臼 に 凝 っ て 墓 石 を 彫 る

 

 そばの味を決める一番大事なポイントは香りであり、今回は、その番り高いそばを打つ話である。

 うまいそばを打つためには、まずそば粉が良くなければならない。

 そば粉が良いということは、新鮮で酸化していないということである。そば粉は至って酸化し易く、製粉して日のたったもの

や、製粉時に熱の加わったものは、そばの色が赤茶けて、風味も落ちる。

 もちろん、そばの育った風土によっても味に大きな差が出てくるけれども、今回はその条件を無視することにする。

 私の場合は、自分で栽培して、自分で打って食べるのであるから、鮮度に関しては問題なく、いつでも挽きたて、打ちたて、

茄でたての三たてそばが食べられる。そうなると残る問題は製粉ということになる。

 製粉にはロール製粉と石臼による製粉とがある。

 ロール製粉とはローラーによる製粉で、工場での大量生産に向いているので、現在、大部分のそば粉がロール製粉で作られて

いる。しかしこの方法の欠点は、熱によって粉が焼けることである。熱により変質することを、普通、焼けるという。焼けたも

のはもちろん良くない。

 となると、石臼で挽いた粉が良いということになる。「石挽きそば」を看板にしたそば屋も多い。

 確かに石挽きのそば粉は優れている。しかし、石挽きにもいろいろある。一番いいのは手挽きで、次が水車挽き、三番目が電

動挽きということになっている。同じ石臼で挽くのだから、動力が何であろうと差はないように思えるが、実はそうでもないの

である。

 手挽きの場合、廻している臼の重さの変化や、出てくる粉の粗さに応じて、注ぎ込む玄そばの量や回転数を絶えず調整する。

ところが動力を使用した臼では、常に一定に動作している。特に電動の石臼では能率を上げるために、回転数をかなり高くして

いる場合が多い。こういうちょっとした違いが、出てくるそば粉に徴妙に影響するのである。

 もっと細かいことを言えば、石臼の原材科となっている石の石質の違いによっても、そばの味は変わるそうである。ある本に

よると、山梨県の塩山の石臼で、熱をもたないように丁寧に挽いたそばが一番うまいと書いてあった。こうなると少しマユツバ

の感じもする。

 そこで試しに、甲府市の石材加工組合に電話を掛けてみた。

「そちらでは今でも花こう岩は採れていますか」

「はい、採れてます」

「材質としては昔も今も変わりありませんか」

「同じです」

「塩山の花こう岩はよそと違った何か特徴がありますか」

「いいえ、普通の御影石です」

「物の本によれば、塩山の石臼で挽いたそばが最高と聞いてますが」

「ヘえ−、初めて聞きました」と、まったく張り合いのない答えが返ってきた。

 だが考えてみればそれが普通で、今どき石臼の話などもち出す方が時代錯誤かも知れない。

 私は伏見の古道具屋で数年前に見つけた石臼を、ずっと使用してきた。もちろん、石臼の良しあしを見抜く目などない頃なの

で、ひょっとしてこれが塩山の石臼かも知れないと勝手に想像したりして、別に不満も感じなかった。

 ただひとつ気になることは、その石臼を手に入れてからすでに二年近くなるが、一度も目立てをしていないことであった。何

しろまともな石臼というものを一度も見たことがないのだから、目がちびているかどうかさえ、自分では判断できない。ご隠居

さんに相談してみると、

「上臼と下臼の接触面の密着性があまり良くないようだから、石屋に持っていって、グラインダーで平面を出してもらって下さ

い。平面さえ出れば、あとは自分でも目立てくらい出来るので、やって上げましょう」ということであった。

 たしか二年前、石臼を探してあちこちの石屋や古道具屋を廻っていた時、たまたま立ち寄った八幡の石屋が、「石臼はない

が、物を持ってくれば目立てしてあげます」と言っていたのを思い出したので、見るだけでも見てもらおうと思い、行ってみ

た。

 二年前と同じ主人が出てきたのに、言うことが別人のように違う。先方は私の顔など覚えてはいないし、自分の言ったことも

忘れている。女心と秋の空というけれど、石屋も加えた方がいいかも知れない。

「今はもう技術をもった職人もおらんし、第一道具がありませんがな」

 この主人はこの二年の間に、重い記憶喪失症にでもかかったのであろう。追及してもはじまらないので、石臼の両面に軽くグ

