畑 の 一 年 生

 

 先日、たて続けに二回ほど、兵庫県の神鍋高原の方に行く機会があった。

 最初は、箕面でそば屋を開業している中川さんの車に同乗して、神鍋の近くの床瀬という小さな山村を訪ねた。中川さんとは

拙著「そばの香り」がとりもつ縁で知り合い、弟子入りさせてもらったのであるが、その中川さんが床瀬まで中古の石臼を買い

に行くというので、同道したのである。

 そしてその数日後、会社の上司の送別会が、たまたま同じ神鍋で行われることになり、再びそちらに行くことになった。しか

しこの時は自動車でなく国鉄を利用した。国鉄は今年の春からJRと名前を変えたようだが、私個人としては、この呼び名はあ

まり好きではないので、使いたくない。

 ちょうど梅雨の最中で、と言っても空梅雨なので雨は降っていないけれど、沿道の田んぼの稲が順調に成育を始め、日に日に

その緑を濃くしていた。

 目を畑に移すと、キュウリ、ナス、トマト、カボチャ、とうもろこしなどの、どこにでもある夏野菜をどこでも栽培している

が、その占める面積はほんのわずかで、大部分は大豆が占領していた。こんなに広い面積に一様に大豆が植わっているというこ

とは、あるいは休耕田を利用しているのかも知れない。又、トマトや西瓜に網をかぶせた所があるところを見ると、鳥に悩まさ

れているのはいずこも同じようである。

 そんなことを考えながら見ていると、面白くて、ちっとも飽きない。自分で楽しむだけでなく、つい口に出してしゃべった

ら、運転していた中川さんが、

「いやに畑に興味がありますね。百姓でもしながら作家活動をしたらどうです」

 と、ひやかすように言った。

 出来ればそれもいいが、そう簡単にはいくまい。それよりすでに私は、百姓見習生である。

 今では、春のえんどうに始まって、三度豆、小蕪、キュウリ、ナス、じゃが芋、トマト、カボチャ、とうもろこし等、季節の

野菜を毎日のように収穫して帰って、食卓を賑わしている。

 そんな訳で、人がどんな物を、どういう風に栽培しているかという事についても興味津々で、一時も目が離せないのである。

 それと言うのも、そもそもの事の始まりはご隠居さんである。

 ご隠居さんには以前から、私のそばの栽培を一手にお願いしている。最初は畑の一部にそばを栽培する程度であったのが、今

では逆になって、そばを植えて後に残った畑に、四季の野菜を栽培しているという方が当たっている。

 しかしそれからもご隠居さんは、あり余った体力と時間を駆使して、せっせと開墾に精を出すものだから、畑が又広がってし

まった。ところが我々のそばは機械を一切使用ぜず、すべて手作業で処理しているので、いくらでも栽培できるというものでも

ない。作りすぎれば刈り入れや磨きといった処理が追いつかない。もっと野菜を作るとしても、すでにご夫婦二人だけでは食べ

きれない状態になっている。困って近所に配れば、喜ばれる時ばかりとは限らず、迷惑がられる場合もある。

 そこでご隠居さんは思案をめぐらした末に、名案をひとつ考えた。

「畑を拡げすぎて二人で食べきれなくなったんで、畝を少し近所の人達に提供することにしました。畑野さんにも一畝上げます

から、好きなものを植えて下さい。世話する手間は一緒だから、私が見て上げます」

 と言うわけで、私も畑持ちになれたのである。それからというもの、私は毎日のように畑に顔を出している。と言っても、別

に農作業に勤しんでいるわけではなく、植えたものの日々の成長を見て楽しんだり、収穫に励んでいるだけの話である。苦労せ

ずして甘い汁ばかり吸っているのだから、いくら畑が楽しいと言っても説得力がない。

 それはともかくこの畑は、もともとご隠居さんが地元の森川翁から借りているものである。

 森川翁は古くから代々この地に住みついている豪農のご子孫で、お齢はご隠居さんよりひと廻り近く上であろうと思われる

