篭 の 鳥
私の住む団地に『日の出会』というお年寄りの集まりがある。
日頃はゲートボールの練習で汗を流すのが主な活動であるが、それ以外にも毎月一回、団地の集会所に集まり、昼食を共にす
る親睦会なども行っている。
先日その『日の出会』の会長から私に、次の例会で、そばの話でもしてもらえないかという声がかかった。その話を聞いてき
たのは家内であるが、家内は口べたな私にそんな役が勤まる訳がないと決めてかかっているので、「どうする。ことわる?」と
結論を急ぎたがる。
しかし私はあまのじゃくだから、そう見くびられると、却ってやってみたくなる。
たしかに私は口べたで、大勢の前で話をした経験もないけれども、工夫しだいではできそうな気もするのである。
どう工夫するかというと、講演調で最後までしゃべる自信はもちろんないので、氷室そばについて私が今まで書いた文章のい
くつかを、朗読しながら話を進めてはどうかと考えた。
朗読というのは、浪曲や落語と同じく一方的に演じるものであるが、演じ方さえうまくやれば十分聴衆を楽しませるものであ
る。そして私はその朗読にいささか自信がある。
私が高校一年生の時、現代国語の先生は田中先生といい、「鬼」の異名をもった怖い先生であった。
ある日、田中先生が教室に入ってくるや、珍しいことを言いだした。
「今日は台風で外も荒れ模様だし、授業はやめにして、本読みの時間にする。順番に教科書を読んでいって、間違えたりつかえ
たりしたら、次と交替することにしよう」
ひょっとして先生は予習ができていなかったのかも知れないが、そんなことはどうでもいい。窮屈なはずの授業が、急にリラ
ックスした雰囲気に変わり、教室中が手を叩いて喜んだ。
そして何人か交替するうちに、私の番になった。ちょうど太宰治の「走れメロス」の始まったばかりの所である。それまでに
読んだことはないが、うまく調子にのって、最後まで間違えずに読むことができた。
私が読み終わると田中先生が、
「うまいもんだ。みんなも引き込まれたろう」と言われた。
たった一度きりの経験であるが、これが今日の自信の根拠なのである。
それで『日の出会」は朗読という線でいくことに決めた。太宰治の名文と私の悪文では、一緒にならないのは解っているが、
どうせ読み手もたいしたことはないのだから、形だけでもそれらしくできれば良しとしようと考えた。
早速、会長に電話をかけて承諾の返事をした。その時、同時にふたつの条件を申し入れた。ひとつはもちろん朗読形式でやり
たいということである。もうひとつは、その席にご隠居さんを同席させてほしいということである。
氷室そばは、ご隠居さんと私の分業による産物である。水室そばを語るのに、ご隠居さんを抜きにして私だけでしゃべる訳に
はいかない。たとえしゃべるのは私だけとしても、そばに居てもらわなければならない。
ただ、ご隠居さんは『日の出会』の会員有資格者でありながら、今のところ入会していない。その点だけが少し気がかりだっ
たが、ご本人も会長もそんなことは問題にしていないようで、両人とも私の条件を快く了承してくれたので、ひとつ問題は片づ
いた。
そうと決まれば気は楽で、あとは朗読を始める前の前口上と、朗読と朗読との間をつなぐ口上を考えておけばいい。
と言っても、やはり少しは気になるので、井伏鱒二の小説をプロが朗読したカセットテープを買ってきて、朗読の勉強をする
ことにした。しかしこれは文字通り泥縄であって、プロの芸と技に感服しただけで、何の役にも立たなかった。やはり自分の現
在の力で、全力を尽くすしかないようである。
ところで私にはこの十年来、ひとつの持病がある。賛沢病のひとつで、原因は食べすぎであることは解っている。
私はもともと腸が弱く、痩せているが、小食さえ守っていれば、体はいたって快調である。それは解っていても、根が食いし
んぼうだから、調子がいいとつい食べすぎてしまう。そういうことが何日か続くと、突然、ある朝目が覚めてみると、猛烈な頭
痛がしている。食欲もなくなっている。
その場合私は、薬を飲まず、二、三日絶食して、寝てなおすことにしている。
私の考えでは、頭痛や発熱、食欲不振などという体の諸症伏は、病気に対抗するために体がやむを得ず起こしている自然な反
応であって、無駄に起こっているものではない。これらの症状が不快だからといって、薬で症状だけ抑えるのは、神の摂理に反
