伊 勢 二 章
(JTB出版事業局主催 第14回日本旅行記賞佳作入選作品、
初出はJTB発行月刊誌「旅」1988年4月号)
第二章 伊勢拾遺記
完全主義とか完璧主義という言葉がある。
あの人は完全主義者だなどと使われたり、皮肉っぽくカンペキさんなどとあだ名される人もある。物事を遂行するのに完璧を
期さなければ気が済まないということでは、一見美徳のようであるが、度が過ぎると神経科医のご厄介になるようなことにもな
る。
その境界はどこにあるかと言うと、楽しみながら自発的に完璧を期すのか、強迫的にそうしないと不安だからそうするのかの
違いだそうである。病的な場合は、あることを完璧になし遂げたあと、幸福感を味わうどころか、益々不安になってすぐに次の
頂点を目指さないと気が済まないという。
最近の心理学では、何か動機となる感情が行動を起こさせるのではなく、行動したことがその動機となる感情を増幅させると
考えるのが通説らしい。この説によれば、人は悲しいから泣くのでなく、泣くから悲しくなるのであり、又腹が立つから怒るの
ではなく、怒るから腹が立つのである。従って不安に駆られて何かやっても、やり遂げたとたんに不安が倍加してくるというの
は当然の理である。
さて現在の私はどうかと言えば、完全主義者的な傾向が随所に見られるようになってきた。
カラオケをやるなら、まず自分で編曲、演奏、録音のすべてをしてテープから作る。葱をきざむなら包丁を研ぐのは当然とし
て、場合によってはまな板のかんな掛けもする。そばを食べるとなると、これ又自分でそばの栽培、製粉、製麺までやらないと
気が済まないという風である。
だがこれは強迫的にするのではなく、趣味として楽しんでやっていることであり、うまくいこうがいくまいが不安に悩まされ
ることなどなく、精神的にはすこぶる健康であると自分では考えている。
昨年の梅雨時分、私は奈良から伊勢までの道を、会社の先輩とふたりで歩き、その記録を「伊勢疼痛記」と題して先に書い
た。その中で私は旅の最終目的地を伊勢市駅前と書いたが、出発前の予定では伊勢で一泊したあと、もう一日賢島まで歩くつも
りで、宿まで予約していたのである。
ところが前に書いたような事情で、伊勢にたどり着くのが精一杯で、とてもそれ以上歩ける状態ではなかったので、翌日は朝
のうち伊勢でゆっくりして、午後の電車で賢島に向かったというのが真相である。
伊勢でゆっくりというと、当然お伊勢参りということになるが、境内を歩くこともおぼつかない私は、同行のミツヨシさんが
参拝に行っている間、内宮、外宮とも入口で荷物の番をしていた。
いくらゆっくりしていても、近鉄特急に乗れば賢島などすぐに着いてしまう。しかしこの時間では宿にチェックインするにも
早すぎる。どこかで又時間をつぶさなければならない。
賢島で時間をつぶすとなると、やはり釣りをやりたい。ミツヨシさんも釣りは好きである。一緒に釣行したことはあまりない
が、釣りに行った話はよく聞いている。だがその日の我々は、歩くことが目的で出てきた旅であるし、釣り道具の用意などもち
ろんない。時間的にも期待できる時間帯ではない。そんなところで手軽に遊べる釣り場と言えば、近くに奥まった入り江を仕切
って養魚場にした釣り堀がある。そこへ行ってしばらく遊ぼうということになった。
釣り堀は実直そうな老人がひとりで番をしていた。普通、自分の道具と餌を持ち込む場合、かなりの料金を取られるが、備え
つけの道具と餌で釣る場合は割安になっている。その日は時間も短いということでさらに値引きして、ひとり千円ということに
してもらった。
我々の外には三人グループの先客があって、釣り座の向こうの端に陣どって大物を狙っているようである。だが釣れている様
子はない。ましてこちらは備えつけのお粗末な竹竿とオキアミの餌である。期待しないようにしよう。一時間ほど時間をつぶす
ことだけが目的なのだ。
餌をつけて放り込んだが、案の定いつまで待っても何のアタリもない。
そのうちにまずミツヨシさんが竿を投げ出した。そして先客達の方へ釣況視察に行ったきり、いつまでも帰ってこない。私も
少し嫌気がさしてきた。しかし餌を残すのも勿体ないので、気前よく浮子のまわりに投げ込んでみた。
続けざまに投げ込んで、そろそろ自分の餌がなくなりかけた頃、気のせいか浮子がピクッと動いたようである。上げてみると
餌がない。新しい餌をつけて入れると、又すぐにピクッとして餌がなくなっている。姿は見えないが、何か魚が寄ってきたに違
いない。慌ててミツヨシさんを呼び返した。