が、かくしゃくとして毎日畑に出ておられる。段々畑の上の段がご隠居さんに任されている畑で、下の段が森川翁の作られてい

る畑である。したがって畑に行けば、毎日のように顔をあわす。

 翁は農業の大ベテランであるから、いくら研究熱心なご隠居さんが工夫したことでも、黙って見ておれない場合もあるよう

で、時おり上がって来ては、それとなく注意をされる。

 昨年の暮、ご隠居さんがえんどうを蒔いた所に翁が来られて、これでは畝が低すぎるし、植える間隔も狭すぎる。もう少し成

長すると、間が詰まりすぎて風通しが悪くなるので、今のうちに一列抜いてしまうようにと言われた。

 しかしご隠居さんは、ここの土は深い砂地で水はけも良く、畝をそんなに高くする必要はないと考えている。又、一度植えた

ものを抜くのも勿体ないと思うので、翁の忠告を聞かなかった。

 春になってえんどうが伸び始めると、ご隠居さんの畑と翁の畑とでは、少しずつ差が出てきた。どうもご隠居さんのえんどう

の方が、育ちがいいようなのである。今年の春は天候不順で、四月になっても霜がおりたりしたが、ご隠居さんのえんどうは霜

の害もそれほど受けずに、すくすくと育った。

 五月に入って実をつけ始めると、その差は歴然としてきた。ご隠居さんのえんどうは、近所の百姓さんもびっくりする程の豊

作となったのである。翁も遂にご隠居さんの所にきて、「あんたに負けた」と敗北宣言をされた。

 しかし総てがこんなにうまくいく訳ではない。むしろこれは怪我の功名で、農業歴七十年にもなる翁には、我々のような素人

百姓はとても歯がたたない。第一、畑の土自身が長年堆肥をつぎ込んできた土と、開墾したばかりの土では比べものにならな

い。

 じゃが芋を植えた時のことである。私の畝のじゃが芋はどういうわけか、葉も茎も、誰にも負けない程立派に繁った。翁もこ

んなに繁ったじゃが芋は見たことがないと目をみはり、あとは草を刈ってきてどんどん根っこに敷くようにと教えてくれた。

 言われた通りにして、梅雨のなかばの収穫期を迎え、掘りおこしてみると、大きな芋は一本にせいぜい二個しか付いておら

ず、殆ど小さな芋ばかりであった。それにひきかえ翁の畑では、畑一面に赤ん坊の頭ほどもあるじゃが芋が密集していた。

 ナスでもそうである。

 今年の春、ナスの苗を植えて間もない頃、たまたま何日か晴れた日が続いたので、ご隠居さんと二人で下の池から水を汲んで

は、根がつき始めたナスにやっていると、そこへ翁が来られて、素手で畑の土を掘り返し、表面はいくら乾燥していても、ちょ

っと掘ればこの通りまだ十分に水分を含んでいる。だから慌てて水をやる必要はないと言われた。

 しかしそれからもしばらく日照りが続き、ナスも放っておけない状態になってきたので、急遽、畑の側に浴槽ほどの穴を掘

り、その穴にバケツで水を汲みいれて、その後の日照りに備えた。その光景を見ていた翁は、早速上がってきて、

「水、やんなはるか」と真面目な顔をしてひやかされた。我々はその日、萎れかかったナスを見かねて水をやったけれども、翁

はその日も水をやらなかった。今にも枯れそうになっていた翁のナスは、その翌日の一雨で生き返り、結果は我々の大敗であっ

た。

 森川翁は齢八十を少し過ぎたところであるが、そんなお齢とは思えないほど好奇心が旺盛で、又すばらしい感受性をお持ちで

ある。もの事に感動すればその感動をすぐに短歌や俳句で表現される。畑一面に満開になったそばの花を初めて見た翁は、その

感動を次のような俳句で表現された。

 

     これはまあ吹雪と思うそばの花

     蜜蜂に枝危うかりそばの畑

     蝶児舞いやさしかりけりそばの園

 

 そしてその年のそばを収穫し終わった晩秋の一夕、翁をご招待して、ご隠居さんご夫妻と共に、収穫を感謝しながら新そばを

食べた。その席でも翁は次のような歌を詠まれた。

 

     にごりなき心の水で氷室そばざるを囲みてみなが明るし

 

