靴     屋

 

 私は今履いている靴をもう一年半以上履き続けている。しかも同じ靴ばかりを敵のように履き続けているのである。毎朝出勤

の時に歩く五キロも、もちろんこの靴で歩いてきた。買う時に、特に軽くて丈夫な靴を選んだので、値段は少々高かったが、何

しろ丈夫で、どこもびくともしていない。

 しかし最近、踵だけが少しちびてきた。それも私の歩き方が悪いのか、踵の外側ばかりが斜めにちびるようである。ちびたか

らと言って歩きづらい訳ではなく、靴の方が私の癖に順応してちびているのだから、むしろ歩き易くなったとも言えるのであ

る。踵から着地して爪先で離れるまでの動作が非常に滑らかにいくので、とても気にいっていた。

 だがそのうちに、一緒に歩いていた小学生の娘が気づいて、「お父さん、おかしい」と言いだした。娘に指摘されて初めて私

も、踵のちび具合が他人の気づく程になっていることを知った。そう言われてみると、雨の日などに危うく滑りかけたことが何

度かある。これも踵がちびてきたせいかも知れない。

 そこで修理でなおせるものなら修理しようと思い、ある日会社の帰りに、駅前のガード下にいつも店を出している靴修理のお

やじに聞いてみた。おやじは私の靴を手に取って、黒縁の丸眼鏡を通してちびた踵を観察していたが、私に靴を返しながら素っ

気なく言った。

「ちびた踵を全部切り落として、新しい踵を貼りつければ修理できますけど、今からでは接着剤の乾きが悪いんで、昼間に持っ

てきてくれまへんかな」

 接着剤の乾きがどうこう言うのは言い訳であって、早く店じまいして帰りたいというのが本音であろうと、私はその時勘ぐっ

た。又、昼間来いと言われても、そんなに簡単に昼間の時間を都合できるとは限らない。それより修理できると判った以上は、

どこに持って行っても同じであろうとたかを括り、何日か後の休みの日に、用事で駅の方に出たついでに、駅前のデパートの靴

修理コーナーに行ってみた。

 ところがその店の若い従業員は、私のちびた靴底を見るや、

「こんなにちびてしまっては、もう修理できません。ちびる前に持ってきて貰ったら何とかなったんですがね」と言った。

 冗談ではない。誰がちびる前に修理になど出すものか。やはりガード下のおやじの所に持って行くしかなさそうである。

 それからひと月以上たったある日、たまたま昼頃出勤する日があったので、少し早めに家を出て、ガード下に寄ってみた。お

やじは私の顔は覚えていないようだったが、靴の底は忘れていなくて、

「この靴には見覚えがある。前に尋ねてくれた方でしょう」と言った。これなら話が速い。

 こちらが何も言わなくても、すべてを呑み込んでいるという顔で、すぐに仕事にとりかかった。

 まずヘラのように先の丸くなったナイフを取り出して、バケツにためた水で刃先を湿らせながら、靴の裏に切り込みを入れて

いたが、見ていて気持ちがいい程良く切れる。あまり良く切れるので、

「そのナイフは毎日研ぐんですか」と私が聞いてみたら、

「そうです。商売道具やさかい、切れな仕事になりまへんよってにな。ところで旦那、わたしら人を見る商売やけど、旦那の商

売は先生でっしゃろ」と関係ないことを言い出した。

 私が否定すると、

「そうでっか。どう見ても先生タイプやけどなあ。人からもそう言われまっしゃろ」

 などと、どうしても私を先生にしないと気が済まないようなことを言う。だがそう言われてみると、心当たりがないでもな

い。今までに二度ほど、先生と間違えられたことがある。

 私が毎朝歩いている道のそばに、田圃の中の一軒家があって、今は空き家になっているが、以前は老夫婦がふたりで住んでい

た。いつもひとこと挨拶するだけで通り過ぎていたが、ある時何かの用事があって訪ねて行ったら、そこのおばあちゃんが私の

ことを、

「どこかの先生と違うやろかと、主人と噂してました」と言ったので、こちらがびっくりした。それが先生と間違えられた最初

で、次は近所の酒屋である。

 今の家に引っ越してきて数年たったある日、私がひとりで留守番をしている時に、その酒屋が御用聞きにきた。私はテレビ局

という仕事柄、出勤時間は不規則な上に、平日でも家にいたりして、知らないうちは誰からも不審な目で見られることが多い

が、この酒屋も時ならぬ時に私が家にいるのを不思議がって、

「大将、おつとめは何ですの。先生とちゃいますか」と言った。先生なら年三回長い休みがあるので、そんな風に考えたのかも

