水上艦艇戦関係書籍の解説






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イギリス戦艦ウォースパイト


戦艦ウォースパイト

V・E・タラント/井原裕司訳
元就出版社
\2000
1998.11初版発行

イギリス海軍で最も活躍した戦艦といえば、私はこの艦が思いつきます。次点はデュークオブヨークですね。しかも相当点差が開いての話となります。そのくらいこのウォースパイトは大活躍でした。

ウォースパイトと聞いてもピンと来ない人も多いと思いますので、この艦の参加した主要な作戦や海戦を並べてみます。ユトランド海戦・ナルヴィク海戦・カラブリア海戦・マタパン岬沖海戦・ハスキー作戦(シシリー島上陸作戦)・ノルマンディ上陸作戦等です。その後もあちこちに損害を抱えながら、フランス・オランダの沿岸砲撃に何度も出撃し、1945年に除籍されました。

日本ではあまり大西洋・地中海の海戦は戦記が出ていないので、御存知ない海戦も結構あるかと思いますが、ノルウェーでドイツの駆逐艦隊を全滅させ、地中海ではイタリア海軍の重巡フィーメやザラを撃沈し、戦艦ジュリオ・チェザーレを中破させたりしています。また、地中海での護衛作戦にも多数参加し、1942年には壊滅した東洋艦隊の支援のために、インド洋に進出したりもしました。

本書では、戦艦ウォースパイトの誕生から、その改装の変遷や参加海戦の詳細や被害の実態、そして挙げた戦果を詳細にまとめています。かなりしっかり調べた資料で、また読みやすい文章に仕上がっています。第二次世界大戦では老朽艦(日本でいえば、扶桑級と同等)に当たりますが、何度にも及んだ大改装とその積極運用によって、他の旧式戦艦の追随を許さない活躍をしました。
金剛級以外はほとんど活躍できなかった日本海軍の旧式低速戦艦とは対象的ですが、戦場や戦局の流れ、そして司令部の艦運用もウォースパイトの武運の一端と言えるのではないでしょうか。幸運艦とは決していえない一生ですが、武運には恵まれていた艦です。 イギリス戦艦の戦記というのはなかなか日本では読めないですが、そんな中、本書はお勧めの1冊です。

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日本海軍重巡洋艦「青葉」


軍艦青葉は沈まず〜完勝!第一次ソロモン海戦〜

竹村悟
今日の話題社
\1500
1985.4初版発行

古鷹級の改良艦として誕生した「青葉」は、ワシントン条約により重巡に規定されました。 20センチ砲6門に高角砲は単装ということで、その後に出てきた妙高クラスや高雄クラスに比べると、 戦闘力で物足りないものがありますが、第一次ソロモン海戦で古鷹級と青葉級で編成された6戦隊 は、世界巡洋艦史上でも比類ない戦果を上げることとなったのです。

著者は高角砲長として海戦前に青葉に乗り込み、昭和20年に退艦するまで、青葉の主要戦闘の 全てに参加し、対空戦闘に、対水上戦闘に高角砲を操ってウェーキ島やソロモン、フィリピンやインド洋 を転戦しました。
青葉はその間、何度も危機に陥ります。魚雷に艦腹を貫かれ、座礁したこともあり、大空襲で万事休すといった状態にもなりました。しかし、6戦隊の僚艦がソロモンで次々と沈んでいく中、青葉だけが20年の呉空襲まで生き延びることができたのです。

青葉や他の第六戦隊の戦いといえば、やはり第一次ソロモン海戦でしょう。日本海軍が長年練磨して きた夜戦で完勝したこの海戦は、太平洋戦争のハイライトのひとつとなっています。最も、その後、青葉 は同じ夜戦であるサボ島海戦で、酷い目に会うのですが・・・。
巡洋艦戦記は幾つもでていますが、日本巡洋艦で華々しい海戦の勝利を誇れる艦はあまりありません。そんな中、重巡かつ圧勝した青葉の戦記は、日本巡洋艦好きの方にはひじょうにお勧めかと思います。筆者の文章も読みやすく、海戦の連続でひじょうに読み応えあります。