ミツヨシさんも半信半疑で竿を出したところが、第一投にすぐ何かきた。うまく合わせて竿を弓なりにしならせている。だが
仕掛けが仕掛けなので、敵はなかなか姿を見せない。ここで無理をすれば切られてしまう。しばらくしてやっと姿を見せたとこ
ろをよく見ると、大きな真鯛である。四十センチはある。とてもこの竿と糸では釣り上げられそうにない。
こちらが難儀していたら、先客グループのひとりが気づいて、手網をもって走ってきてくれた。これもミツヨシさんが先程、
友好を深めてきた賜物である。移り気で堪え性がないという特性もこうなると捨てたものではない。
その晩のご馳走にこの鯛の活造りが一品追加されることになり、それでなくても海の幸ばかりの献立に一層の花をそえたこと
は、苦しかった伊勢道中のフィナーレとして誠に意味のあることであって、この鯛でめでたく今回の旅を締めくくっても良かっ
たようなものであるが、こちらにはそれができない事情がある。
それは完全主義者としての事情である。
はじめに木津から賢島まで歩く計画を立てておきながら、実際に踏破したのは伊勢までで、伊勢、賢島間が歩かずに残ってい
るのが、何としても気にかかるのである。
それでその年の夏が過ぎ、涼しくなり始めた初秋のある日、ふたたびミツヨシさんを誘って、残された行程を踏破するための
旅にでた。ミツヨシさん自身は完全主義者というわけではなく、単に私の堅苦しい主義の犠牲になっただけの話であるが、行き
がかり上観念して付いてきてくれたようである。
今回の出発点は、前回歩き終えてタクシーに駆け込んだ伊勢市駅前である。前回はここまで来るのに四日かかったが、そんな
馬鹿なことをしなくても、早朝の近鉄特急に乗ってくれば、朝の九時までに到着することも可能である。それで伊勢市駅前を朝
九時の出発とした。
示しあわせて同じ特急に乗るようにしてあったので、途中で一緒になって、八時五十七分に伊勢市駅に着いた。すぐに出発す
れば、ちょうど九時出発となって気持ちがいいが、今日の行程を考えると、この先山道ばかりを五時間ほど歩くことになってお
り、ドライブインなどのある国道に出るのに、早くても午後二時になる見込みである。それまで昼ごはんを我慢するとなると、
もう少し腹ごしらえをして行った方が良いのではないかという深慮遠謀がある。弁当を買っていってもいいが、どうせなら磯部
にある有名な鰻屋まで一息に歩いて、鰻を食べようという魂胆もある。
それで駅の構内のうどんを食べることにした。そう言えば前回も、出発してまもなくの所でうどんを食べた。廃バス利用のう
どん屋で、どうということもなかったが、今回も立ち食いうどんで、どうと言うことはない。
出発点である伊勢市駅前が外宮の門前であって、まずは内宮を目指して歩くことにする。
前回、内宮から外宮に向かってバスに乗ったとき、バスは昔の参道のような、両側に石灯篭の並んだ道を走った。今回はその
道を逆に歩いてみようと思ったが、どこで道をまちがえたか、いつまで歩いても灯篭が現れず、今に今にと思っているうちに内
宮に着いてしまった。
内宮の境内は大型バスやマイカーでやってきた参拝客で、もうごった返している。我々はその群衆を横目に、参拝もせずに脇
道にそれる。五十鈴川に沿って、内宮の対岸の山道を登っていくのである。山道といってもきれいに舗装された、自動車の通れ
る道で、この道をまっすぐ南へ行けば五ケ所湾に抜けられる。ただそう行ったのでは、その日のうちに賢島に着けるかどうか解
らない。それで途中から東に折れて、山越えで磯部に出ることにしている。
内宮から磯部へはわざわざ山を越えなくても、伊勢道路という自動車道が近道だけれども、その道には途中に二ケ所トンネル
があって、地図を見ただけでは人が通れるかどうか不明である。たとえ通れてもトンネル内は空気が悪く、何よりもうるさいの
で、なるべくなら歩きたくない。
わがままばかりでなく、本当に歩行者立ち入り禁止ということも考えられるので、そんなことになるくらいなら最初から、二
つのトンネルの上を歩いて越え、トンネルがなくなった所で山を下り、伊勢道路に合流しようと考えたのである。
前回来たときは、行く先々で栗の花が満開で、そのむせかえるような臭いに悩まされたけれども、今回は、はじけて木から落
ちた小さな栗の実が、いたる所で我々を迎えてくれた。
栗ばかりではない。野性の柿の実もたくさん生っていて、うまそうなのでちょっとかじってみたが、どれも渋柿ばかりであっ
た。たまに民家が数軒集まった部落のそばを通りかかると、富有柿が生っていたりするが、これは勝手に生っているのではな
く、人が植えたものなので、ちょっと失敬というわけにもいかない。
