「明るい小矢部」のひろばのコーナー
1997年10月号

縄文期にも高床式建物。通説より二千年も古い加工木柱。九年前に大きな話題となった桜町遺跡ですが、今回さらに高度な加工材が出土し、縄文人の技術が高く評価され現代建築の原型を示す貴重な資料となっています。ワタリアゴ仕口は日本では法隆寺(七〇六年創建)が最古とされていましたが、桜町遺跡はそれを覆し二千数百年もさかのぼることになりました◆青森の三内丸山遺跡は縄文中期ではその規模は特筆ものですが、桜町の加工材、網代壁等の出土により、復元建物の見直しも迫られています。Y字材は用途がなぞ、柱材のほぞ穴は平屋の隅柱だとか。まだまだ何が出土するのかワクワクものです◆縄文時代の水さらし場跡や作業場跡、トチの実、クルミ、山菜のコゴミなどの食物や縄、かご等「これがほんとうに四千年前のもの!」と驚きます。一瞬の災害で埋まった縄文人の生活を垣間見る思いで、ロマンが広がります◆遺跡の保存、公開と解説がいよいよ重要になってきました。



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