ラインダーをかけて貰っただけで、引き上げた。

 これで密着性は良くなった筈なので、あとはご隠居さんにお願いして、溝をもう少し深くすればよい。

 日曜大工用品の専門店に行って、ポンチやタガネを数種類買い集め、ご隠居さんの所に持っていったら、「これだけあれば何

とかなるでしょう」と、早速その日からコツコツやり始め、二、三日でくっきりとした溝を彫ってくれた。

 だが、グラインダーをかけた表面がツルツルしているのが気になるので、これ位は自分でやってみようと思い、挑戦してみた

ら、少し粗いが何とかザラザラの面ができ上がった。

 これだけやっておけば万全で、又当分、目立ての心配はないであろう。

 ちょうどその頃、会社のある先輩から、箕面のそば屋さんで、私の「そばの香り」を読んで、私に会いたがっている人がいる

という話を聞いた。それで日を打ち合わせて、先輩とふたりでそのそば屋を訪ねてみた。

 変わっているという事はあらかじめ聞いていたので、そのつもりで期待していたが、入口に貼られた貼り紙を見て、益々その

期待がふくらんだ。

 その紙には、「調理に時間がかかりますので、お急ぎの方はご遠慮下さい」と書いてあった。初めての人はこれを見ただけで

怖気づいて、二度とこの店に足を向けないであろう。たとえこの関門をのり越えたとしても、店に入れば次の関門が待ってい

る。

「何ができますか」

「もりそばです」

「では、それ下さい」

「腹、太りませんよ」

 普通のそば屋にあるような、そばとご飯をつけた「そば定食」などを期待されては困るという意味であるが、たいていのお客

はこれで度肝を抜かれて、二度と来なくなる。それでも来るのは本当にそばが好きな少数の人だけで、そこがこの主人のつけ目

でもある。

 この主人の名は中川さんといい、三十過ぎてもまだ独身で、奥さんだけでなく店員も置かずに、たったひとりで店をきりもり

している。そのため忙しい時には手がまわらず、駅の立ち食いそばのようなつもりで入ってきたせっかちなお客は、当然お断り

ということになる。

 だが私は、この主人の妥協を許さない一徹さと、そばに賭ける情熱に惹かれ、「いつでも暇なときはうちに来て、遠慮なく打

って下さい」という主人の言葉を真に受けて、弟子をきめ込んだのである。

 それはそうとして、同じ習うなら、いつも苦労している氷室そばを上手に打つ方法を習いたい。最近は氷室そばも、水加減を

増やすことで何とか繋がるようになったが、まだ外にもコツがあるかも知れない。

 それで弟子入りの初日から、氷室そばを自分で挽いた粉を持参した。中川さんはその粉を手にとってみるや、頷いて、

「ていねいに挽いてます」と言った。

「これなら二八にするのは勿体ないです。十割にしましょう。灰色のいいそばになる筈ですよ」

「十割で繋がりますか」

「もちろん繋がります。これだけ細かいんだから問題ありません」

 氷室そばが十割で打てるとは、考えてもみなかったことで、これが本当なら思いがけない発見である。ぜひ習得して帰りた

い。

 中川さんはこの店を開くにあたり、ぎりぎりの予算で開店したので、木鉢まで手がまわらず、安物のアルミ鉢でそばを捏ねて

いる。そのアルミ鉢に氷室そばの粉を移し入れ、その上におもちゃのじょうろで一面に水をかけてから、両手でかきまぜ始め

た。

 十本の指先をピタリと鉢の内面にくっ付けた状態で、両手をすばやくSの字を書くように動かす。こうしているうちに、水を

吸って部分的に粒状になっていたそば粉が崩れて、再び均質な粒子の集まりとなる。そうすると又じょうろで一面に水をかけ

て、同じことをくり返す。水まわしと呼ばれる作業である。

 私は生徒として見ているだけでも勉強になるが、実地にやればもっと勉強になると思い、水まわしの途中からひき継いだ。中

川さんは私がどんなことをしても、うるさいことは一切言わない。要所要所でひと言ふた言注意をするだけである。よほど見か

ねると、「代わりましょう」と言って代わってくれるが、初回の時は私の実力を試すためか、最後まで私に任せてくれた。ただ

途中で一度、丸めた玉に触ってみて、

「ちょっと水が足りなかったようですね。もう少しやわらか目にしておかないと、伸ばしているうちに縁がはじけてきます。で