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日本海軍軽巡洋艦「大淀」


航跡の果てに〜最強巡洋艦「大淀」の墓碑銘〜

小淵守男
海交会全国連合会
\2000
1984.12初版発行

日本海軍は数多くの巡洋艦を建造しましたが、この「大淀」は世界でも例を見ない艦として建造 されました。建艦当初の目的は「潜水戦隊旗艦巡洋艦」。太平洋での漸減作戦時に潜水艦を 率いるために建造された艦でした。
しかし、「大淀」が戦線に出陣するころは、潜水艦をそのような目的で使えるような状況ではなく、 しかも搭載を予定していた高速水偵「紫雲」が失敗作に終わり(紫雲は先行量産機がパラオに 投入され、全て失われたそうです)、やむなくその大きな水偵格納庫を利用して連合艦隊旗艦と して活用されることになります。

しかし、日本海軍は消耗しきっており、巡洋艦を旗艦として遊ばせるような余裕はなく、 捷号作戦では小沢艦隊の1艦として参加、その後、ミンドロ島に突入する礼号作戦、、 さらには内地への北号作戦に参加し、最後は内海で空襲で着底することになります。

18年の7月に南方に出撃して以来、20年の7月に空襲で力尽きるまでの2年間、太平洋中を 駆け回った「大淀」は日本巡洋艦で最も働いた艦の一隻でしょう。
本書は「大淀」の大判の写真や、「大淀」の航跡図等も載っており、筆者も大淀とともに太平洋戦争 を戦った人で、ひじょうに各海戦を克明に書き綴っています。特にフィリピンの一連の海戦はひじょうに ページを割いており、大淀の真価が発揮された戦闘の様子を血湧き肉踊る文章で読ませてくれています。
本書はこのあとも一度再販されており、まだ比較的古書店等で手に入りやすい本です。 ご興味のあるかたは読んでみられてはどうでしょうか。

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日本海軍軽巡洋艦「矢矧」


最後の巡洋艦・矢矧

池田清
新人物往来社
\2200
1998.12初版発行

阿賀野級の3番艦として戦争さなかに誕生した「矢矧」は、大和特攻艦隊の水雷戦隊旗艦として 菊水特攻作戦に参加し坊岬沖に沈みました。本書は矢矧の誕生から、その終焉までを克明に記録 した1冊です。

昭和18年の暮れに竣工した「矢矧」は、空母機動部隊の直衛戦隊である第十戦隊旗艦としてマリアナ海戦に参加、さらにはレイテ海戦では栗田艦隊の水雷戦隊の片翼として(もう一つは第二水雷戦隊)海戦に参加しています。
本書はその過半をこの太平洋最大の海戦であり、日本連合艦隊の終焉となったレイテ海戦に費やし ています。数次にわたる米艦載機の大空襲、さらにはサマール沖の空母部隊への突撃戦、苦闘の撤退戦と、迫力ある海戦記録です。レイテ海戦に興味がある方は、本書で第十戦隊の動きを追いかけてみるのも面白いかと思います。

その後、本土に帰った「矢矧」は残り少ない駆逐艦をかき集めた第二水雷戦隊の旗艦となります。もともと水雷戦隊旗艦として誕生した阿賀野級ですが、この時期、「阿賀野」と「能代」は沈み、「酒匂」 は竣工後、練習水雷戦隊旗艦として逼塞していました。5500トン級の各艦も太平洋のあちこちに沈み、水雷戦隊旗艦のできる軽巡は「矢矧」くらいしか残っていなかったと言えます。
菊水特攻作戦の結末は皆さん御存知かと思います。「矢矧」はその竣工から最も不得手な対空戦を続けた挙句、空襲でその生涯を終えました。巡洋艦としてはかなり薄幸な運命の艦といえますが、その名は大和に殉じた艦として日本軽巡の中でも最も知られた艦となっています。

本書はやはりレイテ海戦の記述がひじょうに迫力があります。特に通信履歴や、「矢矧」艦内の動きの 記述はよくまとまっています。水雷戦隊旗艦の動きを知る中では、ひじょうに良い本だと思います。


