唱 歌 歳 時 記 覚 書
見わたす山の端霞ふかし
春風そよ吹く、空を見れば
夕月かかりて匂い淡し
これは言うまでもなく小学唱歌「朧月夜」の一節である。私が子供の頃から愛唱してきた唱歌の中には、私の心の財産とも言
える歌がたくさんあるが、この「朧月夜」はその中でも特に私が愛している歌のひとつである。
この歌を初めて習ったのは、私が小学校六年の時ではなかったかと思う。メロディーの美しさにまず魅了された私は、春の宵
のおぼろにかすんだ情景が何となく頭に浮かんでくるような、美しい歌詞を口ずさんでいるうちに、子供心にも恍惚とした気分
にひたったことを覚えている。
しかし近年こういった懐かしい唱歌が教科書から次々と姿を消して、誰にも歌われなくなりつつあることは非常に寂しいこと
である。歌詞が難解であるとか、現代生活にマッチしない、軍国主義的であるとか理由はいろいろあるようであるが、先人達が
遺してくれた貴重な文化遺産であることを思えば、もったいない話である。
これも時流とあれば仕方ないが、そうだと言って簡単に諦めるわけにもいかない。
今から五年程前、大阪のKフィルハーモニーに私がビオラ奏者として、しばしばエキストラ出演していた頃のことである。貧
しいオーケストラとしては小学校や中学校を廻って音楽教室を開くことが、貴重な収入源にもなっていたので、月のうち何度と
なくそういう演奏会があって、私も時間の許すかぎり一緒に学校まわりをやった。
そして音楽教室には必ずプログラムの一部に、楽器紹介というコーナーがあり、各パートのトップ奏者がひとりずつ、何かの
有名なパッセージなどを、サラッと格好よく演奏することになっていた。そんなある日、わがビオラパートのトップ奏者のI氏
が私に、「楽器紹介の時いっしょにデュエットしてもらえませんか」と言ってきた。
すぐ引き受けたものの良く考えてみると、デュエット用の楽譜がそんなに手頃にあるわけはない。
そこでその時々の季節に合った小学唱歌や童謡を選んで、自分でビオラの二重奏に編曲しては、そのつど楽器紹介で演奏して
みたところ、なかなか評判が良く、気を良くして続けているうちに、いつのまにか四十曲の編曲ができ上がった。
その中には冒頭の「朧月夜」はもちろん、その外にも「春の小川」「早春賦」「茶摘」「夏は来ぬ」「われは海の子」「故
郷」「紅葉」「野菊」といった小学唱歌や、「タやけ小やけ」「うれしいひなまつり」「てるてる坊主」「小さい秋見つけた」
などの童謡も含まれている。
その内訳は唱歌が二十五曲で、童謡が十五曲であるが、まとめて「唱歌歳時記」と名づけた。
最初の目的はビオラの二重奏として編曲することであったが、ビオラの二重奏というのはあまり一般的ではなく、ついでにバ
イオリンとビオラの二重奏に書きかえ、更にチェロをつけ足して弦楽三重奏用にも同時に編曲した。
但しバイオリンとビオラだけでも二重奏として聞けるという条件つきなので、チェロを自由に動かすことができず、チェロ弾
きにとっては少しもの足りない動きになった。又、楽器紹介用としては短くなければならないという制約もあって、編曲は前奏
も間奏もなしのワンコーラスだけとなり、これもちょっともの足りないが仕方がない。
ともあれ一年分で四十曲完成したので、楽譜としてはとりあえず格好はつくが、書き進むうちに、テープとしてもなるべくい
い演奏と録音で残そうと考えだした。そこで、正月から書き始めて、四月の終わり頃までにでき上がっていた十四曲をまず、五
月の連休中にわが家で録音することにした。
バイオリンは現在大フィルで活躍中のH氏に頼み、ビオラは私自身が担当し、チェロは前著の拙稿『K医師とチェロ』で紹介
したK先生にお願いした。
録音は最新技術のデジタル録音なので、録音技術そのものには全く文句はないが、ただ部屋が狭く天井が低いために、スタジ
オで録音するような訳にいかなかったのが難点であつた。
又、いくら楽器紹介用といっても、演奏して録音に残すとなると、ワンコーラスではあまりにあっけないので、カラオケ代わ
りに一緒に歌う人のことも考えて、終わりの四小節をまずバイオリンとビオラだけで弾いて前奏とし、中身も二番まで繰り返し
て演奏した。
その日は昼過ぎに録り始めて、途中夕食の休憩をはさみ、夜の九時過ぎまでかかって十四曲すべて録り終わった。
二回目の録音はそれからほぼ一年後、翌年の四月下旬に残りの二十六曲がすべて完成するのを待って行った。場所は、前回わ
が家であまり良い結果が得られなかったこともあり、神戸の異人館街に住む知人のお屋敷の一室を借りることにした。そのせい
か響きもぐんと良くなり、弦の音がとてもやわらかくなった。ただ残念なことに、チェロのK先生が当時健康を損なわれていた
ため、その代わりとしてバイオリニストの高瀬真理君の弟で、高校のチェロ科に在学中の恵理也君にお願いした。
このテープは完成後、一本一本デジタル録音のマザーから普通のカセットテープにコピーして、希望者にお頒けすることにし
たら、別に宣伝したわけでもないのに、あっという間に五十本ばかり出て行って、自分でも驚いた。その中には海外に出て行っ
たものも何本かある。
テープが完成して二年以上たった現在でも、時たま二本、三本と注文があるが、それは決まってひとりの大学教授からであっ
て、その先生は海外出張のたびに、行く先々の国で世話になる現地の日本大使館員に、お土産として持参し、どこでも大変喜ば
れているそうであった。
私の作ったテープがそんな所でお役に立っているということは、私にとってもちろん嬉しいことではあるが、それ以上に、教
科書から消えてなくなろうとしている唱歌に対して、根強いファンがまだまだ世界中に多数存在しているという事実に、意を強
くするのである。
小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷
この歌を、山には蚊が一杯いて、兎をつかまえて食べたらおいしかったと解釈する子供がいてもいいではないか。その子供だ
っていつまでもそのように思い続けるわけではなく、そのうちに解る時がくるはずである。故郷のある人は言うまでもなく、故
郷のない人でもこの歌を聞くと、架空の故郷を夢みて懐かしがる人が多いと聞いている。
私の故郷は山口県の下関という所であって、兎を食べた経験はもちろんないのだが、この歌を聞くとやはり故郷が懐かしい。