初 漕 ぎ

 

 

 

 定年退職後の夢としてもう十年以上前から考えていることがある。

 

 ひとつは「四国八十八カ所歩き遍路の旅」で、もうひとつが「琵琶湖のんびりバイアスロン」というものである。“のんび

 

り”と“バイアスロン”とではちょっと矛盾するようだが、定年後の老体に免じて許してもらいたい。

 

 どういうバイアスロンかというと、まず歩いて琵琶湖を一周する。そのあと今度はカヌーを漕いでもう一周するというもので

 

ある。これで足と手をバランスよく酷使することになる。ただし、時間的な制限は一切なしとする。これがのんびりの所以なの

 

だが、なぜ制限なしかというと、歩く方は琵琶湖一周がほぼ二百キロほどだから、一日三十キロ平均歩くとして、一週間もあれ

 

ば十分歩けるだろうが、カヌーの方はそうはいかない。

 

 長男が高校生だったころ、よくエンジン付きの小さなボートでバス釣りに連れて行った経験からすると、琵琶湖は午前中は静

 

でも、午後になると急に風がでてくることが多い。そして一旦風がでると、海とおなじですぐに白波がたち荒れてくる。そうな

 

るとカヌーは陸に上がって避難するしかない。場合によってはそのままそこでテントを張って寝なければならない。そんな調子

 

だから、何日かかるか予想もできないのである。

 

 以前、近所のご隠居さんに、将来こんなことを考えているという話をしたら、

 

「そんなこと、できるわけないです」

 

 と即座に一蹴されてしまった。又、逆に職場のある若い人にその話をしたら、アウトドア好きの彼は、

 

「定年後といわずに、すぐにやりましょう」

 

と乗り気になったが、何日かかるか予想もつかないような遊びを在職中にするわけにもいかない。しかし定年がもう一年すこし

 

先に見えてきた今なら、そろそろ準備を始めるくらいはいいだろう。

 

 まず手始めにカヌーを買おうと思う。

 

 カヌーといってもいろいろあって、喫水が低く密閉された船内に足を突っ込んでパドルを漕ぐカヤックは、ミズスマシのよう

 

で機動性もあるが、スポーツとして乗るのではなく、のんびりツーリングを楽しもうとする者としてはやはり安定性がよく荷物

 

もたっぷり積めるカナディアンカヌーの方が魅力的である。

 

 しかも長さは五メートルはほしい。以前、なにかの本で、船は長いほど速いという話を読んだことがある。長いと荷物はたっ

 

ぷり積むことができ、安定性や直進性もよくなって申し分ないのだが、困ることはふだんの保管に場所をとることである。

 

 保管場所をとらずにしかも大きめのカナディアンカヌーといえば、折り畳み式のカヌーということになる。これなら持ち運び

 

にも便利である。

 

 近所にカヌー屋がないので、インターネットであちこち探していたら、松江に非常に魅力的な木製の手作りカヌー屋が見つか

 

ったが、そこは折り畳み式のカヌーを扱っていないようなので諦める。つぎに見つけたのは大阪の豊中にある店で、こちらはあ

 

らゆる種類のカヌーがそろっているようだった。

 

 豊中なら会社の先輩の小早氏がいる。彼は自転車にのって散歩がてらよく服部緑地に行くという話を聞いたことがある。その

 

カヌー屋は緑地公園のそばにある。

 

 早速、彼に聞いてみたら、その店ならよく知っているという。ただあの付近は道路が立体交差になっていて複雑なので、道順

 

を口では説明しにくいので、頼めばいつでも案内してくれることになった。

 

 あらかじめメールで店の主人と連絡をとって、こちらの希望を言い、見積りをとった上で、十二月の下旬に小早氏といっしょ

 

に店をたずねてみた。主人の炭田さんは、頭にバンダナを巻いたりして非常に若々しく見えるが、もう熟年の域にはいっている

 

と思われる人だった。話の合間にするどい突っ込みを入れるところなど生粋の大阪人のようだ。

 

 わたしの目指すカヌーは、ノルウェーのベルガンス社が作ったアリーという折り畳み式カヌーで、長さが十六・五フィートの

 

