子 育 て と 子 別 れ

 

 ここ十年ほど前から、外にでると若者の傍若無人さが目について仕方がない。

 いつの世でも年寄りは若者のすることが気にいらないようだから、自分が年をとってきた証拠には違いないが、そればかり

でもないだろう、と思う。

 駅や車内での、まわりに自分たちしかいないかのような大声の会話や、横柄な座席のとり方、マナーの悪さなどは日常茶飯

事として、もっと目にあまるのは、道路のカーブミラー等の公共の設備の破壊や汚損、吸殻や空き缶のぽい捨て、極端なのは

盗んだ自転車を田植えが終わったばかりの田んぼに投げ捨てるというような、尋常な神経では考えられない無神経さはどこか

らくるのか。

 それはもちろん家庭の躾と学校教育の欠如が原因である。

 先日も、通勤電車のなかで、若い夫婦につれられた三、四才の男の子が、座る席がないといってぐずっていたら、すぐに父

親の方がその子を抱きかかえて機嫌をとった。そのうち私の隣があいたので、父親は子供を抱いたままそこへ腰をかけた。す

るとその子は私の方に手をのばして、しかめっ面をしながら「どいて」と言うのである。

 さすがに母親の方がすぐに、「そんなこと、言っちゃだめよ」と諭したが、私がその要求を無視しているものだから、その

子は自分の言い分が入れられなくて泣き出した。すると母親は、口では一応、「そんなこと言うのじゃないの」と言いながら、

父親の手からその子を抱えとって、いかにもいとおしそうに抱きしめた。

 これでは躾は落第である。いくら可愛くても理不尽な子供の要求は頑として拒否しなければ躾にならない。だめなものはだ

めだとはっきり解らせることだ。そのうち理解力がついたら解るだろうと思ったら大間違いで、「三つ子の魂、百まで」とい

うように、そのままの感覚で大きくなり、あっという間に親の統制が効かなくなる。

 犬やライオンなどの獣でも、群れの統制をみだすような行ないに対しては、母親は子供の首筋をかんで、きびしく教えてい

る。可愛いときは何をしても可愛いが、一旦、可愛くなくなると、同じことをしていても、何もかも憎らしくなる。その時に

なって叱っても、もう効きめがない。子供が言うことを聞かなくなって勘当し、その子が一大凶悪犯罪を起こして世間を騒が

せてから父親が、「あいつは自分のことしか考えとらんのです」と言っても手遅れなのである。

 今の日本は不思議なことに、子供の人権を尊重するあまり、子供の言うまま気ままに育てるのがいいと勘違いし、親も先生

も子供と友達のように付き合う風潮はまったく笑止千万で、親や教師が権威をもたなくて、どうして子供の尊敬がえられるの

か。いずればかにされるのが落ちで、尊敬のないところに教育はありえない。現在の子供たちの傍若無人さも、何に対しても

権威を認めず教わろうとしない態度も、学級崩壊も、成人式での場をわきまえない脱線騒ぎもすべてここに起因しているので

ある。

 先日、他界された指揮者界の長老、朝比奈骼≠フファン層は断然、中壮年の男性が占めていた。これも、氏の堂々とした体

躯と立ち居振舞いが、失われたかっての日本の父親像を具現していたからという説もある。ちなみに氏は楽員たちからは、お

やじと呼ばれ親しまれていたが、畏敬の念も一方にあったにちがいない。怖くなければおやじではないのである。

 私も子供がちいさいころは怖い父親を演じてきた。

 可愛いのはもちろん可愛いのだが、外で人に迷惑をかけるような行いには特に厳しく接してきた。母親に教育をまかせてい

ると、衣服をよごしたり、怪我をしたりという身の回りのことにはうるさいが、社会的なマナーとなると、やはり父親の領域

となる。

 家族でレストランに食事に行ったり、旅行にでた時など、浮かれてはしゃぐのはいいけれども、度がすぎて箍をはずし、他

