年越しそば

 

 

 数年前まで年越しは、毎年家内の実家でしていた。場所は姫路から西へ十キロほど行った太子町というところで、車ならわが

 

家から三時間ほどで行ける距離である。それが最近はもっぱらひとりで年越しをしている。犬を飼いはじめて動きにくくなった

 

せいもあり、わたしだけ家に残るようになったからである。

 

 それならひとりで寂しい年越しかといえばそうでもない。大晦日にはそばを打ち、それをもって網干に行っていたのが、自宅

 

で近所の仲間を集めて年越しそば会をするようになったのだから、むしろ賑やかになったくらいである。

 

 今年も、暮れの二十九日に家内は実家の方の年越し準備にでかけた。残る私としては、とりあえず黒豆と雑煮さえあれば正月

 

気分に不足はないので、黒豆だけは炊いてある。餅の方はスーパーの切り餅で我慢するしかない。

 

 年越しそばの仕込みは二十九日からはじめる。この日は手始めに、北海道から仕入れておいた玄そばの夾雑物の除去とみがき

 

作業をする。これはすぐに石臼で挽けるようにするためである。この選別とみがきの度合いは産地によってまちまちで、完璧な

 

ところなら何もすることがないが、ふつうはいろいろな夾雑物がまじっている。石、土、枯茎、麦、籾、干からびた虫、雑草の

 

実等である。

 

 みがきが終われば、つぎはそばつゆ作りにかかる。かつお節をけずり、昆布といっしょに出しをとり、あらかじめ十日ほど前

 

から寝かしておいたかえしとまぜあわせる。その日はそこまでで一旦そのまま一晩寝かせるのだが、味見をしてみたら異常に甘

 

い。出かける前の家内に味見してもらっても、やはり甘すぎるという。

 

 今年の秋に和歌山の方から取寄せた醤油のせいかもしれないと思い、よく見たらふつうの濃口醤油ではなくて混合醤油と書い

 

てあった。つゆが甘すぎては台なしである。さっそくだしを作りなおす。かえしを寝かせる間がないのは仕方がない。一晩だけ

 

の寝かしである。

 

 翌三十日は、今年の春、団地内に開店した料亭の餅つきに誘われていたので、午前中ちょっと顔をだす。午後はそばを挽く大

 

仕事があり、ひと臼だけ搗かせてもらってすぐに帰ったのだが、あとでたくさん餅を届けてもらったので、これで雑煮は万全と

 

なった。

 

 二キロの玄そばを挽くのにほぼ三時間ほどかかる。そして挽きおわったそばを八十メッシュの篩にとおすと一・二キロほどの

 

そば粉がとれる。これはそばに打つと、約十二人前といったところで、大晦日のお客が六、七人として、これだけあれば十分だ

 

ろう。

 

 粉が挽けたら今度はつゆ作りである。かつお節をけずり、昆布といっしょにだしを取り、昨日作っておいたかえしとあわせ

 

る。こんどこそ味は大丈夫である。これを明日までもう一晩寝かせる。もう一日余裕があれば、いちど湯煎して更にもう一晩寝

 

かせるといいのだが、今回はあきらめる。

 

 大晦日は、早起きして朝食をすませると、犬の散歩はあとまわしにして、すぐにそばを打ちはじめる。一・二キロのそば粉を

 

二回にわけて打つ。水は四万十川の軟水をつかい、つなぎは小麦粉を入れず、かわりに丹波の山の芋をおろして打ちこむ。いち

 

ばん大事な水まわしにはいつも細心の注意をはらっているつもりだが、それでも毎回できあがりにむらがある。

 

 今回も、一回目は会心のできとはいえなかった。そこで気分転換をかねてリン(牝の柴犬)の散歩にでる。リンのほうも大晦

 

日は主人が気まぐれで困っていることだろう。しかしその甲斐あって、二回目はなんとか合格点で打てた。

 

 そばを打ち終わると、つぎは畑に薬味の大根とネギをとりにゆく。大根は信州の辛丸という種類の小さい丸大根で、夏に松本

 