する邪道である。だから私はよほどのことがない限り、薬を飲まずに、もともと体にそなわった治癒力に頼ることにしている。
ある本で読んだところによれば、魚を使った実験で、強制的に風邪をひかせて熱を出させた群れのうち、半分はアスピリンを
注射して熱を下げ、残り半分は放っておいたところ、注射で解熱させた方はほとんど死に、自由にさせた方のうち、温かい水域
に移動したものだけが生き残ったそうである。
準備万端ととのい、『日の出会』の当日を待った。ところが当日の朝目を覚ましてみると、頭が重くで起きづらい。と言って
今日は、どうしても起きない訳にはいかない。無理をして寝床から出ると、ゾクゾクと寒気がするようである。吐き気もする。
運悪く、よりによって一番大事な日に、持病が襲ってきたのである。
食欲が全くないので、朝食はもちろんとらない。いつもなら薬も飲まないのだが、頭痛をがまんして大勢の前で不機嫌な顔も
したくないので、鎮痛剤だけ飲み、時間まで横になって待つことにした。今日は昼前に、ご隠居さんと会場に行き、みんなと一
緒に食事をして、それからお話をするという段取りになっている。
こたつで横になっていても、寒気でガタガタ震える。そろそろ約束の時間という頃になっても、食欲どころか、食べ物のこと
を考えただけで戻しそうである。これはとても会食どころではない。食事中に粗相でもあってはいけないので、ご隠居さんと一
緒に会場に行き、会食だけ失礼したい旨会長に伝えた。私が失礼するならというので、ご隠居さんも失礼した。
これで又、二時間ほど家で休憩できる。と思ったが、家に帰るや否や、がまんできずに戻してしまった。胃の中がからっぽな
ので、出てきたのは、薬を飲む時飲んだ水だけである。しゃべっている本番中に、こんなことにならなければいいがと思う。
そのうちに予定の時間になり、お呼びの電話がかかってきたので、観念して、再びご隠居さんを誘い会場に出かけた。
会場は食事か済んだところで、テーブルの配置が乱れ、退屈したお年寄りたちが壁にもたれて足を伸ばしたり、かなりくつろ
いだ雰囲気になっている。壁にそって部屋をとり巻くように置かれたテーブルの上には、ワンカップの空きびんもころがってい
る。
我々が入っていくと、数人が立ち上がってテーブルの乱れを片づけ、上座に用意された席へ我々を請じてくれた。寒気がする
ので、もし部屋が寒ければジャンパーを着たまま話をしようかと思っていたが、席に座ってみると、秋の日がガラス越しに差し
ていて、背中がポカポカと暖かい。これならジャンパーを脱いでも大丈夫なようである。
まず会長が立って我々の紹介を始めた。と同時にひとりの小柄な老人が出てきて、会長の目の前に立ち、耳を会長の口の前に
近づけ、一言ひとこと大声で聞き返している。少し耳が遠いのであろう。
紹介が終わって私がしゃべり始めると、今度は私のテーブルの真向かいに座り、両耳に手を当てて聞いている。そして目は私
の唇を凝視している。これだけ期待されては、私も頑張らざるを得ない。
体調がすぐれないことを断わっておいて、すぐに始めた。
「こんにちわ。畑野でございます。何かしゃべるようにという事ですが、私に限ってためになる事は決してしゃべりませんか
ら、どうぞ安心して、足などくずされて、おとぎばなしでも聞くようなつもりでお聞き下さい。学校の授業と違って、あとで試
験もありませんので、気楽に聞き流して頂ければいいと思います。
さて本日は、あつかましくも人生の大先輩である皆様方の前でお話することになり、大変戸惑っております。私はまだこのよ
うな経験が少なく、今回このお声が掛かった時も、どうしようか、お断りしようかと、しばらく迷いました。断るというのは一
番楽な解決法です。しかしこういう話は滅多にあるものではないし、せっかくのチャンスを逃すのももったいないと思い、勇気
を奮ってお引き受け致しました。
私はどういう訳か、生まれて物心つくまでのほんの数年間だけ、親も困るほどのおしゃべりだったそうでありますが、その後
は、成長するに従ってだんだん無口になり、ひどい時には口を開くのも面倒くさいと思ったこともあります。物を食べるために
口を開けるのは何でもないのですが、とにかくしゃべるのが億劫なのです。
