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2001年11月11日号

赤旗まつりに参加して
力の湧いてくる二日間でした

 十一月三日・四日と東京夢の島公園の「赤旗まつり」に初めて夫婦で参加した。私たちは、人の多く集まるイベントはあまり好きな方ではなく、重い腰をやっと上げた4日の中央舞台、きたがわてつの熱唱口なのだが、その心配はまったくとりこし苦労で、心ゆくまで「まつり」を楽しんできた。それは多彩な催しが広い会場そこかしこで同時進行しており、自分の好き青空寄席砂田はビームライフルで金メダルな会場を選んで、どこへでも参加できることが一番の理由だった。
 会場につくなり落語の好きな夫は「青空寄席」へ、私は中央広場の舞台の音楽に魅せられて、その正面にある北信越のテントに、まず荷物を預けた。テントでは木島日出夫衆院議員の挨拶があり、握手もした。そこで故郷の若き日の友人に再会したり、息子がお世話になっている長野の方たちに挨拶したり、とてもうれしいひと時だった。
 ポツリ、ポツリの雨が大雨になり、中央広場は色とりどりの傘の海に変わったが、人々は帰らず志位委員長の演説に聞き入っていた。圧巻は伊藤多喜雄。ロック調の民謡に何万人ものお客さんがのりにのった光景が忘れられない。ロックンソーラン節の時は、私もみんなといっしょに傘を左右に振りながら、『ソーラン・ソーラン』と大合唱しエキサイトしてしまった。
木島日出夫衆院議員と握手する上田ゆみ子氏 夫は青空寄席でお目当ての柳家小三治を聞いた。小三治さんが登場すると「マッテマシタ・ダイトウリョウ」の声がかかった、しばらく間をおいてから小三治さんが、「私は大統領ではありません、もし私が大統領なら報復戦争はしません」と応じた、そこで会場は大歓声となり、一気に盛り上がったとか。
不破さんを囲むつどい 夕食は小矢部一行十二名で楽しい宴会となり、それぞれ参加した会場の感想をだしながら交流を深めた。

宮本百合子展は何回見ても新鮮!

 二日目は昨日の雨がウソのような秋晴れとなり、足取りも軽くいろんなところを回ったが、真っ先に行ったのが宮本百合子展だった。二年前に生誕100周年記念の百合子展を、わざわざ東京まで見に行ったくらい、私は百合子ファンである。全集もかなり読破しており、百合子の生きざま、その文学には深い敬愛の念を持っていて、展示物、写真は何回見ても飽きず、感動を新たにした。戦前の暗黒時代の百合子の闘いは「春のある冬」「十二年」として文学作品に結実する予定だったのに、52歳の若さで突然病死してしまい、それが残念でならない。若い人たちに是非「十二年の手紙」など、読みついでほしいと思った。
囲碁の広場 その後、物産店、猿まわしと回り、うたごえ喫茶では一時間、懐かしい歌など声を張り上げて、思いっきり歌った。こんなに歌ったのは久しぶりで、気分も晴れ晴れとなった。午後のトワエ・モアもさわやかなハーモニーで、買い物をしながらでも、どこでも中央舞台の様子が聞こえてきた。
 歩け、歩けの連続だったが、まだ足にもちょっぴり自信がもて、本当に楽しくて力の湧いてくる二日間だった。 (阿尾)


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