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日本海軍駆逐艦「雪風」


『雪風ハ沈マズ』

豊田穣
光人社
\1200
1988.6初版発行

ひじょうに著名な作品です。戦記作家豊田穣の代表作と言えるでしょう。今回、紹介するのは単行本 版ですが、最近再販もされましたし、文庫化もされていたはずです。

日本海軍の艦艇で最も著名な艦の1艦で、日本駆逐艦の名前を挙げると最初にこの艦が出てくる人 も多いと思います。それほど、この艦は有名です。
日本海軍最高の強運艦として知られた「雪風」は、太平洋戦争で日本駆逐艦の主力となった「甲型駆逐艦」(陽炎級)の1隻として、開戦から終戦まで太平洋中を駆け回りました。ほとんどの主要海戦に参加し、大和・武蔵・信濃の日本三大艦の最後を全て見取っています。
あげるときりがないですが、「雪風」が参加した主要海戦を挙げていくと、スラバヤ沖海戦・ミッドウェー海戦(攻略部隊所属)・南太平洋海戦・第三次ソロモン海戦・第81号作戦・コロンバンガラ沖夜戦・マリアナ海戦・レイテ海戦・菊水作戦と、よくもこれだけの海戦に参加して生き残ったといった感じです
このようにこき使われた陽炎級ですので、「雪風」以外の他の姉妹艦は全て沈んでおり、日本駆逐艦で太平洋戦争を開戦から終戦まで生き残ったものとしても数少ない一隻に入ります。

とりあえず、本書はこれだけ海戦に参加しているので、戦闘の連続です。また「雪風」自体も何度も危機に陥っていますが、そのたびに持ち前の強運と、その乗組員の錬度で戦火を潜り抜けていきました。
本書は読んでいただくのが一番かと思います。もしお読みになっていないのなら、とりあえず、何も考えず買うことをお勧めします。本書に並ぶ日本戦記の名著といえば、「零戦」「大空のサムライ」「連合艦隊の最後」という超名作が上がるといえば、どのようなものか少しおわかりになるかと思います。小さな駆逐艦が圧倒的な海戦を如何に潜り抜けたかが豊田穣の迫力かつ冷静な視点で描かれています。


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日本海軍重巡洋艦「熊野」


命ある限りを国に捧げて

「丸」長編戦記編集刊行
光人社
\1500
1990.2初版発行

これは「熊野」単艦の戦記ではありません。雑誌「丸」の巻末長編戦記の中でも、巡洋艦ものを集めた「巡洋艦戦記」として刊行されました。そのため、他にも4隻の巡洋艦に乗り込んでおられた方の戦記が乗っています。艦名を挙げると「矢矧」「那智」「最上」「五十鈴」です。その中でも最も興味深く読ませてもらった「熊野」の戦記の部分をここでは紹介します。

「熊野」の戦記のタイトルは、『重巡「熊野」出撃せよ』、著者は左近上尚敏氏、当時「熊野」の航海士として乗り込んでおられたかたです。名前を見て「あれっ」と思った方もおられると思いますが、著者の父は左近上尚正提督で、「渾作戦」を指揮した提督として知られています。

話はレイテ海戦の真っ最中から始まります。「熊野」は栗田艦隊に所属して、サマール沖で米護衛空母群に砲撃戦を行っていましたが、アメリカ駆逐艦「ジョンストン」の雷撃を受け艦首に被雷、艦首を喪失して戦線を離脱しました。何度も空襲を受けつつ、なんとかマニラのキャビテ軍港に入港し、ここから内地に帰還して修理を行うこととなりました。この熊野最後の航海が、この戦記のメイン舞台となっています。

やはり損傷した重巡「青葉」や内地に向かう輸送船とともに船団を組み、フィリピン西岸に沿うようにして北上しますが、途中で米潜水艦のウルフパックに捕まります。魚雷の集中雷撃を受け、うち2発が命中、「熊野」の機関室は全て浸水し、航行能力を失いました。
苦労の曳航の結果、ルソン島の真ん中にあるサンクルーズ湾になんとか入港し、ここで復旧作業を実施することになります。機関は全て浸水し、造水設備の破壊され、艦首も喪失した熊野は、それでもなんとか機関の一つを動かすことに成功し、内地に向けての帰還準備をすすめることとなりました。
しかし、既に制空権は連合軍の手に渡っており、熊野の所在を掴んだ米機動部隊は身動きのできない熊野を空襲し、魚雷5発を命中させて、サンクルーズ湾で撃沈しました。

本書はこの苦しい「熊野」の最後を克明に記録しています。ひじょうに詳しくかかれているため、レイテから「熊野」の最後までの戦いがすぐにわかります。日本重巡の精鋭として編成された「熊野」がどのような最後をとげたかを知りたいかたは読んでみてはいかがでしょうか?


