海 鼠 ハ ン ド

 

 二年前の冬、魚釣りには行きたいが、ボートを出すのは寒いしと思っているところに、たまたま会社の釣仲間から、淡路島

のソイ釣りの誘いがあった。ソイという魚はそれより何年か前に、淡路島の西浦から釣舟をだして、播磨灘の沖で釣ったこと

があるが、今はボート桟橋からルアーを投げるだけで釣れているという。岸からソイが釣れるとは初耳で、きっと産卵かなに

かで、一時的に浅瀬に来ているのだろう。

 播磨灘のときはちょうどキビナゴ漁の最盛期で、われわれの船はキビナゴをとっている漁船に横付けしてピチピチのキビナ

ゴをわけてもらい、生餌の飲ませ釣りでソイをねらったのだが、今回は白いビニールでできたミミズのおばけのようなワーム

で釣るのである。

 ルアーで魚を釣るのは魚をだますようであまり気が向かないけれど、寒いさかりだし、暇つぶしだと割り切れば、竿とリー

ルとルアーさえあればいいのだから、これほど手軽な釣りはない。期待さえしなければ、十分楽しめそうなので誘いにのるこ

とにした。

 同行は釣り仲間四人とカメラマン兼オブザーバひとりの、あわせて五人である。

 半信半疑だったが、案の定、ルアーに興味をしめす魚などどこにもいず、ゴカイを餌に投げこんでいた薄井氏に、三十セン

チクラスのアイナメがきただけで、われわれにはなんのアタリもなかった。そのとき、早々に竿を投げ出して付近を視察して

いた大林氏が、「海鼠がいる」といって帰ってきた。

 言われた所にいってみると、桟橋の足元、すぐ目の前にそれらしい物が見える。水深は三メートル弱で、水がかなり澄んで

いるので、そのつもりになって見ればよく見える。長さが二十五センチ以上で、まるまる肥えて、色は地味な黄土色をしてい

る。いままで店で見なれた海鼠よりかなり大きめのようである。

 持っている道具を利用してこれを取りこむとなると、やはり釣針でひっかけるしかないだろう。手持ちの針のなかで一番大

き目のものを糸の先につなぎ、おもりをつけて投げ込んでみると、なんとかひっかかって上がってはくるが、針の刺さり方が

浅いのか水面をきるときにはずれてしまう。しかも一旦刺激をあたえてしまうと海鼠はからだを縮めてかたくなり、二度目か

らは針でひっかけようとしても、鞠のように弾んでうまくひっかからない。

 海鼠はふだんは、先に吸盤のついた糸のような細い足を無数にだして岩にくっついているが、何かの刺激があると、身をか

たくすると同時に吸盤もひっこめてしまうので、最初にいた場所が岩の斜面だったりすると、自然にころがり落ちていくこと

になる。それはまったく意志に関係のない自然落下のように見える。

 だいたい海鼠には目というものがないようで、われわれが見つけてわくわくしながら捕獲道具を用意していても、その間に

こっそり逃げるということはない。危険物が体にふれてはじめて防御体制にはいる。といってもそれは体をかたくするだけだ

から、岩をころがり落ちるのは自分の意思ではないだろう。しかし一方では、すべて意識的にやっているのではないかと思わ

せるところがないでもない。無意識の自然落下のように見せておきながら、ころがる途中で止まりたくなると、体をぶよぶよ

に戻すのかどうかは解らないが、止まりたい所で止まることもできるようなのである。

 敵がそういう手段で逃げるなら、こちらにも考えがある。一発でかならずひっかけ、水際まであげたところで玉網で掬いと

ることにしたら、かなりの確率で取りこむことができるようになった。

 目をこらして見るとわりとあちこちにいるようだが、これがほんとうに食べられるものかどうかはっきりした自信があるわ

けではないので、あまり取っても仕方がない。しかも海鼠とりに熱心なのは最初にみつけた大林氏とわたしだけで、あとの三

