「明るい小矢部」のひろばのコーナー
2000年1月号
初代興山作の手ひねりの素晴らしい急須を、父が「高い金を出して買ったんだ」と福野町安居の実家で自慢しながら見せてくれたのは三十年程前だったろうか。私も後に、二代目興山作で瓢箪に小さなカエルが飛びついている花入れが大変気に入ったので安月給の身を省みず買った◆長男が夏休みに孟宗竹で宿題の貯金箱を作るのを手伝ってから、竹の魅力のとりこになった。以来二十年間、竹細工を通してたくさんの人と交わりを持てるようになり喜んでいる。井波町の造形作家Yさんとは、五年ほど前からいろんなことを言い合える付き合いをさせてもらっている◆昨年末に会ったとき彼は、「こんなに不景気が続くものだから、なかなか売れないで仲間みんなが困っている」と嘆いていた。「ヨーロッパなどでは、展覧会の入賞作品を国や市町村が買って芸術家の生活を守っている」とパリでの修行時代を思い出しながら話してくれた◆Yさんはピカソを尊敬している。常に自己変革を怠らない生き方に共鳴されたのだろう。ピカソは一九四四年十月フランス共産党に六十三歳で入り、「共産党への入党は私の全生涯、全作品の当然の帰結だ」と語っていた◆Yさんは「自民党政治がこのまま続けば破滅だろう。しかし、共産党は違う。これからもっと脚光を浴びて大きくなるだろう」と期待を寄せてくれた◆芸術家が安心して創作活動ができる社会にするためにも、早く民主的政府をつくりたいものだ。
(上田弘)