二時間近くのあいだ人にも車にも殆ど出会うことなく、そのせいか神宮司庁や三重県の出した立て札ばかりが目についた。
はじめは「川で魚やカニをとってはいけない」というのが多かったが、そのうちに「この付近で行為を行うものは三重県に届
けなければならない」という、何のことかよく解らないものが出てきた。ふたりで頭をひねっても、結局解らなかった。
地図によればそろそろ左に折れて、本格的な山道に入るのであるが、その前にまず右手に学校がなければならない。そのつも
りで注意して歩いていたら、まるで明治時代の分教場そのままの、尋常小学唱歌が聞こえてきそうな古い木造の建物が見えてき
た。日曜日なので人影はなく、これだけでは校舎と断定しにくいが、比較的新しい体育館と、狭いながらも運動場らしい広場が
あるので、間違いないであろう。今度左に入る道があったら、その道に入ればいい筈である。
それらしい道はすぐに見つかった。だが想像していたよりはるかに細い道で、多分まちがいないという自信はあっても、確信
がない。
もう少し先まで歩いて、外にも道がないかどうか確かめることにした。
しばらく歩いて見たが、それらしい道は見当たらず、代わりに民家が二、三軒見えてきた。しかし人の気配がしないので大声
で呼んでみたら、高校生くらいの無愛想な女の子がヌッと出てきて、久し振りに人間に会って驚いたという顔をしている。道を
聞いても何やら要領を得ないが、どうやら先程の道で間違いないようである。
これからしばらくは本格的な山道である。
と言っても、神宮関係の車が時々入るのか、車が通れるくらいには整備してある。一見ハイキング道のようにも見えるが標識
は一切なく、地図にも詳しくは出ていないので、磁石と勘だけが頼りの、何とも頼りない道である。
小一時間ほどは小川に沿った平坦な道であったが、突然、道は川から離れて山を登りはじめた。登る途中で二回ほど、二股に
なった分かれ道があったけれども、どちらに行くかは全く勘で決めるしかなく、又それが正しいかどうか確かめることもできな
い。
不安を抑えながら半時間ばかり登り続けて、漸く頂上に出たとたん、突然眼下に眺望がひらけた。
遠くに伊勢道路と神路川のダム湖が光って見える。これでひと安心、あとは地図がなくても目的の地に下りられそうである。
下山道の見通しがついたので、気分的にかなり楽になった。道端にムカゴが群生しているのを見つけると、立ちどまってポケ
ットを一杯にし、栗が落ちていれば拾うという本来の気楽な旅にもどった。
足どりも軽く山を下っていると、草むらでガサガサという音がする。見ると、道端の土手をヤマカガシが一匹逃げている。ミ
ツヨシさんはそちらにばかり気をとられて、足元にもう二匹いるのに気がつかない。この二匹はお互いにからみ合って、目下何
かに夢中である。人が近づいても逃げる気配もない。
それにしてもこんなまっ昼間から斯様な大胆な行為に及んで、このヘビ共は三重県への届けを済ませているのだろうか。先程
の立て札の謎がここまで来てやっと解けた。三重県もこまかい行政をするものである。
山道を下るうちに、ようやくトンネルの真上にきたらしく、足元を車が通過していく。ここまで来ればもう心配はない。まっ
すぐ道路に向かって下りていけばよい。
ところが道は我々の思わくに関係なく、トンネルの上で何度も旋回して、やっと伊勢道路に下り着いた。
地図で下調べしていた所によると、トンネルを出てさらに一キロばかり磯部寄りのダム湖のそばに下りる筈であったが、実際
に下りた所はトンネルの出口であった。時間も予定よりかなり遅れて、もう二時を過ぎている。磯部の鰻屋までは、ここからま
だ一時間はかかる。空もどんより曇って、今にもポツポツ来そうな空模様になってきた。急がねばならない。
静かな山のなかでは私に遠慮していたのか、ラジオをつけなかったミツヨシさんが、騒がしい国道に出たとたんに、待ちかね
たようにプロ野球の実況を聞きはじめた。日本シリーズで、ご贔屓の広島力−プが出ているらしい。
ミツヨシさんはそちらの方に夢中であるが、そんなことより私は、いくら歩いても神路川のダム湖が見えてこないのが気にか
かる。
少し不安になってきたが、そんな筈はないという気持ちもあって、益々歩調を速めた。
しかしいつまでたってもそれらしい景色にならない。半時間近く歩いて、いよいよおかしいということで立ちどまった。ひょ
っとして我々は逆に歩いているのかも知れない。そばを通過していく車で確かめられないものかと思ったが、車はたくさん走っ
ていても、マイカーばかりで行き先までは解らない。屋根にサーフィンを載せた車がときどき通るが、それを見ていても、これ