人は軽蔑したような目でわれわれを見ているだけである。

 五匹ほど取ったところでやめて、その日の宿である会社の寮にもちこんだ。

 寮の主人はすばらしい料理人で、毎回、なにやかやとその日に釣った魚を持ちこむと、かならず見事な一品にしてだしてく

れるのが慣わしになっている。今回はいかにも大きくグロテスクな海鼠をみて、

「この赤海鼠を二匹料理しましょう」といって、厨房にもって入った。

 我々はどれも同じものだと思っていたが、こっちが赤で、こっちが青といわれると、たしかに色がちがっている。ただ、市

場で一般に見かけるあざやかな赤と青のように歴然とした色の差はない。ちなみに、関西では赤の方を、やわらかいといって

珍重するようだ。どちらにしても名料理人がだまって厨房にもって入ったということは、食べられるのだろう。

 その晩のごちそうには、我々だけでなく、他の相客六人にも同様に海鼠の酢の物が振舞われ、そしてだれもが「柔らかくて

おいしい」といってくれた。名料理人に聞くと、柔らかくするために特に茶振りをしているという。茶振りとは薄く切った海

鼠を一瞬、沸騰した番茶のなかに通すことで、こうすると海鼠が柔らかくなるそうである。

 半信半疑だった海鼠が意外においしかったことで、その翌日も我々ふたりだけは海鼠取りに精をだした。結局その日も十匹

以上とれたが、家まで持って帰ったのはもちろん我々ふたりだけだった。あとの三人は前日、食べるのは食べたけれども、そ

のグロテスクな姿を見ると、やはりもって帰ってまで料理する気にはならなかったのだろう。

 もって帰ったわたしも、わが家だけでは食べきれないので、近所に何軒か配って歩かなければならない。まず最初は、わが

ABOBA四重奏団の後援会長でもある寺島さんの奥さんである。

「海鼠がたくさん取れたのですが、召し上がりますか」

「はい、大好きです」

 それではと、アイスボックスをあけて中を見せると、「きゃあーっ」といって奥にかけこんでしまった。海鼠はスライスし

たものしか見たことがなかったようである。結局、ご主人の方が、「僕がやる。僕がやる」といって出てきて引きとってくれ

た。後日、奥さんからメールがきて、

「毎日、海鼠料理で料亭のようです」と書いてあった。

 その年はそれだけで海鼠とりは終わったが、取りこみに苦労した大林氏は、翌日から早速設計にとりかかり、材料を買いあ

つめ、リモコンで海鼠をつかまえるマジックハンドを考案した。まず金属製のパンはさみを買い、その外部に自作のバネをつ

けて、常時はしっかり閉じるように改造し、それを振りだし式の竿の先に固定し、ひもをつけ、手元でそのひもを引くとはさ

みが開き、はなすと閉じる構造とした。そして、われわれはそれを海鼠ハンドと命名した。海鼠ハンドができたことで、翌年

からは姿さえ見つかれば百発百中で取りこむことができるようになった。

 近所のご隠居さんはわたしと同じ山口県の出身で、漁師のお父さんの手伝いで、ちいさい頃から伝馬船を漕いでいろいろな

漁を経験していたというので、プロの海鼠の取り方を聞いてみた。すると、竿の先に五寸釘のもっと長い、火箸のようなもの

をつけて、船の上から箱眼鏡で底をみながら突いていくという。同じ場所に何匹かいれば、いるだけ二匹でも三匹でもいっし

ょに突くそうである。

 そんな簡単に突き刺しただけで、抜けることはないのかと聞いてみたら、海鼠は例によって外部からの刺激で身をしっかり

と硬直させるので、まず抜けないということだった。

 竿の先に金属の細い棒をつけるだけなら、工作も簡単そうなので、作ってみることにした。

 釣具屋に行って、まず長さが五メートルくらいまで伸びる玉網の柄とフレームを買った。フレーム自体が必要なのではなく、