しゃべることだけでなく、文章を書くということも苦手で、小学校以来、作文は一番嫌いな学科のひとつでありました。それ
がどうした訳が、数年前から急に文章が書きたくなり、少しずつ書くようになりました。でも最初は、自分のボロをさらけ出す
まいと、身のまわりに厚い壁を巡らせて書くものですから、文章は固くなるし、ちっとも筆が進みません。ところがそのうち何
かの拍子に、壁を少しこわしてボロをチラッと見せると、読んだ方も面白いと言うし、こちらもリラックスして書きやすいこと
に気がつきました。
こちらがいい格好をしている間は、読む方も敏感にそれを感じて、面白くなくなり、反対に恥も外聞も捨てて、すべてをさら
け出すと、はじめて面白く読んでくれるんだということが、段々に解ってきました。ところが、恥も外聞も捨ててすべてをさら
け出すということは、口で言うほど簡単なことではないのです。そのためには、ボロをすべてさらけ出しても恥じないだけの自
信が、自分になくてはなりません。
しかしそれに気づいただけでも、文章を書くのはよほど楽になりました。そして昨年の秋には、書き溜めた文章が『そばの香
り』と題して、一冊の本になりました。
文章がそうですから、しゃべる方もこの先どう変わっていくか解りません。ひょっとして慣れてくると、子供の頃の勘どころ
を再びとり戻して、又おしゃべりに逆戻りしないとも限りません。そうなると今回のような話が出ても、あいつはしゃべらせる
ときりがないからやめておこう、という事になるかも知れません。
だが今日は大丈夫です。まだそんな自信がありません。それどころか、最後まで無事にお話できるかどうかさえ、心もとない
のです。今日は『氷室そばと私』と題してお話しようと思っていますが、その心細さを紛らすために、心強い方に来て頂いて、
隣に付いてもらうことに致しました。その方というのは、この人なしには氷室そばは語れないという方で、皆様よくご存じの福
原さんです。私の文章の中にはご隠居さんとして、しょっちゅう登場し、そばの栽培や石臼の調整をして下さっている方です。
どうぞよろしく。
さて、こういう調子で最後までお話できたらいいのですが、何しろ私は前にも言いましたように、無口で口べたときています
から、いつどこでバッタリとつかえないとも限らないのです。こんなことを言うと皆さんの中には、そんな時のためにご隠居さ
んがそばに控えているのではないか、とそうお考えの方がおありかも知れません。それはしかしそうではないのです。ご隠居さ
んは私と同じく技術屋さんですが、しゃべる方は私以上に口べたなのです。もし私に代わってご隠居さんがしゃべるということ
になると、話は益々混乱して、収拾のつかないものになってしまいかねません。
そういう訳で本日は、氷室そばについて私が今まで書いた、いくつかの文章を朗読するという形で、話を進めていきたいと思
っています。外国では、詩人や作家が自作の詩や小説を朗読するということはよくあることで、音楽会や芝居と同じように、興
行としても成り立っているようです。
と言っても、今日私が朗読するというのは、なにも外国の作家の真似をしようというのではありません。ただ口べたで、間が
もてない可能性があるので、そうするだけの話です。時間の関係で、すでに『ふるさとひむろ』等に発表したものと、未発表の
ものを含めて、三篇程読み、残った時間を雑談形式で、質問などあれば、お受けしたいと思っています。
それではまず最初が、『氷室そばの誕生』という文章です。これは二年前に『ふるさとひむろ』に発表したもので、すでにお
読みになった方もおられると思いますが、ここから始めないと話がはじまらないので、そういうことにさせて頂きます」
ここまでの口上はすでに準備していたことでもあり、棒暗記しているので、前を向いたままでもしゃべることが出来る。目の
前で聞き耳を立てていた老人も、何とか理解できたと思う。しかしこれから先は、そうはいかない。原稿を読むのであるから、
殆ど下を向いたままで、たまにしか顔を上げない。声も張っているつもりであるが、体調が悪いので、思うほどには出ていない
かも知れない。
目の前にいた老人が、ごそごそし始めたと思うと、ぶつぶつ言いながら自分の席に戻っていった。そして隣の会長に向かっ