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日本海軍駆逐艦「雷」


特型駆逐艦「雷」海戦記

橋本衛
光人社
\695
1999.12初版発行

もとの単行本は1984年に刊行された「奇跡の海を越えて」という本です。今回、光人車のNF文庫に 改題の上、発行されました。ソノラマや光人社の改題は私は原書がわかりづらくなるので、あまり好きではないのですが、この本は原書の題名がちょっとわかりにくい点もあるので、まあいい改題かな?と思います。

筆者は昭和14年から4年間、駆逐艦「雷」に乗り組み、開戦当初からの幾つもの海戦を体験しています。ちなみに「雷」を降りた後は硫黄島警備隊で19年の秋まで勤務されており、死地をぎりぎりで回避されている人だなと思います。
「雷」は第六駆逐隊の1艦として、開戦当初から各地に奮闘します。駆逐隊の他の艦としては、「暁」「電」「響」の3艦があり、全艦同型艦の特型(吹雪級)で編成されていました。特型は陽炎級と並んで最も酷使された駆逐艦ですので、終戦時までにはほとんど沈んでおり、辛うじて「響」が生き延びていた程度です。

本書には筆者が「雷」に乗艦していたうち、太平洋戦争部分について述べられています。
開戦時は香港攻略戦に参加、その後南方に移動してメナドやケンダリーを攻略したのち、スラバヤ海戦に参加しています。
南方作戦が一段落した後、激闘続くソロモン方面に展開し、ガダルカナル島に対する「東京急行」の任につきました。夜戦や空襲等を潜り抜けながら「雷」は各種任務に従事します。第三次ソロモン海戦に参加して中破した「雷」は、一旦内地に帰投し、損傷を修理した後、今度は一転北方に展開し、アッツ島沖海戦に参加します。
その後、幌筵で衝突事故をおこし、再び修理のために横須賀に帰還、そこで筆者は退艦してこの戦記は終了します。

本書では大きな海戦が三つ紹介されています。「スラバヤ沖海戦」「第三次ソロモン海戦」「アッツ島沖海戦」です。3海戦とも水雷戦隊の突撃が実施されており(アッツ島沖では中止されましたが)、肉薄雷撃のために建造された「雷」としては、まず本業に恵まれた幸運な一生ではないでしょうか。一度も雷撃のチャンスなく、海の藻屑となった駆逐艦が多数に上ることを考えれば。

筆者は砲術科の的測担当だったため、比較的戦場全体を把握できる立場でした。その点から、本書も全体が見渡せる俯瞰で海戦シーンが描かれており、読みやすいのではないかと思います。文庫化されたため入手もしやすく、駆逐艦好きにはお勧めかと思います。


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日本海軍駆逐艦「天津風」


25歳の艦長海戦記〜駆逐艦「天津風」かく戦えり〜

森田友幸
光人社
¥1800
2000.3初版発行

駆逐艦「天津風」は特型の1艦として、太平洋戦争の開戦から戦いつづけました。が、米潜水艦の雷撃を受けて、艦首から艦全体の3分の1を喪失、一年以上もシンガポールで復旧作業を実施することとなりました。そして、応急処置が終わり、内地に回航という時点で筆者が新任艦長として赴任してくることとなります。

天津風は日本駆逐艦の中でも特殊な艦でした。装備等は特型の他の艦と同等なのですが、機関にテスト用の超高圧缶を採用しており、これだけの出力を誇る駆逐艦は、日本にはあと、島風1艦のみという貴重な艦でした。そのため、この内地回航も貴重な駆逐艦を完全修理して、再び戦列に戻したいというものだったようです。
もっとも、艦の3分の1を失い、艦橋も応急のものであっては、ほとんど戦闘力がないに等しく、既に制海権・制空権とも連合軍のものとなっていた東シナ海を戻るのは、ほとんど自殺行為でした。天津風は当時連合艦隊司令長官自らが指揮していた南方補給作戦、「南号作戦」のひとつして編成された大規模輸送船団「ヒ88J」の1艦として加わります。
南方地区に集まっていた護衛艦艇の全力でタンカー船団を護衛するこの作戦は、米起動部隊に補足されて全滅することとなります。天津風は辛うじて死地を脱出し、香港で再整備ののちに再び本土を目指すこととなりましたが、今度も空襲を受けて大陸沿岸に乗り上げ喪失されました。