も今から水を足すことはできませんから、このまま続けて下さい」と言った。

 私は氷室そばに関して最近やっと、粉の全重量の半分近くまで水を加えても大丈夫ということが解ったばかりであるが、粉に

よってはもっと増やしても良いということになる。

 こういう事も、教われば何でもないが、自分ひとりでやっていたのでは、なかなかここまで到達できない。

 そして十割の氷室そばは何とかでき上がった。しかしそれを茄でた中川さんが、変な顔をしている。そばが最初に予想したよ

うな灰色ではなくて、赤みのさした色になっているのである。香りも期待していた程よくないらしい。

 不思議に思った中川さんは、早速その晩、私が持参した玄そばを自分の臼で挽き、打ってみたそうである。すると今度は緑が

かった灰色の、香り高いそばに仕上がったという。

 これは大変なことである。今まで比較するものがないから気づかなかったけれども、私の臼は良くないということになる。だ

が良くないと言っても、どこがどう良くないのか解らない。較べてみても、確かに石の材質や大きさに違いはあるが、でき上が

りのそばにこれだけはっきりした差を生じさせた原因がどこにあるのか、全く解らないのである。

 ちょうどその頃、近くの本屋を覗いていたら、ちょっと気になるタイトルの本が目にとまった。同志社大学で粉体工学を研究

しておられる、三輪茂雄先生が書かれた「粉の文化史」という本で、中身は期待にたがわず、石臼に関する興味深い記事で埋ま

っていた。

 目を皿のようにしてページをめくっていると、石臼の絵が随所に出てくる。その中には断面図もある。そしてその断面図の、

上臼と下臼の接触している部分をひと目見たとたん、私は頭から冷水を浴びたように驚いた。

 石臼の中心部を真ふたつに縦割りにして、横から見た断面図であるが、完全に密着すると思っていた上下臼の接触面が、密着

していないのである。密着しているのは周辺部だけで、中心にいく程隙間が開いて、横から見るとくさびの形をした空洞になっ

ている。そしてこの空洞のことを「ふくみ」と言うとも書いてあった。

 普通、下臼は平面のままで、上臼の方を中心に向かって徐々に彫り込むことによってこの「ふくみ」を作る。「ふくみ」がな

いと、挽いている最中に上臼と下臼の接蝕による摩擦熱で、粉が焼けてだめになるそうである。

 本というものは実に有り難い。私が抱えていた難問を、いとも明解に解いてくれた。念のために中川さんの石臼を、もう一度

じっくり見せてもらったら、果たして上臼にはっきり「ふくみ」が彫ってあったので、あらためて感心した。

 そうなると、私が八幡の石屋に行って、わざわざグラインダーで平面を出してもらったのは、間違いだったことになる。

 その手直しは又あとで考えるとして、私にとってきわめて貴重な情報を提供してくれた三輸先生に、とりあえずお礼の手紙を

書いた。その時ついでに拙著「そばの香り」も同封しておいたら、数日後に先生から葉書が返ってきて、

「関西にはそば通はいないと思っていましたが、おみそれしました。益々そばの味の冴えんことを」と書いてあったので、こち

らが恐縮してしまった。

 それはともかく、間違えて上下とも平面にしてしまった私の石臼を、早急に手直ししなければならないが、これが又難問であ

る。そんなことを引き受けてくれる石屋が、簡単に見つかるとは思えない。八幡はもうだめである。どこかにまだ石臼の技術を

もった石屋はないものかと考えていたら、宇冶に住む友人が、以前に醍醐の方で店頭に石臼を出した石屋を見たことがあると教

えてくれた。

 その石臼は新しいもので、目が傷まないように間に角材を挟んで縛ってあったと言う。

 それなら自分の所で作ったものであろうから、技術もあるに違いない。

 数日後、友人に案内してもらって醍醐のその店に行ってみた。

 石臼の目立てをしてほしいと頼むと、若い主人は、そんなことはやったことがないと逃げ腰になった。ここでひるめば話は終

わりである。しつこく食い下がって、以前店頭に石臼が出ているのを見たと言ったら、やっと観念したのか、あれは彼のお父さ

んが墓石の廃材を利用して、暇つぶしに作ったものだと白伏した。そしてしぶしぶ、「おやじに頼んでみましょう」と言ってく

れた。

 引き受けてくれたのは有り難いが、無条件に任せるわけにはいかない。こちらの言う通りにやってもらわないと困る。三輪先