から遊びに行くところか、帰るところかはなかなか推理できない。
困りはてたところで、ポケットの中に磁石が入っていたことを思いだした。
磁石を見てびっくり、我々は伊勢道路を逆行して、又伊勢神宮の方に戻っていたのである。
なぜそんなことになったかと言うと、先程トンネルの出口だと思った所が、実は二つ目のトンネルの入り日だったのである。
トンネルの上で何度か旋回したために、方向が解らなくなったせいもあるが、そればかりでなく、トンネルの中を歩くのがいや
だから、わざわざ山を越えてきた我々には、その時トンネルに入ることなど思いもよらなかったのである。
元の地点に戻るまで往復で一時間近く、貴重な時間と体力を無駄にしたことで、一度に疲れが出たようである。これから休ま
ず磯部まで歩いたとしても四時になってしまう。もう鰻などと贅沢なことは言っておれない。手近なドライブインのカレーライ
スを食べて、遅い昼食とした。
それにしても急にミツヨシさんの元気がなくなり、衰弱の激しさがはた目にもはっきり解るようになった。余程あのむだ足が
こたえたのか、ひょっとして広島力−プが負けたということも考えられるが、野球のことは聞いても解らないので聞かなかっ
た。
とぼとぼ歩いてやっと磯部に着いた頃には、辺りがうす暗くなりかけていた。曇っているせいばかりではないようだ。ここか
ら賢島まではもう二時間もあれば行けるが、ミツヨシさんの疲労と夜道を考えると、これ以上歩くのは無理であろうと判断した
ので、
「残りは又次回の宿題にして、磯部から電車で行きましょうか」と聞いてみた。
するとミツヨシさんの目に一瞬生気がよみがえって、「そうしよう」と即座に答えた。
こんな所で中途半端な宿題を残しては、完全主義者として、又出直して来なければならないので大変であるが、そうかと言っ
てミツヨシさんに倒れられても困る。今日のところは電車で宿に行って、ゆっくり風呂にでも入り、ご馳走を食べて、早く寝る
ことにしよう。
夜中に降りだした雨が、翌日目をさました時にもまだ少し残っていた。
それでその日はおとなしく電車に乗って帰るつもりにしていたところが、朝食を食べている間に雨がやんで、晴れ間が見えは
じめた。
ひと晩寝たミツヨシさんも、元気をとり戻している。ぼんやり空の雲を眺めていたら、名案をひとつ思いついた。
「ミツヨシさん、雨もあがったようだし、磯部まで歩きませんか。宿題が片づいてしまいますよ」と提案してみた。歩く向きは
逆でも、道も距離もまったく同じなのだから、歩いたことにしようという窮余の一策である。
ミツヨシさんもこの提案にはすぐ同意してくれた。
鵜方まではのんびりした別荘地内の道であるが、鵜方から磯部までは歩道もろくにない国道である。交通量はかなりあって、
決して歩きやすい道とは言えない。しかし距離が六キロほどしかないので、急げばすぐに着いてしまう。と言って急ぐ旅でもな
いので、途中で国道沿いの喫茶店に入ってコーヒーを飲んだりした。
途中、家庭菜園程度の畑が国道沿いにあって、そばの花が満開であった。この辺りにも私と同じように変わった人がいるらし
い。違うところと言えば、私のそば畑は花がとっくに終わって、今はもう収穫を待つばかりなのに、ここは今が花盛りである。
やはり気候風土の差が相当あるのであろう。
そう言えばこちらに来てまずびっくりしたのが、刈り入れを終わった稲の切り株から又新しい芽が伸びて、もう一度実をつけ
そうな程、元気よく成長していることであった。これなども土地が肥えているせいばかりでなく、温暖な気候のせいがあるかも
知れない。
そうこうしているうちに昨日電車に乗った磯部の駅に着いてしまった。
完全主義者としては最後が少しインチキくさかったけれども、とにかくこれでやっと五ケ月ぶりに、所期の目的を達すること
ができたのである。他人から見れば少し執拗すぎると思うかも知れないが、私はただ楽しみでやっているだけで、決して神経症
的完全主義者ではない。それが証拠には、もうこれ以上一歩も歩くつもりはない。
このように遊びで完璧を期すのは非常に楽しいことであって、精神衛生上も問題はないと思うが、遊びだけでなく会社の仕事
でもこんな調子だと、少々問題である。かなり危険な兆候と言わなければならない。
だが幸いにして私は、未だかって会社で、カンペキさんなどと呼ばれたことはない。こんなことを言うと、気をまわし過ぎる
人に、私が会社で息抜きしていると思われても困るけれども、決してそうではないのであって、あぶないところでバランスをと
っているのである。