知れないが、その推理も残念ながらはずれた。

 この外にも私が知らないだけで、私のことを先生だと思っている人がいるかも知れないが、私は先生ではない。しかし先生に

なろうかと思ったことはある。

 私が高校生の時、日頃教わっている先生方の毎日の仕事ぶりを見て、先生という仕事も面白そうだなと思ったので、家に帰っ

てそう言ったら、母が即座に、

「つまらんから、やめとき」と言った。なぜつまらないかは、その時聞かなかったが、何となくそんなものかと思っただけで、

それ以来今日まで、先生になりたいなどと考えたことはない。

 おやじは私が先生でなかったので、ちょっと出端をくじかれたのか、しばらく黙って仕事を続けた。ちびた踵の部分をきれい

に切り落とし、そこへ新しい踵を当ててみて、ピタリと合うかどうか何度も切り込んでは調整していたが、これでよしと判断す

ると、今度は接着する両面にノリを塗って乾かし始めた。そこで又私が、

「わざわざ乾かすんですか」と聞いてみたら、

「そうです。このノリはよう乾かしてからでないと、くっつきまへん」

 そう言ってノリを塗った靴と踵とを、乾くまでの間、傍らに片づけておいて、もう一方の靴にとりかかった。それでもやはり

私の商売が気になるとみえて、先生でなければ何だと言うから、そこの朝日放送につとめる技術屋だと答えたら、

「そうでっか。ああいう仕事場は暑いでしょう」と言った。テレビのスタジオのことを言っているらしい。

「いや、僕の職場はスタジオじゃないから、寒いくらいですよ」

「それじゃ、もうえらい人でんな」

「とんでもない。ちっともえらくなんかない」

「でも旦那はワシとおんなじ位の齢でっしゃろ」

 私の観察では、おやじは私よりひと廻り近く年上と見ていたので、

「違いますよ、僕はまだ四十出たばかりです」と言ったら、おやじは意外な顔をして、私の白い帽子を見上げ、

「そんな格好をされてると、齢がわかりまへんな」と、訳のわからない言い訳をした。

 昔、中学の時の英語の時間に、日本語の「帽子」に当たる英語はふた通りあって、周囲にふちのあるのがハットで、野球帽の

ようにふちのないのはキャップであると習った。その呼び方でいくと、私のかぶっているのは白のハットで、おやじのは紺のキ

ャップである。まさか白のハットは年寄りのかぶるものと決まった訳でもなかろう。

 そのうちに乾かしていたノリが完全に乾いたとみえて、おやじはノリのついた踵を、削りとった靴の裏に貼りつけて、補強用

の釘を打ち込んだ。

「最近はノリの性能が良うなって、これでもう絶対にとれるようなことはあらしまへん」

 と太鼓判を押した。そう言っておいて、接着を終わった靴底を折り曲げたりしていたが、急に「しまった」とつぶやいて、考

え込んだ。

 靴底との接触面ばかりにノリを塗って、縦に切り込みを入れた接触面の方に塗るのを忘れたのである。そのため靴底を折り曲

げると、縦のすきまが開いて、ふたつの部分に分離してしまい、そこで靴底が完全に折れ曲がるようになっている。

 どうするかと思い注意して見ていたら、

「このままでも履けないことはないんですが、大丈夫です、ここのところにもう一枚薄い皮を貼りつけますから」と言って、小

さく切った薄い皮をつなぎ目の上に貼りつけて、又細い釘を打った。

 さすがにもう一方の方はノリ付けを忘れなかったが、バランスをとるためか、同じように小さな皮きれを、つなぎ目に貼りつ

けた。

そして殆どの作業を終えた時に、

「それにしても踵の外側ばかりこんなにちびるとは、旦那はよほど腸が丈夫でんな。これが内側がへるようだと要注意です」と

言った。

 しかしこのおやじの言うことはもう信用できない。なぜなら私はいたって腸が弱くて、少し食べすぎるとすぐ下痢をしてしま

う体質なので、日頃から小食を心がけているのである。靴底がよくちびているのは、人一倍多く歩いているだけの話である。

 最後に、修理の終わった靴を私が履いて、二、三歩踏みしめて履きごこちを確かめていると、

「どうです、履き易くなったでしょう」

 と自信満々で言ったが、なかなかどうして、靴の裏が固い一枚の板になったようで、ペタンペタンしてどちらかと言えば歩き

づらい。修理する前の方がずっと歩き易かったように思う。しかし今更逆らっても仕方がないので、浮かぬ顔をして頷いておい

た。