息 子 の 失 踪

 

 長男が四才、娘が二才の頃の話である。

 犬の子でも人間の子でも、寝る前にはひとしきり遊ばせて、遊び疲れさせた方が寝つきが早く手間もかからないので、その晩

も娘を遊ばせていた。疲れさせるには少し腕力を使わせた方がいいだろうと思い、両手を取って持ち上げてやると、喜んで何度

でもやれと言う。娘より先にこちらが疲れてしまいそうだが、せがまれれば仕方がない。

 そのうちにやはり娘の方が先に疲れて、ぶら下がる手にだんだん力が無くなってきた。そして何度目かに持ち上げた時に、娘

の左手のどこかでポキッという音がしたようであった。と同時に娘が泣きだした。音がした左手はだらりと下げたままで、全く

動かなくなっている。と言うより、手が言うことを聞かないようである。ひょっとして肩かどこかの関節が抜けたかも知れな

い。

 娘の痛そうな泣き声を聞くと、早く何とかしてやりたいと思うが、こんな時間には医者もすでに門を閉ざしているに違いな

い。かわいそうだが今夜はこのまま寝かせて、あすの朝一番に接骨医の所に連れていくことにした。

 横にならせ、そばに付き添ってやっていると、しばらくしくしく泣いていたが、そのうちに泣きくたびれたのか、小さな寝息

をたて始めたので、こちらもホッとして床についた。翌朝早く、目を覚ました娘が又泣きだした。

 慌てて跳び起きて、なるべく近くの接骨医に電話をして、時間外の診察を頼んだら、診てくれるということだったので、家内

もいっしょに車ですぐに出かけた。長男はまだ寝ていたが、起こして連れていくこともないので、ひとり残した。

 接骨医は慣れた手つきで娘の肘のあたりを触っていたが、すぐに、

「肘が抜けてますね。一晩中痛みをがまんさせられて、かわいそうに」と言った。そして痛いという間もない程のはや技で、娘

の肘をポキッと折りたたんだと思うと、

「さあ治ったよ。動かしてごらん」と娘に言った。すると不思議なことに、今まで全く動かなかった娘の手が動くようになって

いた。

 手品を見ているようであったが、説明を聞けば納得できないこともない。

 肘が抜けたということは、関節の連結が完全にはずれたのではなく、連結の一部がはずれただけのことらしい。人間の肘関節

には、片方の骨から小さな棒状の突起が出ており、その突き出した骨が相手の骨の先端部に付いたリング状の筋の中におさまっ

て、かなり自由に動けるようになっているのであるが、子供の頃はその突起がまだ十分に発達していないので、ちょっとした拍

子に抜けやすいのだそうである。

 そういうことを先生は図を書いて説明してくれ、最後に、

「これでもう大丈夫ですが、念のために明日もう一度来て下さい」と言った。

 診察室を出る時、娘は先生にバイバイをした。それを見て私は、娘も自分の肘の痛みを癒してくれた先生に親愛の情を示して

いるものと思っていた。ところが翌日再び伺った時、娘は先生の顔を見るなり、又バイバイと言って手を振りだした。どうやら

娘のバイバイは、もう二度と顔も見たくないという挨拶であったようである。

 娘の肘も無事治り、ホッとして家に帰ってみると、ぐっすり眠っていたはずの息子がいなくなっていた。もう起きだしてもお

かしくない時間ではあるが、家の中にいる気配はない。狭い家なので探しまわらなくても、ひと所にいて家の中のようすはすべ

て解る。きっと外へ出たに違いない。

 少しは気になるので探しに出てみたら、ちょうどそこへお向かいの奥さんが出てきて、「オサム君ならうちでお預かりしてい

るので、ご心配なく」と言った。

 お向かいにはヒロシ君という同い年の友達がいて、今そのヒロシ君と一緒に朝ご飯を食べているという事であった。

 聞いてみると、朝、目を覚ました息子は、いつもなら必ず近くにいるはずの家族が、その日は誰ひとりいない、こんなことは

生まれて初めてなので、驚いてとび起きて、まず家中を探しまわった。そして確かにいないことを確認すると、パジャマのまま

で泣き叫びながら外にとび出した。その声を聞いてお向かいの奥さんが出てきたのである。

「オサム君どうしたの」

「お父さんがおらん」

「会社に行ったのと違う」

「カバンがあるから違う。カエちゃんもお母さんもおらん」

 私は当時、会社に行くとき、必ず黒のアタッシェ・ケースを持って出ることにしていたので、そのカバンが家にあるから私は

会社ではないという推理は正しい。あの慌てふためいた状況で、よく冷静に判断したものである。

「そう。でもオサム君ひとり置いて遠くに行くはずないから、すぐ帰ってくるわよ。うちに上がって待ってなさい」とか何とか

言われて上がりこんだのであろうが、さすがに娘の時のように、おき手紙を残す余裕はなかったようである。