人に迷惑をかけそうになるとすぐに叱る。それで子供たちは、「お父さんは急に怒りだすから怖い」といい、家内は家内で子供

たちに、「お父さんと旅行に行っても、怒ってばかりだから面白くないよね」と言う。

 しかし、これは違う。怒っているのではなく、叱っているのであって、怒るのは感情まかせであるが、叱るのは冷静なので

ある。教育は冷静でないとできない。感情まかせで怒ったのでは子供と同レベルまで降りてしまっていて、これでは先生が子

供と友達のように接するのと同じことで、怖くもなんともなくなる。

 中学時代にひとり非常に怖い先生がいた。川上先生といったと思うが、だれも本名で呼ぶ者はいなかった。他の先生と同様

にニックネームで呼びたいのだが、なにしろ怖いのであまりなれなれしく呼ぶわけにもいかず、苦肉の策が、一応、天皇陛下

として奉っておく意味もこめて、「天ちゃん」だった。

 天ちゃんは生活指導を担当していて、朝礼のたびに台上からマイクで、「お前らは!、中学生であるからして!…」と、大

声でガラ悪くどなりちらした。あの声は学校の敷地だけでなく、周辺の家屋にも届いていると思うと、こちらの方が身がすく

むほどで、どうしてこんなにガラの悪い大人が先生として地位を保てるのだろうと不思議がったものだった。決して暴力をふ

るうことはなかったけれども、いつも大きな目をむいて怒った顔をしていて、その威厳と迫力には、いくら生意気な中学生で

も太刀打ちできなかった。

 ところがある日、その威厳がすこしばかり失墜する事件がおきた。

 中学時代、わたしはクラブ活動で放送部に入っていた。放送部といっても、マイクの前でしゃべりたいからではなく、アン

プ等の放送機材の方に興味があったのである。部室は木造二階建て校舎の、二階から階段を降りてすぐ、階段と隣りあわせの

うなぎの寝床のような部屋だった。

 ある日の放課後、部室で仲間と遊んでいたら、隣の階段でドタドタドタと大きな音がした。節穴から覗いて見ると、天ちゃ

んが階段の下でうずくまって唸っていた。なんとも痛快な気分ではあったが、怖くて誰も声にだして笑ったりはしなかった。

 最近の無作法な若者を見るにつけ、わけの解らない子供を躾るには、天ちゃんのあの威厳と迫力が必要なのだと今更ながら

思いあたる。

 子育てが終われば、つぎには子別れがやってくる。

 今から二十年以上まえ、長男がまだ幼稚園にかよっていたころ、「北キツネ物語」という映画をいっしょに見にいったこと

がある。北キツネ親子の生態を実写し、物語仕立てにした映画で、大人が見ても面白かった。

 北キツネの両親は子供が生まれると、愛情ふかく育てるのは人間とおなじなのだが、そのあとがちょっと違う。一年たらず

で子供がひとり立ちできるかどうかという時に、突然、今までとは打って変わって、父親ははげしく子供をいじめ始める。虐

待といってもよい。子供の方は最初は親が遊んでくれているものと思うが、そのうちいつもと様子がちがうことに気付く。し

かしまだ何のことやら理解できず、甘えてみるがまったく相手にされない。途方にくれた末、未練をのこしながらも泣く泣く

わが家をあとにするのである。

 このシーンは子供心にも強烈な印象をあたえたようだった。映画を見終わった長男が、

「お父さん、あんなん人間でもあるん?」と聞いてきた。

 その答えが後々いかに重要であるかということに、その時のわたしは気付いていなかった。何の気なしに、

「人間は、あんなことはせえへんよ」と答えた。

 安心させたい一心で言ったことだが、それが今になって裏目にでたようで、長男は大学をでてもう五年以上にもなるのに、

まだ結婚もせず、定職にもつかずぶらぶらしていて、一向に家をでる気などないようなのである。

                                (2002.4.3)