 畑を始めて半年ほどの間に、私自身いろいろ勉強することがあったが、一番むつかしくて未だによく解らないのは、作物の収

穫時期の見きわめである。収穫時期が早すぎればもちろん味がないし、熟れすぎたものもうまくない。我々素人は迷っている間

に適期を逃がしてしまって、遅くなる傾向があるようである。そのため三度豆やオクラは固くて食べられなくなり、西瓜は空洞

で食べる所がなくなったりする。

 その点について、今日のグルメの元祖とも言うべき木下謙次郎氏は、ある講演で次のようなことを言われたそうである。

「食べ物というものは、動物であろうと植物であろうと、すべてシュンを逃がしてはならない。シュンとは春期発動のシュンで

あって、つまり色気づく頃である」

 なるほどと頷くような名解答である。そしてこの説を裏づけるような話を、先日、兵庫県の出石町にあるそば製粉所の老主人

からも聞いた。出石で使っている玄そばを参考までに手に人れようとして、その店に立ち寄ったところ、店頭には数種類の玄そ

ばが並んでいた。そこで私が、「この中で一番うまい玄そばはどれですか」と聞くと、その老主人は一番色の赤茶けたものを指

して、

「これが最高です。完熟してまっ黒になったのはうまくないです。人間でも私くらいになると、煮ても焼いても食えんでしょう

がな」と言って笑った。

 全く木下謙次郎と通じる話なので、ひとりで感心しながら、ニキロのつもりが五キロも買って帰った。

 ところがこのそばは家で挽いてみると、そんなにうまいそばではなく、香りも甘みも少し足りないようであった。それが何故

なのか、もともとの産地がその程度の産地なのか、収穫時期が悪いのか、とにかくよく解らないが、木下謙次郎をもち出すほど

のそばではなかった。

 いずれにせよ春機発動期が最適な収穫期であるということは、正しいかも知れない。だがそれではある作物について、この作

物の春機発動期はいつかと言われると、また困る。

 カボチャを植えた時のことである。

 カボチヤは関西ではナンキンというのが普通のようである。そしてこの近辺に出まわっているナンキンの苗には、水気の多い

菊ナンキンと、甘くて水気の少ない栗ナンキンとの二種類がある。栗ナンキンは水分が少ないために喉につまり易く、一口ごと

にお茶がいると言って、ご隠居さんは菊ナンキンを植えたが、私は栗ナンキンのそういう所が好きなので、栗ナンキンの方を植

えた。

 気候が暖かくなるにつれて茎もどんどん伸び、そのうちに雄花がまず咲き、しばらくすると小さな実をつけた雌花も咲き始め

た。そしてこの雌花のうち、うまく受精した数個がめでたく成長を開始した。その成長ぶりは目覚ましいもので、昨日よりも今

日、今日よりも明日と、日に日に大きくなるのが目に見えるようであった。

 さて、大きくなってくれるのは嬉しいが、困ったことには、このカボチャの収穫時期の判定が、又悩みのたねである。

 だがこの悩みはすぐに解決した。

 私が毎朝、通勤のとき歩いている土手道の下に、粗末な農具小屋があって、その屋根一面にナンキンが這っている。世話をし

ているのはひとりの老農夫である。種類は私のと同じ栗ナンキンであるが、ただ植えた時期が私より半月ばかり早いようで、私

の最初の実が拳くらいの大きさになった時に、このおじいさんのはすでに両手で包むくらいの大きさになっていた。

 思うにこれは格好のお手本であって、このおじいさんが収穫した半月後に私の方も収穫すれば、まず間違いないのではなかろ

うか。いや、間違いなく大丈夫に違いない。相手はこの道のプロである。これで収穫時期に関しては、問題が解決した。

 それから一月半ほどは、自分のナンキンと屋根の上のナンキンの成長を見比べながら、毎日を楽しんだ。そのうちに私のナン

キンも、大きさといい色艶といい、段々それらしくなってきた。ご隠居さんは私のナンキンに爪を立ててみて、

「もうそろそろ大丈夫です」と言った。けれども私としては、お手本が収穫していないのに、こちらが先に収穫するわけにはい

かない。

 実際、屋根の上のお手本は一向に収穫する気配がなく、私の方も安心してそのままにしておいた。だが半月もすると、葉はう

どん粉病にかかり白く枯れてしまい、茎も枯れかけてきた。

 ふだん押しつけがましい事は決して言わないご隠居さんが、今回ばかりは見かねたらしく、

「肌が日に焼けてくすんできたし、固さも十分なようですから、もう絶対大丈夫です」と、二度目の太鼓判を押した。

 そうは言っても、お手本が今も厳然と屋根の上に鎮座しているのを、無視することは出来ない。ご隠居さんの忠告も、無下に

逆らう訳にはいかない。

 困った末にどちらの義理を立てるかと言えば、やはりご隠居さんの方である。屋根の上のお手本の方は、私の気持ちの中だけ

の問題であって、お手本として仰ぐことをやめても、どこかに義理を欠くという性質のものではない。気分を悪くする人などい

ない筈である。

 私の本来の生き方としては、他人には少々義理を欠くことがあっても、自分の内なる声に対しては義理を欠かないようにして

来たつもりである。要するにわがままに生きてきたということであるが、その方が精神衛生上にもよろしい。しかしご隠居さん

に対してわがままを通しても始まらないので、忠告を聞くことにした。

 収穫して早速食べてみると、栗ナンキンらしくホクホクして、甘みも十分あってうまい。固すぎず、やわらかすぎず、収穫時

期としてはまさに絶妙のタイミングであった。

 お手本のナンキンの方は、それから一カ月以上たった今も、なぜかそのままである。すでに茎も葉も枯れてしまって、色の変

わったナンキンだけが残っている。そう言えば、世話をしていたおじいさんの姿を、最近まったく見かけない。

 あのおじいさんは一体どうしたのだろう。