柄の先にねじこむネジの部分だけがほしいのだが、ネジだけならネジ専門店にいけばいくらでも安く手にはいるのは知ってい

るけれども、このネジにはネジ頭の中心になぜか手ごろな穴が掘ってあって、この穴に適当な金属の棒をさしこむだけで出来

あがりなので、工作が至って楽になるのである。

 金属の棒も釣具のなかから適当なものはないかと物色して、大物釣り用の天秤の一部を代用することにした。しかしこれは

金属棒だと思っていたのが、帰ってから切ってみると中が中空のパイプになっていた。パイプでも端をななめに削れば注射針

のさきのようになり、海鼠を突きさすには支障はなさそうである。

 一度、海鼠ハンドとこの突きさし棒とで、どちらが能率よく海鼠がとれるか競争をしてみたが、断然海鼠ハンドの方が優勢

だった。突き刺す方は、水面までは上がってきても、やはり水を切るときに抜け落ちることが多いようだ。海鼠の体を貫通さ

せるほど深く刺せばいいのだが、海鼠がいるところはだいたい岩の上なので、貫通させることができないのである。ご隠居さ

んの言うように、ちかくにもう一匹いて、二匹いっしょに突き刺せれば、一匹は抜けおちずにたすかるだろうが、なかなかそ

んなに都合よく二匹そろってはいない。

 多分、使用した金属棒が、表面をぴかぴかに磨き上げた細いパイプだったことも関係しているのだろう。もうすこし太くて

ざらざらしたものなら大丈夫なのかもしれないが、それは今後の課題である。

 ただ不思議なことに、このパイプで突き刺された海鼠には、あとでその傷跡が残っていなかった。下等動物の習性にはわれ

われに理解できないことが多い。

 寮にもちこんだものの、その晩、料理されずに残った海鼠をビニールバケツに入れたまま常温で朝まで放置していたら、苦

しかったのかおなかの中の腸と卵巣をすべて外に吐き出していた。ちなみに海鼠の腸はきれいに掃除して塩漬けすると「この

わた」と呼ばれるものになり、又、卵巣の方はそのまま天日乾燥させると「くちこ」になる。そしてどちらも酒の肴として珍

重されている。

 しかし今はこの珍味をどうこういうのが主題ではなく、吐き出したあとの母体の方を問題にしているのである。これだけ吐

き出した海鼠のおなかを開いてみると、中は完全にからっぽになっている。ということはこれは自殺行為のように思われるが、

実際は、この状態の海鼠を海にもどすとしばらくしたら又、元にもどるそうである。

 それほど生命力の旺盛な海鼠だが、その逆のこともある。

 海鼠の旬である冬はそろそろワカメが芽をだす季節でもある。桟橋から身をのりだして海鼠をさがしていると、桟橋を浮か

せている発泡スチロールの大きなブイの表面にワカメが所々に芽をだしている。ちょうど手をのばせば届く場所である。とい

うわけで、海鼠をとるかたわら、毎回ワカメとりにも精をだした。

 ある時、海鼠を家まで持ちかえるのに、ワカメの間に詰めて帰れば適当に水分もあり、海鼠も楽だろうと思いそうしてみた。

ところが帰ってから見ると、海鼠の周辺にびっしりとワカメが密着して逆に窒息死していた。それだけでなく、皮膚の表面が

みにくく爛れていた。死ぬと同時に皮膚が爛れてきたようなのだが、これがワカメのせいなのか、もともと自分自身がもつ自

己分解酵素のせいなのかは解らない。

 そしてこの爛れはきれいに水洗いした後も、スライスして茶振りをした後も消えなかった。ただそれに気付くのは調理をし

たわたしだけで、ふつうは気付かないはずだからそしらぬ顔をして、それでも、いつものように真っ先に味見をするのだけは

ためらっていたら、娘の方が先に箸をだして、なにも気付かずに「美味しい」と言って食べてくれたので安心した。

(2001.6.7)