で種を仕入れてきた。そしてネギは九条太ネギである。大根はその場でおろして使うが、ネギの方は事前にこまかく刻んでさら

 

しネギにしておく。

 

 お客さんの中にはそばより酒の方を目当てに来る人もいるので、酒のあてに自家製の沢庵と、郷里の下関から送ってきた蒲鉾

 

で紅白かまぼこを用意する。あとは圧力なべに水を入れ、火にかけておけば準備万端である。

 

 晩の十時を待ちかねたようにお客さんが一斉にやってくる。家庭用のコンロと鍋では一度にまかなえる人数はかぎられている

 

ので、三々五々やってきてくれれば有難いのだがそう思うようにはいかない。みなさん、最初から最後まで飲みつづけ、しゃべ

 

りつづけるのを楽しみに来られるようである。

 

 七人の来客を予定していたのだが、奥様同伴のはずだった二人がどちらも奥様の用事で来られなくなったそうで、男性ばかり

 

五人となる。今年から例の料亭の若主人も仲間に加わったが、もともとはリンの散歩のときに知り合った犬仲間のようなものだ

 

から、みんなの声が聞こえだすと外のリンもだまってはいない。仲間にいれてくれと雨戸をひっかく。「入れてやりましょう

 

や」の声で雨戸をあけてやると、うれしそうに上がってくる。そしてあいさつがわりに、ひと通り全員にあいそをふりまいてま

 

わる。

 

 お酒は地元穂谷の純米酒と、対馬の麦焼酎、鹿児島の芋焼酎を用意してあるので、各自好きなものを注いでまずはそば前の乾

 

杯をする。あての沢庵は大根の種類を吟味して、種から育てたものだが、漬けてからまだ三週間ほどしかたっていないので漬か

 

りが浅い。

 

 それならもっと早く種をまけばいいようなものだが、それより早いと残暑のさかりに種をまくことになり、農薬なしで新芽を

 

虫からまもることができないのである。

 

 そのうちに湯がわいてきて、最初のそばを茹でる。小麦粉がはいってないので茹で時間は三十秒で十分である。急いで圧力を

 

ぬき、取りだしたそばをすばやく水洗いする。そしてざるに盛って食卓にだす。

 

「さあどうぞ」といっても、ほんとうは待ち構えるようにしてそばに飛びつき、表面の光沢が消えないうちに食べてほしいのだ

 

が、みなさんすぐに箸を出したのでははしたないと思うのか、おしゃべりに夢中なのかなかなか箸がでない。さすがに料亭の若

 

主人だけは黙々と唸りながらすすっている。

 

 そばは一杯目より二杯目、二杯目より三杯目とゆで汁が濃くなってゆく分、うまみの溶け出しがすくなくなり、そば自身の味

 

はどんどん深くなってゆく。しかし酔った方にしてみれば、そんなことはどうでもよい。何回かおかわりをするうちにお腹が

 

いっぱいになり箸の動きはとまるけれども、口の方は一向にとまらない。お酒の方も箸洗いと称して飲みつづける。

 

 哲学者でカント研究の第一人者でもある石川文康氏は、ご自身でもそばを打たれるが、その著書『そば打ちの哲学』のなか

 

で、『自らはつながりにくいそばは、よく人と人とをつなぐ。これをそばの「人倫効果」と呼んでおこう』と書かれている。つ

 

まりそばには人を集める習性があるということである。わが家の年越しそば会も人倫効果のひとつにちがいない。ひとりだけの

 

年越しを思えば、ありがたいことである。

 

 時間を忘れてわいわい言っているうちに、遠くで除夜の鐘が鳴りはじめる。そしてみなさん思い出したように、「どうぞよい

 

お年を」といいながら、そそくさと上機嫌で冷たい夜気の中を帰っていかれる。そのうちもうひとつ別の寺の鐘も鳴り始め、大

 

晦日の夜がさらに賑やかになる。リンも興奮してなかなか寝付かれないようである。

                                                                          (2010.03.03)