新 入 園
以前、今の若者は電車のなかでも傍若無人に大声で話をするということを書いたが、もっと五月蝿いのは幼稚園や小学生の
団体が乗りこんできたときである。遠足に出かける途中などは特にひどく、全員が興奮してそれぞれ勝手にしゃべるものだか
ら、とても本など読める状況ではなくなる。そういう車両に乗り合わせたのが不運と諦めるしかない。
ところがこのところ、というのは四月の上旬つまり新入学期だが、毎朝同じ駅から同じ顔ぶれで何人かずつ乗りこんでくる
幼稚園児はなんとも静かなのである。駅のホームまで母親に連れられて来て、きまった列車のきまった車両に先生が待ってい
て、そこで引き渡すようだが、どうやら初めて親からはなれて電車に乗せられた新入園児たちのようである。
お互いに仲間の顔をじろじろ観察する者や、他人にはまったく感心を示さない者やいろいろだが、要するに警戒しあってい
る段階で、まだ心をゆるして話せる間柄になっていないということだろう。ひと駅ごとに仲間がふえてくるが、先に乗ってい
る方も、新しく乗ってきた方もたいして感慨を示さない。静かなものである。
ところが三つ目の駅を発車しかけたとたん、先生に手をつながれていたひとりの女児が、とつぜんその手を振り払って四つ
んばいになり、必死の形相で締まりかかったドアから外に這い出ようともがき始めた。あわてた先生がその児を抱きかかえた
時、ドアが締まり、電車が動きだした。と同時に、声もでないほど引きつっていたその子の顔から、やっとすさまじい泣き声
がほとばしり出た。
「おかあちゃん、おかあちゃん!」
泣いているのはその子だけで、ほかの子は依然、同情するでも、慰めるでもなく、きょとんと見ているだけである。その泣
き声はそれから何駅か先の、彼らが降りるまですこしも休むことなく続くのだが、いっしょに乗っている大人たちはだれもが
同情しながらも顔をほころばせて見ている。
しかし、親も、子供がああやって泣き慕ってくれるうちが花なんだなあ。
(2002.6.3)