チビさん

 

 

 我われ畑仲間の間では『畑荒らしのチビさん』で通っていた、そのチビさんが死んだ。ある面では鼻つまみ者だったチビさん

 

だが、姿を見なくなるとやはり寂しい。

 

 チビさんは生涯独り者を通し、酒だけを友として、自由気ままにこの世を生き抜いた。というのも、チビさんにとっては『自

 

分の物は自分の物、人の物も自分の物』という生き方があたりまえだったのだから。

 

 チビさんは毎朝早起きである。私が朝食のあと犬の散歩で山道を歩いていると、獣道からひょっこりと一仕事すませたチビさ

 

んが出てくることがあった。手には早取りのタケノコだったり、季節によってはシイタケを持っていることもある。他人の山や

 

畑から失敬してきたものかもしれないが、これがその日のチビさんの小遣いになる。これをもって団地内を売り歩き、そのお金

 

で自動販売機のワンカップを2本買い、その場でいっきに飲む。これがチビさんの唯一の楽しみであり、日課だったのである。

 

 そのくせチビさんは酒がそんなに強くない。冬のある日、畑に行こうと団地を抜けていたら、道端にチビさんが寝ていた。お

 

酒を飲んだ帰りに酔いつぶれたようである。季節は真冬である。このまま寝込んだりしたらあぶないと思い、「大丈夫か」と声

 

をかけたら、怒ったように「大丈夫じゃあ」と返事が返ってきた。

 

 チビさんは年がら年中、子供のときから遊びなれた、しかも穴場を知りつくした近辺の山々を歩きまわっては、その時々の金

 

目なものを採集してくる。農作物や山菜、果実だけでなく、夏はカブトムシやクワガタムシのこともある。これも団地内のおば

 

あちゃん達が孫のために喜んで買ってくれるのである。

 

 チビさんは家ではニワトリを飼っている。卵はもちろん小遣いになるし、盆、正月や祭りのときだけ、トリを一羽さばいて家

 

族で食べるのが恒例のようだった。

 

ということは、チビさんはトリをさばけるにちがいないので、あるときチビさんを誘って近くの養鶏場へ行き、トリを二羽買っ

 

た。一羽進呈するかわりに残りの一羽をさばいてほしいと言ったら、チビさんは喜んでひきうけてくれた。

 

 進呈した一羽はすぐに食べずに、今度の秋祭りまで飼っておくそうで、その時は私の分だけさばいてくれた。そばにつきっき

 

りで手並みを見せてもらったが、毛をむしったあと、残った産毛を焚き火であぶってきれいにする作業がいい加減だったよう

 

で、わが家ではあまり評判がよくなかった。

 

 チビさんはちいさい頃に犬に咬まれたことがトラウマになっているのか、犬が嫌いである。にもかかわらず、家では家族が犬

 

を飼っていて、その世話はいつもぶらぶらしているチビさんの仕事になっている。たまに犬と散歩しているところに出くわす

 

と、犬と人間がたえず喧嘩しながら歩いているようで、どちらにとっても気の毒だった。

 

 あるときわが家のリンと山道を散歩していたら、ふと立ち止まったリンが突然なにかをガリガリとかじり始めた。見ると道端

 

に鶏ガラがあって青い液体がかかっている。あわてて口に手をいれて食べるのをやめさせた。その後二、三歩行ったところで、

 

胃のなかの物をもどした。そのためかその後は何もなかったように元気に歩いたが、あとで聞いたところによると、団地内で何

 

匹かの犬がその鶏ガラを食べ、死んだり、一命は取り留めたものの肝臓をこわしてしまった犬もいるという。

 

 その被害者のひとりが警察に訴え、青い液体をしらべてもらったところ、それは毒性のつよい農薬だった。しかし、目的が畑

 

荒らしの獣退治用だと言われれば罪に問いようがないということだった。この事件もチビさんの仕業と思えなくもないが、はっ

 

きりした証拠があるわけでもなし、なんともいえない。

 

 我われが山川翁から借りて野菜作りをしている畑の中には一本の橙の木と、梅の木があってどちらも毎年実をつける。ある年

 

の年末にチビさんが我われの畑にはいってきて、橙の実を採っているところをたまたまやってきた畑仲間が見つけ詰問したら、

 

「これは山川の物じゃ。あんたの物とちがう」

 

 と、反論してきた。我われは山川翁からこの畑を借りたときに、敷地内のものはすべて自由にしてよいと言われている。とは

 

いえ依怙地になっているチビさんに理屈は通用しない。彼はチビさんの家へ行き、一緒に暮らしているお姉さんに抗議したら、

 

お姉さんは泣いて謝ったそうである。

 

 それ以来、彼とチビさんは犬猿の仲となり、チビさんは団地で一杯飲んだあと自分の家に帰るときに、近道である我われの畑

 

のそばを通らず、わざわざ遠回りをするようになった。

 

 わが家に頂き物の酒がたまって飲みきれないときなど進呈すると、チビさんは大喜びする。そしてだいじに抱えて、

 

「いっぺんに飲まずに、ちょっとずつ飲むからな」

 

 と言いながら持ちかえる。しかし実際は言うだけで、すぐに飲んでしまうようで、翌日会うとまた欲しそうな顔をしている。

 

 あるとき、しばらくチビさんの顔を見なくなったと思ったら、人づてにチビさんが近所の杉山病院に入院したという噂が流れ

 

てきた。肝臓をこわしたそうで、もともと酒の飲みすぎで肝臓が弱かったのかもしれない。しかし野生児のチビさんにとって入

 

院生活は苦痛だったのだろう。お姉さんが酒を飲みすぎるチビさんを脅す決まり文句が、

 

「杉山さんに連れて行くで」だった。

 

 今年も秋になり、散歩道沿いのあちこちに柿の実が実りはじめた。その中には甘柿もあれば渋柿もあるが、甘柿の実がいつま

 

でも残っているのを見ると、チビさんを思いだす。

                                                                                 (11.01.23)