万 歩 計
私は社会に出てから結婚するまでの五年間、大阪の住之江という所で下宿していた。その家の奥さんはIさんといって、今は
もうかなりの高齢になられたために、大阪の家をひき払って、東京に嫁いでいるお嬢さんのもとで一緒に暮らしている。
数年前に東京へ出張したついでに訪ねてみたら、Iさんはとても元気で昔とちっとも変わっていなかったが、ただ少し太った
ようであった。そして腰に時計のようなものを付けて、時々それを見ては、今日は何千歩歩いたなどと言っていた。その計器は
万歩計というもので、名前だけは前から知っていたが、実物を見るのは初めてだった。
しかしそれを見ても私は、機械の構造に興味があっただけで、別に欲しいとは思わなかった。それどころか、近ごろ特によく
歩いている私は、歩けば歩くほど逆に万歩計というものを軽蔑するようになっている。なぜなら私が毎日歩いている距離は、万
歩計で自分自身を励ましながら、辛うじて一日に何千歩か歩いているという人よりは、はるかに多いに違いないという自信と、
私のように毎日同じ距離を歩いている者にとって、歩数などというものは一回計ったら終わりで、二度も三度も計っても仕方が
ないだろうという考えがあったからである。
だがこの考えは、先日伊勢まで歩いてみて、少し変わってきた。
伊勢道中の間、私はたえず五万分の一の地図を見ながら歩いた。コース計画もその地図を見ながら立てたので、歩く道には赤
線が引いてある。ところがその赤線通りに歩こうとした場合、地図の上である地点からある地点までの距離を計算して、それに
よって今から五キロ先で右折することになったとしても、実際にその五キロを歩いて計るとなるとちょっとむつかしい。そのた
めに予定していた曲がり角がはっきりせずに困ったことが、旅行中、何回かあった。
それで何かいい方法はないものかと、帰ってきてからもずっと考えていたら、やっとひとつ思いついた。
人の歩幅というものは個人によって大体一定しているものだから、歩数さえわかれば、歩いた距離が計算できる筈である。す
なわち歩幅が一定であれば、距離は歩数に比例する。もっと簡単に言いかえれば、一定の歩幅で歩く限り、万歩計はとりもなお
さず距離計でもあるのである。
そのことに気がつくと、今まで軽蔑していた万歩計が急に欲しくなり、たしか近くのスーパーのスポーツ用品売り場で売って
いたのを思い出したから、次の休みの日に、早速買いに行った。
万歩計が手に入るとすぐにテストを兼ねて、娘と一緒に、わが家からご一キロほど離れた隣の団地のパン屋まで、パンを買い
にいってみた。行きは元気よくいつものペースで歩いたが、帰りは娘が疲れたので、少しペースを落とした。すると不思議なこ
とに、行きと帰りの歩数に相当な差があるではないか。なぜか帰りの方が少ないのである。パン屋に着いたとき見たら確か三千
歩を少し越えていた筈なのに、家に帰ってから見たら五千四百歩しか示していなかったのである。
ひょっとすると、歩き方によって指針の表示に差が出るのかも知れない。とにかくもっと詳しくテストしてみる必要がありそ
うなので、その翌日から毎日、出勤のとき家から駅までの間で、いろいろなテストを繰り返してみた。
まず最初の日に、行程の半分近くまで行った所で指針を見たら三千歩を越えていて、これでは少し多すぎるような気がしたの
で、後半は万歩計をはずして、実際に歩数を数えてみた。すると二千五百歩という数字が出てきた。やはり万歩計の表示は多め
に出るようである。
ひょっとして体のぶらさげる位置によって差が出るのかも知れないと思い、次の日からベルトの前につけたり、横につけたり
して較べてみたら、果たして前につけて歩いた日は駅までほぼ六千歩で、横につけると七千歩にまで増え、更にシャツの胸ポケ
ットにつけた場合は、八千歩近くまで増えたのである。
これでは全く何を信頼したらいいのか解らない。
そこでその翌日、意を決して、全行程を実際に歩数を数えながら歩いてみた。百までは無意識でも数えられるので、百になる
毎に右手の指をひとつ折り、又、頭の中で一から繰り返す。片手に指は五本しかないが、そろばんの原理を応用して、親指を五
の玉、その外を一の玉と考えれば、右手だけで千歩まで数えることができる。千歩までいくと右手をご破算にして、左手の指を
ひとつ折る。こうすれば両手で一万歩までは、間違えずに数えられるのである。
この方法で駅までの歩数を数えてみたら、正確な歩数は四、九三○歩であった。案の定、万歩計は実際の歩数より相当多めに
示していたのである。
それならそれで少しでも正確な結果の出る取りつけ場所はないものかと探した末、ベルトの背中の部分に取りつけた場合が、
一番正確な数字に近づくことが解った。それでは手に持って歩いたらどうだろうと思い、それも実験してみたら、今度は逆に少
なめに出てきた。
私が最初に万歩計を軽蔑すると書いたのは、万歩計というものが正確無比なもので、どこに付けようが、どんな歩き方をしよ
うがいつも正しい数字を表示してくれるという前提の上での話であって、これ程あてにならない物ということになると、話は全
く別である。
取りつける場所や歩き方によって、表示に二倍もばらつきがあるようでは、これはもう計器と呼ぶ資格などなく、益々軽蔑せ
ざるを得なくなるのである。