの艦が思いつきます。次点はデュークオブヨークですね。しかも相当点差が開いての話となります。そのくらいこのウォースパイトは大活躍でした。 ウォースパイトと聞いてもピンと来ない人も多いと思いますので、この艦の参加した主要な作戦や海戦を並べてみます。ユトランド海戦・ナルヴィク海戦・カラブリア海戦・マタパン岬沖海戦・ハスキー作戦(シシリー島上陸作戦)・ノルマンディ上陸作戦等です。その後もあちこちに損害を抱えながら、フランス・オランダの沿岸砲撃に何度も出撃し、1945年に除籍されました。 日本ではあまり大西洋・地中海の海戦は戦記が出ていないので、御存知ない海戦も結構あるかと思いますが、ノルウェーでドイツの駆逐艦隊を全滅させ、地中海ではイタリア海軍の重巡フィーメやザラを撃沈し、戦艦ジュリオ・チェザーレを中破させたりしています。また、地中海での護衛作戦にも多数参加し、1942年には壊滅した東洋艦隊の支援のために、インド洋に進出したりもしました。
本書では、戦艦ウォースパイトの誕生から、その改装の変遷や参加海戦の詳細や被害の実態、そして挙げた戦果を詳細にまとめています。かなりしっかり調べた資料で、また読みやすい文章に仕上がっています。第二次世界大戦では老朽艦(日本でいえば、扶桑級と同等)に当たりますが、何度にも及んだ大改装とその積極運用によって、他の旧式戦艦の追随を許さない活躍をしました。 |
日本海軍重巡洋艦「青葉」 |
古鷹級の改良艦として誕生した「青葉」は、ワシントン条約により重巡に規定されました。
20センチ砲6門に高角砲は単装ということで、その後に出てきた妙高クラスや高雄クラスに比べると、
戦闘力で物足りないものがありますが、第一次ソロモン海戦で古鷹級と青葉級で編成された6戦隊
は、世界巡洋艦史上でも比類ない戦果を上げることとなったのです。 |
日本海軍軽巡洋艦「大淀」 |
日本海軍は数多くの巡洋艦を建造しましたが、この「大淀」は世界でも例を見ない艦として建造
されました。建艦当初の目的は「潜水戦隊旗艦巡洋艦」。太平洋での漸減作戦時に潜水艦を
率いるために建造された艦でした。 |
日本海軍軽巡洋艦「矢矧」 |
阿賀野級の3番艦として戦争さなかに誕生した「矢矧」は、大和特攻艦隊の水雷戦隊旗艦として 菊水特攻作戦に参加し坊岬沖に沈みました。本書は矢矧の誕生から、その終焉までを克明に記録 した1冊です。
昭和18年の暮れに竣工した「矢矧」は、空母機動部隊の直衛戦隊である第十戦隊旗艦としてマリアナ海戦に参加、さらにはレイテ海戦では栗田艦隊の水雷戦隊の片翼として(もう一つは第二水雷戦隊)海戦に参加しています。 本書はやはりレイテ海戦の記述がひじょうに迫力があります。特に通信履歴や、「矢矧」艦内の動きの 記述はよくまとまっています。水雷戦隊旗艦の動きを知る中では、ひじょうに良い本だと思います。 戦記館入り口に戻ります |
日本海軍駆逐艦「雪風」 |
ひじょうに著名な作品です。戦記作家豊田穣の代表作と言えるでしょう。今回、紹介するのは単行本
版ですが、最近再販もされましたし、文庫化もされていたはずです。
とりあえず、本書はこれだけ海戦に参加しているので、戦闘の連続です。また「雪風」自体も何度も危機に陥っていますが、そのたびに持ち前の強運と、その乗組員の錬度で戦火を潜り抜けていきました。 戦記館入り口に戻ります |
日本海軍重巡洋艦「熊野」 |
これは「熊野」単艦の戦記ではありません。雑誌「丸」の巻末長編戦記の中でも、巡洋艦ものを集めた「巡洋艦戦記」として刊行されました。そのため、他にも4隻の巡洋艦に乗り込んでおられた方の戦記が乗っています。艦名を挙げると「矢矧」「那智」「最上」「五十鈴」です。その中でも最も興味深く読ませてもらった「熊野」の戦記の部分をここでは紹介します。
「熊野」の戦記のタイトルは、『重巡「熊野」出撃せよ』、著者は左近上尚敏氏、当時「熊野」の航海士として乗り込んでおられたかたです。名前を見て「あれっ」と思った方もおられると思いますが、著者の父は左近上尚正提督で、「渾作戦」を指揮した提督として知られています。