ものである。メートルに換算すると約五メートルということになる。これは軍用に開発されたもので、いかにも無骨だが、丈夫

 

さと安定性、軽さ、組立て部材の完成度等には定評がある。ただその時点では、在庫として十五フィートのものしかなく、その

 

日はそれを使って組立て実習をしてくれる予定になっていた。

 

 ところが急にひとりの若いお父さんが小学生くらいの女の子を連れてやってきて、在庫している日本製の二人用組立て式カヤ

 

ックをその場で買いたいと言いだし、主人としてはその客を逃がすわけにはいかず、我々は後回しにして、先にその二人に対し

 

て組立て実習と説明をすることになった。アリーとはすこし違うけれども、我々も参考までに見ておくようにとのことだった。

 

 懇切丁寧に説明しながらだから、実際の組立てと分解に二時間ちかくかかり、店の閉店時間もせまったため、我々の説明は次

 

回、現物が入荷してからということになった。

 

 次に店を訪れたのは、暮れもおし詰まった二十八日の夕方だった。客は我々だけで、注文した現物も届いていて、それを使っ

 

て組立て説明を受けた。前回の日本製のカヤックとの違いは、カヌーの表面を被う布の張力を、前回のカヤックでは最後に空気

 

を入れることで得ていたが、アリーの場合は空気は一切使用せず、骨組みを一本組む毎にすこしずつ張力を増していく構造にな

 

っていて、そのため組むのに相当の力がいる。腕力だけではとても足りず、ソフトハンマーで叩きながら組立てるというものだ

 

った。

 

 ふつうでも力のいる組立てだが、初めての場合、布がまだ伸びきっていないので、よけいに力がいる。よく慣れたはずの主人

 

もかなり苦労してやっと組立てが完了した。さすがにノルウェー軍によって完成され尽くしたカヌーで、出来あがってみるとこ

 

れが組み立て式かと思うほど立派である。

 

 組み立てにくらべて分解は簡単であっという間に終わる。そして分解された各部品の収納は、船体布とおなじ布地でできたず

 

た袋にしまい、上の口を一本の丈夫なひもで縛れば完了である。この袋もなんとも無骨なもので、持ち歩くための取っ手もベル

 

トもついていない。これが軍隊仕様というものだろう。ところが主人によれば、この無骨な袋が、ツーリングするとき荷物の防

 

水袋に早変わりするということだった。

 

 ひと通り組立てと分解の説明がおわると、今度は進水式の説明となった。

 

 造船所で大型船が完成したときの進水式はテレビで見たことがあるが、カヌーの進水式というのは初耳である。どういうこと

 

をするかというと、カヌーを川に向けて川原に置き、神主と船主がカヌーをはさんで向かい合って立ち、神主がこれからの川遊

 

びの安全と楽しさを祈願し、お酒を船首と船尾とパドルにそそぎ、二人で乾杯し、残りの酒を今度は船主が川と陸にそそいで神

 

々にあいさつするというものである。ただし、このときの神主役は信頼できる友人などが代わりをしてもよいということだっ

 

た。

 

 当然、その神主役は小早氏に頼む予定だが、いつどこでその進水式をおこなうかが問題である。

 

 主人によれば、最初は近くの安全な湖などで練習した方がよく、その時ついでに進水式を二人だけでしてもいいが、この正月

 

の三日には淀川で初漕ぎをする予定にしているから、そこに来れば大勢で進水式を祝えるし、いろいろためになるだろうという

 

ことだった。大勢と言われるとこちらがちょっと尻ごみするけれども、その気持ちを見透かしたように、すかさず主人が、

 

「大勢ゆうても、三百人も来いしまへんで」と、つけたした。

 

 せいぜい十人程度のようである。それなら面白そうなので参加することにした。

 

 正月の三日は朝から曇っていた。風はかすかにあるが寒いほどではない。これならなんとかカヌーを出せそうである。炭田さ

 

んはカヌーを漕いでいると、冬でも温かいと言っていた。カヌーの組みたては、現地に行ってからもたもたして他の人たちに迷

 

