リ ン が 来 た

 

 

 わが家にまもなく二歳をむかえる雌の柴犬がいる。名前はリンという。家に来てから一年半になる。

 

血統がよくペットショップでも相当高い値がついていたそうで、それが災いしたのか売れ残り、そのう

 

ち店自体が経営に行きづまって、すべての犬を処分することになった。危うくこの世から抹殺される寸

 

前に、店でアルバイトをしていた女性に引き取られ、誰か貰い手をさがしていたところに偶然縁があっ

 

て、貰うことになった。ちょうど柴犬を飼いたいと思っていたところだった。

 

 まだ子供が小さいころに、二匹犬を飼った経験があるが、会社勤めで忙しくろくに世話をしてやれな

 

かった。そのためどちらも可愛そうな死に方をした。最初の犬は白の雑種の雌で、小学校の校庭に捨て

 

られていたのを長男が連れて帰ってきた。名前はジュリーといい、とても気立てのいい犬だったが、四

 

匹の子供を生んだあと、散歩のときに食べた毒まんじゅうがもとで死んだ。

 

 朝の散歩のときに食べたようで、その日の午後、近所のご隠居さんと山歩きにでる約束になっていて

 

出かけようとすると、「行かないでくれ」と哀願するような目で裏木戸に跳びついてきた。すでに苦し

 

かったのだろう。帰ってきたときには死んでいた。

 

 二匹目の犬はやはり雑種の雌で、生まれてすぐに腸閉塞の手術をうけ、そのまま獣医の所に預けられ

 

ていたのを、たまたま見つけて貰ってきた。名前はユリとした。雑種だと思っていたが、あとから本で

 

調べてみると、秩父・八ヶ岳山系の川上村をふるさとにする日本犬で、川上犬と呼ばれる犬にそっくり

 

だったので、川上犬そのものかその血を引く雑種だろう。

 

 毛がすこし長めで、毛替わりの度にあちこちに毛玉ができた。ダニがついても解りにくく、ある年な

 

ど気がついたら体中がダニに覆われていた。そして繁殖したダニが、家のまわりを這いまわりだした。

 

収穫してきたタマネギを庭に置いていたら、あっという間にダニが集(たか)っていたので、お裾分けし

 

た人にすぐ電話して、家に入れないように注意したこともある。

 

 ダニの跋扈が目にあまるので、家のまわりにスプレーの殺虫剤を撒いた。そのときついでにユリの背

 

中にもすこし吹きかけた。それからしばらくして背中にかさぶたのようなものができ、いつも血がにじ

 

むようになった。痛くもかゆくもないようだが、いつまでたっても治らないので、獣医にみせたら、か

 

さぶたの下に大きな腫瘍ができているというので、手術で摘出してもらった。

 

 フィラリアの予防にも無頓着だったが、幸い感染することなく十二年半ほど生きた。しかし晩年は耳

 

が遠くなり、後から呼んでも近づいても気づかなかった。そしてある朝、起きてみたら、小屋からでて

 

外で死んでいた。その体には冷たい雨が降りそそいでいた。

 

 あまり幸福ではなかったであろう二匹の犬たちへの償い気持ちもこめて、今度のリンには思いっきり

 

愛情をそそごうと思っている。幸い勤めも退職したので時間はたっぷりある。イタリアのトリノでは、

 

犬を飼っている人は一日に三回以上散歩をさせないと法律で罰せられるそうである。一日三回はともか

 

く、朝夕二回の散歩はかかさず、なるべく長距離を歩く。わが家のまわりにはまだ里山が残っていて、

 

散歩コースにはこと欠かない。餌はドッグフードを主体にし、それだけでは可愛そうなので、人間の食

 

事のおこぼれも少しは与える。しかし食べさせすぎないように注意をする。肥満にしては逆効果であ

 

る。それにフィラリアやジステンパ、狂犬病等の予防も完璧にする。これだけはリンが来るまえから心

 

にきめていた。

 

 そして昨年の四月二十二日の午後、友人の車に乗せられ二時間のドライブをしてリンは我が家にやっ

 

てきた。慣れない車で疲れたのか後の座席におとなしく蹲っていたが、ドアを開けたとたん満面に笑み

 

をうかべて、尻尾を振りながら出てきた。柴犬にしてはなんとも愛想のいい犬である。そのときこの犬

 

とならうまくいきそうだと直感した。

 

 耳はピンと立ち、尻尾はきりりと巻いて、目と鼻が真っ黒で愛らしい。散歩で連れていても、同じ柴

 

犬を連れた人から、「いい毛並みですね。高かったでしょう」などと言われると、親ばかならぬ飼い主

 

ばかとしては悪い気はしない。

 

 ペットショップ時代によほど可愛がられたのか、まったく怖いもの知らずで、誰にでも、どんな犬に

 

もすぐに親愛の情を全身で表してじゃれついてゆく。犬を連れた人は犬好きな人が多いから、みんな

 

「おう、おう」と言って喜んでくれるけれども、犬の方は怒ったり迷惑そうに逃げまわる犬も少なくな

 

い。

 

 毎年の年賀状には、その年の干支にちなんだ動物のエッセイを書いている。そしてリンが来た翌年は

 

たまたま戌年だったので、リンのことを書いた。

 

 

 謹 賀 新 年

 

 昨年の四月にわが家に犬の子がやってきた。前の犬がいなくなってから十年ぶりである。メスの柴犬

 

で、ペットショップで売れ残り、あわや処分される寸前の所を引き取った。名前はリン。生後五ヶ月

 

で、体はもう成犬になっていたが、生まれてこの方いじめられたことがないのか無邪気で、人間に対し

 

ても、他の犬に対しても敵対心を一切示さず、体全体で愛嬌を振りまきながらじゃれついた。そのため

 

すぐに近所の人気者になったが、相手が犬の場合は別で、迷惑そうな顔をする老犬も多い。前の犬は

 

小心で、留守番をさせるとノイローゼ状態になり、餌も食べず人が来ても吠えなかったが、リンは意外

 

に大物なのか平気で昼寝している。逆に、前の犬は猟犬の血がまじっていて、散歩のとき鳩や雉に出会

 

うと勇敢に追いかけようとしたが、この犬はまったく興味を示さない。その代わり草むらで小さな虫が

 

ちょっとでも跳ねようものならすぐに飛び込んでゆく。“昆虫採集犬”の血でもまじっているのかもし

 

れない。ともかくわが第二の人生にこの犬が大きな位置をしめることはまちがいない。

 

 皆様のご健康とご多幸を心からお祈り申し上げます。

 

 平成十八年(戌年)元旦

 

 

 いろいろな人から顔をあわすたびに、

 

「リンちゃんが来たのに、一向にホームページに登場しませんね」

 

 と催促されたが、あまりに可愛い可愛いと思っているうちは文章にしても、読む側にとっては逆に白

 

けてしまうようなものしか書けない気がして、今まで控えていた。最近、やっとすこし冷静になって書

 

けるようになったのではと思い書きはじめてみたが、さてどうだろう。                                          

                                                                              (2006.10.14)