筆者は駆逐艦「霞」の水雷長として、レイテ海戦や礼号作戦に参加ののち、天津風の艦長に赴任します。25歳という若さは当時の艦長としても異例の若さでした(海防艦級には結構あったそうですが)。
赴任した艦は廃艦寸前の損傷艦、航海する海は完全に敵の手に渡っているというこの状況で、逆にいえば、よく本土のすぐそばまで帰還できたと思います。同じ船団を組んでいた艦艇たちはほとんど空襲で撃沈されているのですから。
筆者は艦を失ったあと、陸上の震洋隊の隊長として大陸で終戦を迎えます。本書はビジネス書的な切り口が多少強いような気がしますが、十分興味深い戦記に仕上がっています。数少ない駆逐艦戦記の単行本ですので、駆逐艦好きの人にはお勧めかと思います。


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日本海軍戦艦「武蔵」


戦艦武蔵の最後
〜海軍特別年少兵の見た太平洋海戦〜

塚田義明
光人社
¥590
2001.5初版発行

戦艦「武蔵」の戦記は、かなりの数が出ていますが、今回は比較的手に入りやすい書籍ということで、この本を選択しています。 単行本も平成6年に同じ光人社から出ていますので、単行本で欲しいという方もまだ手に入ると思いますし。
戦艦「武蔵」は、大活躍した戦歴をほとんど持っていない艦なので、どの戦記を読んでも空襲で身を削るような話になって しまうのは仕方のない点で、本書もそういったことが中心となっています。

筆者は知る人ぞ知る、「海軍特別年少兵」(略して特年兵)の出身です。この志願制度は海軍の全志願制度の中でも特別 少年兵並に年齢が低く、16歳で最前線に投入され、戦死率が5割を超えるという過酷な運命を辿りました。終戦まで4期生 まで誕生し、総数は約13000人、筆者はこの第一期生です。

短縮に短縮を重ねた教育の後、筆者はいきなり戦艦「武蔵」に配属されます。本書の構成としては「武蔵」に配属されるまでの 教育の苦しさを語った前半部分と、「武蔵」に乗艦してから沈没するまでの海戦記の後半部分とに分けられます。
筆者は高角分隊の高射機に配属され、およそ一年間、ここで勤務することになります。この間に「武蔵」が参加した海戦といえば、 渾作戦、あ号作戦、捷号作戦の三つです。いずれも「武蔵」は空襲に晒されるのみで、ほとんど活躍できませんでした。

前者二つの海戦は「武蔵」はほとんど何もしていないため、当然クライマックスはレイテ海戦での囮艦任務ということになります。 有名な話ですが、この海戦に出撃する前に「武蔵」は外舷塗装を塗り直して全艦でもっとも目立つ姿となり、米艦載機の攻撃 を集中させる囮艦となりました。筆者もこの作業に参加して驚愕と怒りをぶつけています。
結局、のべ250機の集中攻撃を受けて「武蔵」は沈没するのですが、沈没のもっとも重要な原因は、早期に艦の主要電路を 破壊されて主砲や高角砲の射撃が困難になったこと、及び魚雷の命中による艦の運動性の低下です。あっという間に舵まで 故障して艦隊から取り残されて、袋叩きにあって沈んでいきました。

「武蔵」の乗組員はこの海戦で生き残った者も、そのあとのマニラ市街戦やコレヒドール要塞防衛戦に巻き込まれて多くの戦死者を 出す苦難の道のりを辿っています。そんな中、筆者は負傷兵として奇跡的に内地に帰還できたために本書を書くことができました。 一水兵から見た「武蔵」のありのままの姿が描かれています。


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日本海軍空母「瑞鳳」


空母瑞鳳の生涯
〜われ等かく闘えり〜

桂理平
霞出版社
¥2800
1999.10初版発行

日本海軍の空母でもっとも活躍した艦はさてなんだろう?という話になりますと、だいたいの人が 「瑞鶴」を挙げます。人気のある艦ですし。「翔鶴」や「隼鷹」という人もいるかと思います。が、 「瑞鳳」という艦を挙げる人はなかなかいないでしょう。しかし、この艦、太平洋戦争中の各海戦に 参加して大活躍をしています。本書はその瑞鳳の全て(といっても過言ではないでしょう)をまとめあげた ひじょうに良い本です。

