「明るい小矢部」のひろばのコーナー
1997年5月号

小千谷市の魚沼神社(旧称上弥彦神社)1997年4月40日七社の有志の方々と新潟県小千谷市の魚沼神社へいってきた。その昔、上杉謙信に分捕られた「大般若経」があると聞いたからだ。大般若経の奥書「嘉慶二年七月十七日」と執筆者「乃尊」の名が読めるこのお経は今から六百年ほど前、宮島の住人右馬次郎が大沢野・舟峅寺の住侶玉心に書写してもらい、七社明神へ奉納したと伝わっている◆魚沼神社では、七社の住人としては四百年ぶりに「大般若経」と「ご対面」した。写真にも納めた◆魚沼神社までは高速で約三時間。上杉謙信は当時、何日間かけて攻めてきたのだろうか◆上杉謙信が攻めた数年後には木舟城が地震で崩壊、四百大般若経を納めた箱のふた。裏書。僧侶「玉心」の名が見える年間繁栄を続けた木舟の歴史が消え、百年余にわたって争われた激動の戦国時代が終わりを告げた◆話は飛ぶが、今の時代、日本共産党以外、みんな自民党政治の与党になり、消費税、大般若経がこの箱に収められていた。医療改悪など悪法がスイスイとおる◆上杉謙信の時代には戦さが決着をつけたが、今は投票で決定できる時代。日本共産党を大きくして国民の手に政治を取り戻し魚沼神社で大般若経と対面した七社町内の有志たいものだ。

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