やはり損傷した重巡「青葉」や内地に向かう輸送船とともに船団を組み、フィリピン西岸に沿うようにして北上しますが、途中で米潜水艦のウルフパックに捕まります。魚雷の集中雷撃を受け、うち2発が命中、「熊野」の機関室は全て浸水し、航行能力を失いました。 本書はこの苦しい「熊野」の最後を克明に記録しています。ひじょうに詳しくかかれているため、レイテから「熊野」の最後までの戦いがすぐにわかります。日本重巡の精鋭として編成された「熊野」がどのような最後をとげたかを知りたいかたは読んでみてはいかがでしょうか? 戦記館入り口に戻ります |
日本海軍駆逐艦「雷」 |
もとの単行本は1984年に刊行された「奇跡の海を越えて」という本です。今回、光人車のNF文庫に 改題の上、発行されました。ソノラマや光人社の改題は私は原書がわかりづらくなるので、あまり好きではないのですが、この本は原書の題名がちょっとわかりにくい点もあるので、まあいい改題かな?と思います。
筆者は昭和14年から4年間、駆逐艦「雷」に乗り組み、開戦当初からの幾つもの海戦を体験しています。ちなみに「雷」を降りた後は硫黄島警備隊で19年の秋まで勤務されており、死地をぎりぎりで回避されている人だなと思います。
本書には筆者が「雷」に乗艦していたうち、太平洋戦争部分について述べられています。 本書では大きな海戦が三つ紹介されています。「スラバヤ沖海戦」「第三次ソロモン海戦」「アッツ島沖海戦」です。3海戦とも水雷戦隊の突撃が実施されており(アッツ島沖では中止されましたが)、肉薄雷撃のために建造された「雷」としては、まず本業に恵まれた幸運な一生ではないでしょうか。一度も雷撃のチャンスなく、海の藻屑となった駆逐艦が多数に上ることを考えれば。 筆者は砲術科の的測担当だったため、比較的戦場全体を把握できる立場でした。その点から、本書も全体が見渡せる俯瞰で海戦シーンが描かれており、読みやすいのではないかと思います。文庫化されたため入手もしやすく、駆逐艦好きにはお勧めかと思います。 戦記館入り口に戻ります |
日本海軍駆逐艦「天津風」 |
駆逐艦「天津風」は特型の1艦として、太平洋戦争の開戦から戦いつづけました。が、米潜水艦の雷撃を受けて、艦首から艦全体の3分の1を喪失、一年以上もシンガポールで復旧作業を実施することとなりました。そして、応急処置が終わり、内地に回航という時点で筆者が新任艦長として赴任してくることとなります。
天津風は日本駆逐艦の中でも特殊な艦でした。装備等は特型の他の艦と同等なのですが、機関にテスト用の超高圧缶を採用しており、これだけの出力を誇る駆逐艦は、日本にはあと、島風1艦のみという貴重な艦でした。そのため、この内地回航も貴重な駆逐艦を完全修理して、再び戦列に戻したいというものだったようです。
筆者は駆逐艦「霞」の水雷長として、レイテ海戦や礼号作戦に参加ののち、天津風の艦長に赴任します。25歳という若さは当時の艦長としても異例の若さでした(海防艦級には結構あったそうですが)。 戦記館入り口に戻ります |
日本海軍戦艦「武蔵」 |
戦艦「武蔵」の戦記は、かなりの数が出ていますが、今回は比較的手に入りやすい書籍ということで、この本を選択しています。
単行本も平成6年に同じ光人社から出ていますので、単行本で欲しいという方もまだ手に入ると思いますし。 筆者は知る人ぞ知る、「海軍特別年少兵」(略して特年兵)の出身です。この志願制度は海軍の全志願制度の中でも特別 少年兵並に年齢が低く、16歳で最前線に投入され、戦死率が5割を超えるという過酷な運命を辿りました。終戦まで4期生 まで誕生し、総数は約13000人、筆者はこの第一期生です。
短縮に短縮を重ねた教育の後、筆者はいきなり戦艦「武蔵」に配属されます。本書の構成としては「武蔵」に配属されるまでの
教育の苦しさを語った前半部分と、「武蔵」に乗艦してから沈没するまでの海戦記の後半部分とに分けられます。
前者二つの海戦は「武蔵」はほとんど何もしていないため、当然クライマックスはレイテ海戦での囮艦任務ということになります。
有名な話ですが、この海戦に出撃する前に「武蔵」は外舷塗装を塗り直して全艦でもっとも目立つ姿となり、米艦載機の攻撃