本を開けて読み始めると、あまりにも緻密に調べ上げた本書の構成に驚かれると思います。日本空母に ついて何か調べようとすると、本書は外せない1冊とまでいえるほどの資料価値があります。
瑞鳳という艦は有名な割に、ひじょうに戦記が少なかったのですが、本書はこれまで本がなかった分を 補ってあまりある良書です。

瑞鳳の参加した海戦というと、初陣がミッドウェー海戦、その後、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、 マリアナ海戦と続いて、エンガノ沖海戦で空襲を受けて沈没します。また、この搭載機はラバウルにたびたび 飛行隊単独で進出して、ソロモン方面の各種航空作戦に参加しています。本書はこの全海戦の全ての 瑞鳳の動きから、その間に参加した輸送活動までをもまとめてあります。
搭載機の攻撃部隊の編成表から、空襲時の対空戦闘のあらまし、さらには艦の小さな動きや改装について の話まで、ひじょうに幅広い内容がぎっしり詰め込まれた本ですが、平易な文章でまとめてあるので読みやすさも 本書の良い点でしょう。これを読めば、恐らく「瑞鳳」についての分からない点はほとんどなくなると思います。
また、本書に掲載された「瑞鳳」関係の写真も価値あるものです。ここまで瑞鳳について色々な写真を見たのも 初めてでした。エンガノ沖で空襲を受けてる有名な写真からはじまって、こんな写真があったのか、というものまで 掲載されています。


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日本海軍駆逐艦「秋月」


防空駆逐艦「秋月」爆沈す
〜海軍予備士官の太平洋戦争〜

山本平弥
光人社
¥686
2001.5初版発行

原題は副題となっている「海軍予備士官の太平洋戦争」で、平成元年に出版されています。今回は改題を 機会にこの水上艦艇の部屋に収納しました。
秋月級は日本駆逐艦の中でも、人気のあるクラスですが、単行本化されている戦記はあまりないのが実情です。 理由としては就役が遅く、また激戦に投入されてあっという間に撃沈された艦が多いため、戦記として一冊を構成 するだけの経験をした方がなかなか少ないということでしょう(戦記集だと「続艦長達の太平洋戦争」のように、多数 のものが収録されています)。
そんな中、本書は「秋月」というネームシップを主題としており、その最大の戦いとなったエンガノ岬沖海戦について詳細 に記録されています。

筆者は海軍予備士官として任官されたあと、重巡「足柄」に乗艦し、各作戦に従事しています。筆者が乗艦した昭和 18年頃の「足柄」は、南西方面の守備にあたっており、船団護衛や通商破壊戦に従事していました。
この頃の重巡戦隊 がインド洋で通商破壊戦を実施していたのは、日本ではあまり知られていませんが、この理由は当時沈めた船舶で捕虜 虐殺事件があったため、戦後もこの作戦に従事した方が口を閉ざしてしまったことが大きく影響しています。
本書では、その事件についても言及しており、大戦中盤の重巡戦隊の行動についても、結構勉強になると思います。

筆者は昭和19年の秋に「足柄」から「秋月」に転属しています。「秋月」は日本の防空駆逐艦シリーズのネームシップと して、ソロモン海域をはじめとして各作戦に参加、当時は歴戦の駆逐艦として頼りにされていました。
筆者は機関部士官として乗艦後すぐにレイテ作戦に投入され、「秋月」の最後を見取ることとなります。
「秋月」の最後は、レイテ海戦に幾つかある謎の一つとされています。突如として轟沈したのですが、その原因が不明な ためです。機銃弾が魚雷に命中して自爆したという説や、潜水艦の魚雷説もあり、色々と議論の的となっていました。 本書でも生存者からのインタビューによって、その沈没の原因について迫っています。ここでは述べませんので、実際に本 を読んでいた頂いて確認してください。

筆者が奇跡の生還を果たした後、練習艦「八雲」に乗り込み、兵学校生の教育に任ずることとなります。その後、教育 畑を異動して終戦を迎えました。
大規模な海戦はマリアナとレイテ海戦くらいですが、補助艦艇乗りとして、予備士官として見た海戦記はなかなか興味深く 読むことが出来ます。駆逐艦戦記としては「秋月」の話が少し少ないのが残念ですが、充分読み応えがあると思います。