て、「さっぱり解らん」と言っている。それだけならいいが、よほど退屈していたのか、しゃべりだしたら止まらない。声もし
だいに大きくなってくるようである。会長がはらはらして、静かにさせようとしているが、全く効き目がない。そのうちに、
「逢いたさ見たさに」と歌までうたい始めた。見かねた老人のひとりが私に、「すいませんが、三分中断して下さい」と言っ
て、その罪のない老人を部屋の外にそっと連れだした。玄関まで見送って、お引き取り願ったようである。
そこまでしなくてもいいのにと思う。私だってこんな話をするより、一緒になってその歌をうたいたい。その方がずっと楽し
いに決まっている。病気もふっ飛ぶかも知れない。
暗い夜道を ただひとり
逢いにきたのに なぜ出て逢わぬ
僕のよぶ声 忘れたか
私の大学時代からの友人のKが、少し前に、ある人妻と道ならぬ恋に陥った。先日会った時、Kは私に、「逢たさ見たさに」
の歌を教えてくれと言った。ふだん歌などうたわない男なので、「何事だい」と訊いてみると、「この前会った時、彼女がうた
ってくれたんだ。今度、一緒にうたおうと思ってな」とのろけている。
「それは結構。でもこの歌は、いっしょに歌うより、交互にうたう方がいいよ」と、その時、知恵を授けてやったが、その知恵
もあまり役にたたなかった。理性的な篭の鳥は、最後まで、篭から外に出てこなかったようである。
篭の鳥は出られなくても、あのおじいさんの方は、もう外に出て居ない。会場も静かになり、朗読を再開した。そして無事ひ
とつ読み終えたが、次の朗読に移る前に、何かしゃべらなくてはならない。そのつもりで用意はしてある。
「以上で、氷室そばのおいたちその他、概略がお解り頂けたことと思います。次はいよいよ実地にそばを打つ話に入っていきた
いと思います。ただここでひとつだけお断りしておかなければならないのは、私がこのようなそばの話を文章に書くのは、そば
道を極めて悟りを開いたということではないのです。ただそばの道に迷いこんで、もがき苦しんでいる過程を、そのまま文章に
表現してみようと努力しているだけですから、決して参考にはならないのです。現在解ったと思って書いたことが、数カ月たっ
てみると、違っていたということもよくあります。したがって、新しく文章を書くたびに、前の文章と矛盾する所が出てきま
す。
これからお読みする文章は、今からほぼ一年前に書いたものですが、この中にも今から見ればおかしいと思う所があります。
しかし私が書くのは随筆であって、啓蒙書ではないのですから、そういう事も許されるのではないかと勝手に思っています。プ
ロのそば屋さんの中には、私の書くものを興味をもって読んで下さる方が何人かおられるようですが、そういう方々は私の文章
を読んで、勉強しようなどと思っているのではなく、何だあいつはまだこんなことが解ってないのか、おや、やっとここまで解
ったか、という風に優越感を感じながら読まれているのだと思います。
そういう訳ですから皆様方も、私の話を聞いて参考にしようなどとはお考えにならずに、何とバカなことをやるもんだと、優
越感を持ってお聞き願いたいと思います。
それでは続いて次の『氷室そばの手打ち』という文章を朗読することに致します。これは今年の春先に書いたもので、未発表
のものです」
と言っておいて、次の朗読を始めた。すると今度は私の左の方から、かすかな寝息が聞こえだした。話に調子がつくと、寝息
も大きくなる。食後でおなかが一杯な上に、秋の日差しを背中に受けては、無理もないことである。それにしても、隣でしゃべ
っているのに平気で寝られるとは、ひょっとして、私の朗読も捨てたものではないのではないかしらと思う。
私の経験からしても、音楽会で寝られるのは、演奏が概していい時である。ヘたな演奏の時は、腹がたって寝ておれない。逆
にとびきりうまい時は、これは又、興奮して寝てなどいられないが、普通にうまい演奏では、気持ちよくなって寝ることがあ
る。だから話し中に寝られる分については、少しも気にならない。
いびきとあい呼応しながら、ふたつ目の朗読を終わった。ただこの話の終わりの部分で、氷室そばへの招待の話題があった。
この点についてはご臨席の諸氏も、おおいに気になる所であろうと思われるので、ひと言触れておかねばならない。