生の本に出ていた図面を見せて、ついてはこの図面の通りにやってもらいたい。何しろ石臼は精密機械なのだと、先生の受け売

りをした。すると主人は驚いて、

「おお怖っ。そんなものとは知らなかったです。今まで石臼を買って行った人は、誰も何も言ってこないけど、ちゃんと挽けて

るんでしょうかねえ」と無責任なことを言った。

 墓石をくり抜いてできる円柱形の廃材を、捨てるのも勿体ないので、何とか石臼らしく格好をつけて売っていただけのことら

しい。買う方も珍しさに惹かれて、置物か何かにするつもりで買っていったのかも知れない。

 それから十日程して、頼んでいた改修ができ上がった。表面仕上げの粗さなどで不満な点もあるが、一番重要な「ふくみ」が

それらしく出来ているので、いい事にして受け取った。その時主人は真新しい、きれいな石臼をもうひとつ出してきて、

「お客さんの石はあんまり脆くてお粗末なんで、ちょうど青御影の特上石の廃材があったんで、ついでにもうひとつ作りまし

た。宜しかったら使ってみて下さい」と私に押しつけてきた。較べてみると、どう見ても青御影の方が上等に見える。それでと

りあえずふたつとも受け取って帰ることにした。

 家に帰って挽き較べてみると、前からの私の石臼も以前よりずっといい粉が出るようになったけれども、青御影の方はそれに

も増していい粉が取れた。やはり石の違いはあるようである。こうなるともうこの青御影を手放すことはできない。

 それからしばらくして、石屋から請求書が届いた。開けてみると、目立てだけでなく青御影の請求も含まれていて、かなり高

い請求書である。一旦は憤慨して返品しようと思ったが、愛着のわいた青御影を今さら返すのも忍びないので、やはり買うこと

にした。

 それから箕面の中川さんの所へ行って、石臼がふたつになった話をしたら、中川さんが、

「うちも電動の石臼の予備にひとつ自分で作りたいと思っていたところです。どこかにいい石ありませんか」と聞いてきた。

「自分で彫るんですか」

「そうです。もうチスとタガネを注文しました。でないと高くつくでしょう」

「山梨の塩山の石が最高だそうですよ」

「それ手に入りますか。もし入るなら頼んでもらえませんか」

 という訳で、甲府の石材加工組合に又電話することになった。前に電話をした時に、一尺立方の原石の値段を聞いたら、たし

か五千円もしなかったので、原石は安いものだという印象がある。又、電動の石臼なので、能率を上げるためにも、手廻しのも

のより石は大きい方がよい。

 しかし電話でややこしい注文をして、誤解が生じても困るので、ごく簡潔に、

「三十六センチ立方の原石を、真ふたつに割った状態で送ってほしい。表面はカッターで切ったそのままで加工はいらない」と

注文した。

 それから十日ほどして、その石が中川さんの所に届いた。

 模様のそろった美しい石で、その上表面はつるつるに仕上げがしてあった。その分余計に加工賃を取られた訳だが、それでも

安いものですと中川さんは澄ましている。

 それより何より、大きくて重くて、店内に持ち込むのもひとりでは抱えられず、転がして運んだそうである。

「十年位で彫るつもりでしたが、二十年かかりそうですわ」と、中川さんはにが笑いをした。そして、

「まあいいです。だめなら私の名前を彫りますから」とニヤニヤしながらつけ足した。

 この人はこの石を基石にするつもりらしい。皮肉っぼく笑うその目を見ていると、

「ついでにもう一方は畑野さんの名前でも彫りましょうか」と言いたそうに見える。

 だがそれには及ばない。わが家には石臼がふたつもあって、その内のひとつは正真正銘の墓石の片割れである。型が少し小さ

いのさえ我慢すれば、十分にその用をなす。

 いつか会社で雑談していた時に、

「畑野さんは死んでも墓石の心配はいらんでしょう。上に石臼をのせておいたらいいんだから」

「そうそう。それでお参りに来た人が、一回ずつ廻すようにしたらいい」という話になった。

 とんでもない。そんなことをされたら私は、おちおち地下で眠っていられない。目立てが気になって、ちょいちょい顔を出す

が、それでもいいのかしら。しかし考えてみると、タガネをもった幽霊など、格好も何もあったものではないので、出る方でも

少しは気がひけない事もない。