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日本海軍航空母艦「瑞鶴」


空母瑞鶴の生涯
豊田穣
集英社
¥667
1985.7初版発行

日本海軍の艦艇の中で、恐らく最も人気のある艦船ではないでしょうか。真珠湾攻撃からレイテ海戦までの主要海戦のほとんど全てに参加し、赫々たる武勲に輝く艦「瑞鶴」の誕生から終焉までを小説という形でまとめた一冊です。

作家の豊田氏も艦爆乗りとして「飛鷹」に乗艦していましたが、たびたび共同作戦を取った「瑞鶴」にも、愛着があるとのことです。ミッドウェーで空母が4隻沈んだあとは、「翔鶴」と並んでたった2隻の大型空母として、アメリカ機動部隊と死闘を繰り広げて憤死した「瑞鶴」は、1冊も小説にまとめるにも足りないような様々なエピソードを持っています。 豊田穣さんは戦記作家の第一人者として、様々な艦艇や部隊についての作品を書いており、艦のエピソードや、主要人物の描写等は、なかなか他の追随を許さず文体も軽いため、ひじょうに読みやすい小説として仕上がっているものが多いです。

「瑞鶴」が真珠湾での制空戦闘で初陣を飾ってから、アリューシャン作戦、ソロモンの航空戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦と、まさに奮迅といっていい活動をしています。
空母という艦種は、艦固有の乗員、艦載機の搭乗員、航空整備関係の乗員と、様々の兵科が一致して初めて活動のできる複雑な艦種です。その様々な乗員がどのような活動をしていたか、艦がどのように動いていったかがよく描写されている一冊だと思います。


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日本海軍航空母艦「飛鷹」


空母「飛鷹」海戦記
〜「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦〜

志柿謙吉
光人社
¥1800
2002.3初版発行

改装空母としては、日本で最良のものとなった「飛鷹」級。速度と防御力以外は、「飛竜」に匹敵すると言われ、ミッドウェーで4空母を失った日本機動部隊の 主力として、太平洋の様々な海戦に参加しました。本書は「飛鷹」「隼鷹」の姉妹艦より、「飛鷹」についての戦記です。

戦前に日本郵船が企画した大型豪華客船「出雲丸」。オリンピックに合わせて建造が開始された「出雲丸」は客船として完成することはなく、建造途中より 空母に改装され、「飛鷹」として生を受けました。
妹分の「隼鷹」は一足先に竣工し、アリューシャン作戦で初陣を飾ったあと、太平洋中を駆け回り、終戦まで生き残った幸運艦です。しかし、それに比べると「飛鷹」 は運がなかった艦といえるのではないでしょうか?

ソロモン海戦は機関の不調により参加できず、マリアナ海戦でも不運な魚雷により、行動の自由を失って沈没してしまいました。「隼鷹」に比べると薄幸の艦と言える でしょう。

本書の作者は、光人社より他に著書も出ている方ですが、今回は開戦より「飛鷹」撃沈までの体験記をまとめた1冊を出されました。開戦当初は砲術学校で教官を していたのですが、その後、インドネシア方面の根拠地隊参謀として出征し、その後に「飛鷹」副長としてマリアナ沖海戦に参加しました。
「飛鷹」の戦記を読んだのは、本書が初めてですが、改装空母とはいえ正規空母並の扱いを受けた本級は、マリアナをはじめとして、太平洋戦争中盤の日本機動部隊 主力の1艦としてひじょうに活躍しています。「翔鶴」級以外は大型正規空母を失ってしまった日本海軍は、改装空母や小型空母を戦力の中心に添えざるを得なかったのですが、 ソロモンの数次の海戦や、搭載航空隊をラバウルに陸揚げする等、戦線を支えるのに大いに貢献しました。

本書はあくまで体験記ですが、階級や職務が艦の中枢にいたこともあり、ひじょうによくまとまっています。ただ前半半分は根拠地隊の話となるため、「飛鷹」の戦記を 読みたい人はちょっと物足りないかもしれません。私は、南西方面の根拠地隊の動きとかが読めるために、そちらも面白く読めましたが。

特に「飛鷹」の最後というのを艦乗組員側より書いた本は、本書で初めて読みました。そういう意味でも本書は発行してもらえてよかった本かなと思います。

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