「今お読みした話の中でも少し触れましたが、私はこういうそばの話を人にする時に、気になることがひとつあります。それは
どういうことかと言いますと、あいつはうまそうな話をするばかりで、ちっとも食べさせてくれないではないか、と言われるこ
とです。聞かされる方の立場に立ってみれば、それはそれで尤もな話であります。ですから私がこういう話をする時にはいつ
も、そう言われないように、予防線を張るよう心がけております。今回もその例に従って、予防線を張っておこうと思います。
本日お集まりの皆様方の中に、氷室そばはうまそうだから一度食べてみたいと思われる方がおられましたら、どうぞ私の家に
お出下さい。狭い所ですが、一度に三、四人までなら何とかお引き受け出来ると思います。但し私の仕事の都合や、準備の都合
もありますから、その場合はあらかじめ、日取りと時間を打ち合わせてということになります。科金は頂きませんが、それでは
かえって気をつかって困ると仰る方には、私の『そばの香り』を一冊買って頂くことにしております。そうすれば、私も助か
り、又来られる方も大きな顔をして来られるのではないかと思います。
それではいよいよ最後の文章に移ります。最後はそばを挽く石臼について、少し突っ込んだ話をして終わろうと思っていま
す。題は少し長く、『臼に凝って墓石を彫る』という題です。『墓穴を掘る』という言葉がありますが、それを真似て『墓石を
彫る』です。これはつい最近書いたばかりで、一番最新の作ということになります。それでは始めることに致します」
この話は、今までのふたつに比べてかなり長い。聞き手を退屈させないように、注意しなければならない。さいわい話題が石
臼から墓石に移り、私がその墓におさまり、更に幽霊になって出てくるという話なので、お年寄りにとっては身近な話題であっ
たかも知れない。たえず笑いの反応もあり、十分楽しんで頂けたという自信を得て、内心、意気揚々と話を終えた。
質疑応答に移ると、ひとりのご婦人が待ち構えたように手を挙げた。質問ではなく、私の話に対する感想のようである。
「あなたはまだお若いので無理もないですが、年寄りというものが解っておられないように思います。年寄りに話をする時は、
原稿を読むのではなく、面と向かって諭すように話しかけないと駄目です。時間もせいぜい十五分です。それ以上は集中力が続
かないのです。足の痛い人もいれば、腰の痛い人もいるのです。その点さえ気をつけて頂ければ、お話はたいへん結構ですか
ら、いくらやって頂いても結構です」
私の思いも及ばなかった盲点をつかれて、グーの音も出ない。ただ、
「お言葉を参考にさせて頂いて、今後の勉強と致します」としか答えられなかった。内心では、
「私にアメリカ大統領のような演説を期待されても、無理な話だよ」という反論もあったが、口に出すのはさし控えた。
その後はしばらく、そばに関するごくありきたりの質問が続き、そのうちにだんだん矛先が、ご隠居さんに転じてきた。ひと
りの老人が口を開いて、
「どうでしょうな、ご隠居さん。世の中にはいろんな人がおりますから、年をとっても老人会なんかに入るもんか、という人も
おられます」と言いだした。すかさずご隠居さんが、「私もそのひとりです」と答える。
「そうなんです。でもここらでご隠居さん、私らの仲間に入って、その豊富な知恵を貸してもらえないもんですかね」
「私、退職したばかりの頃、一度誘われて、六十五になったら考えますと答えたんですが、七十近くなった今でも、入りたくな
い気持ちは一緒です」
「それそれ、それが問題なんです。年寄りは年をとればとる程、積極的に社会参加すべきで、それがひいては若さを維持するこ
とにもなるんです。それを拒否するというのは、もう老化現象の始まりなんですね」
これは大変な所に、ご隠居さんを連れてきてしまった。プロレス好きのご隠居さんを、わざわざ敵のコーナーに引きずり込ん
だようなことになった。結局、意気揚々と帰るはずが、揃って逃げるように会場をあとにした。
その後私は、二日間、絶食してふとんに潜りこんだまま、一歩も外へ出られなかった。
これも老化現象の始まりかしらと心配になるが、それはともかく、そのために二日間、会社を休んでしまった。病気とはい
え、急に休みをとったりして、迷惑をかけた会社の社長に、ひと言お詫びしておかねばならない。
出るに出られぬ 篭の鳥