を集中させる囮艦となりました。筆者もこの作業に参加して驚愕と怒りをぶつけています。 「武蔵」の乗組員はこの海戦で生き残った者も、そのあとのマニラ市街戦やコレヒドール要塞防衛戦に巻き込まれて多くの戦死者を 出す苦難の道のりを辿っています。そんな中、筆者は負傷兵として奇跡的に内地に帰還できたために本書を書くことができました。 一水兵から見た「武蔵」のありのままの姿が描かれています。 戦記館入り口に戻ります |
日本海軍空母「瑞鳳」 |
日本海軍の空母でもっとも活躍した艦はさてなんだろう?という話になりますと、だいたいの人が 「瑞鶴」を挙げます。人気のある艦ですし。「翔鶴」や「隼鷹」という人もいるかと思います。が、 「瑞鳳」という艦を挙げる人はなかなかいないでしょう。しかし、この艦、太平洋戦争中の各海戦に 参加して大活躍をしています。本書はその瑞鳳の全て(といっても過言ではないでしょう)をまとめあげた ひじょうに良い本です。
本を開けて読み始めると、あまりにも緻密に調べ上げた本書の構成に驚かれると思います。日本空母に
ついて何か調べようとすると、本書は外せない1冊とまでいえるほどの資料価値があります。
瑞鳳の参加した海戦というと、初陣がミッドウェー海戦、その後、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、
マリアナ海戦と続いて、エンガノ沖海戦で空襲を受けて沈没します。また、この搭載機はラバウルにたびたび
飛行隊単独で進出して、ソロモン方面の各種航空作戦に参加しています。本書はこの全海戦の全ての
瑞鳳の動きから、その間に参加した輸送活動までをもまとめてあります。 戦記館入り口に戻ります |
日本海軍駆逐艦「秋月」 |
原題は副題となっている「海軍予備士官の太平洋戦争」で、平成元年に出版されています。今回は改題を
機会にこの水上艦艇の部屋に収納しました。
筆者は海軍予備士官として任官されたあと、重巡「足柄」に乗艦し、各作戦に従事しています。筆者が乗艦した昭和
18年頃の「足柄」は、南西方面の守備にあたっており、船団護衛や通商破壊戦に従事していました。
筆者は昭和19年の秋に「足柄」から「秋月」に転属しています。「秋月」は日本の防空駆逐艦シリーズのネームシップと
して、ソロモン海域をはじめとして各作戦に参加、当時は歴戦の駆逐艦として頼りにされていました。
筆者が奇跡の生還を果たした後、練習艦「八雲」に乗り込み、兵学校生の教育に任ずることとなります。その後、教育
畑を異動して終戦を迎えました。 戦記館入り口に戻ります |
日本海軍航空母艦「瑞鶴」 |
日本海軍の艦艇の中で、恐らく最も人気のある艦船ではないでしょうか。真珠湾攻撃からレイテ海戦までの主要海戦のほとんど全てに参加し、赫々たる武勲に輝く艦「瑞鶴」の誕生から終焉までを小説という形でまとめた一冊です。 作家の豊田氏も艦爆乗りとして「飛鷹」に乗艦していましたが、たびたび共同作戦を取った「瑞鶴」にも、愛着があるとのことです。ミッドウェーで空母が4隻沈んだあとは、「翔鶴」と並んでたった2隻の大型空母として、アメリカ機動部隊と死闘を繰り広げて憤死した「瑞鶴」は、1冊も小説にまとめるにも足りないような様々なエピソードを持っています。 豊田穣さんは戦記作家の第一人者として、様々な艦艇や部隊についての作品を書いており、艦のエピソードや、主要人物の描写等は、なかなか他の追随を許さず文体も軽いため、ひじょうに読みやすい小説として仕上がっているものが多いです。
「瑞鶴」が真珠湾での制空戦闘で初陣を飾ってから、アリューシャン作戦、ソロモンの航空戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦と、まさに奮迅といっていい活動をしています。 戦記館入り口に戻ります |
日本海軍航空母艦「飛鷹」 |
改装空母としては、日本で最良のものとなった「飛鷹」級。速度と防御力以外は、「飛竜」に匹敵すると言われ、ミッドウェーで4空母を失った日本機動部隊の
主力として、太平洋の様々な海戦に参加しました。本書は「飛鷹」「隼鷹」の姉妹艦より、「飛鷹」についての戦記です。 |