惑をかけても悪いので、前日のうちにすませて車の屋根に積んできた。

 

 集合場所は枚方大橋の下で、ここはカヌーで下ってきて最後に上陸する地点でもある。市が管理する河川公園になっていてゲ

 

ートの開門は九時なのだが、定刻より三十分早く着いたにもかかわらずすぐに開けてくれた。そして待つほどもなく小早氏も到

 

着した。

 

 結局、集まったのは炭田さん夫妻を含めて総勢八人で、車は六台だった。そのうち車二台だけをここに残して、全員四台の車

 

に分乗して十キロ上流の八幡・御幸橋(ごこうばし)に向かう。そこから下りはじめるのである。

 

 御幸橋に着いて、それぞれ出発の準備をしているうちにみぞれが降り始めた。炭田さんによれば、今日は午後からは雨の予報

 

だが、風はめずらしく絶好の追い風なので、午前中だけならなんとか楽しく初漕ぎができるだろうということだった。

 

 全員の出発準備ができたところで、いよいよ我々の進水式である。

 

 あらかじめ小早氏に神主を頼んでいたので、彼がそのつもりで用意を始めかけたとき、炭田さんがそばにやってきて、

 

「わたしがやりましょうか」

 

 と言ってくれた。炭田さんも新米ふたりに任せるのが不安だったのだろう。願ってもないことである。

 

 まず他のメンバーに我々二人を簡単に紹介してから、儀式にはいる。お酒は七百ミリリットルの壜を用意してある。炭田さん

 

がこの壜をもってカヌーをひとまわりして、要所要所に酒をそそいだ後、全員で乾杯をする。紙のコップにひとくちずつだが、

 

そのひとくちを飲んだ炭田さんが、

 

「うん、これは奮発したな」と、すかさず洩らした。

 

 たしかにこの酒は、近くの量販店で昨年の金賞を受賞したという銘酒を買ってみたのである。残った酒をわたしが川と陸にそ

 

そぐ段になった時、炭田さんが、ちょっと待つようにとわたしを制し、みんなに追加の希望を聞いたら二、三人が手をあげた。

 

 進水式が終わると、当然我々のカヌーが真っ先に進水することになる。

 

 カヌーの前半分が川に乗り出した状態で、まず小早氏を先に乗せ、その状態で船尾をかつぐと、カヌーが浮いて、すうっと前

 

に進む。全体が水につかったところで、次はわたしが乗る番である。まず片足だけ乗りこみ、残った方の足で川底を蹴ってカヌ

 

ーを深みに進める。ついでにその足を二、三度振って水をきってから完全に乗りこむ。この一連の動作をみんなの注視のなかで

 

行なったら、すかざず炭田さんがひやかし半分に、

 

「うまい。とても素人とは思われへん」と叫んだ。

 

 それもそのはずで、この辺の動作は、釣り用のボートでいつもやっていることである。それにしても、釣り用のボートと比べ

 

て、カヌーとはなんと軽く進むものだろう。軽く漕いでもすいすい進む。陸で見ていたみんなも速い、速いと声に出していたか

 

らアリーは実際にも速いのかもしれない。

 

 この調子で先に行くと、みんなが離岸するまでにはるか下流まで行ってしまいそうなので、しばらく漕ぐのをやめて待ってい

 

ると、残る五人がカヤック四艘に分乗してやってきた。そのとき一時やんでいたみぞれが今度は雪に変わって又降りだした。し

 

かしその時点で、我々は持参していた手袋をまだつけていなかったのだが、少しも寒さを感じないほど体がぽかぽかしていた。

 

 船出したのが御幸橋下の木津川からで、ほどなくして川は宇治川と合流した。これで一気に水かさを増し、川底が見えなくな

 

る。そしてすぐに今度は桂川と合流する。この桂川は京都の中心部を流れる鴨川と嵐山を流れる保津川が合流したもので、この

 

三本の川が合流して初めて川の名前が淀川と変わるのである。川幅もぐっと広くなる。

 

 見渡して見ると、カヌーをつけて上陸できそうな川原や中州が随所にある。気候さえよければ、上陸してコーヒーを沸かした

 

り、弁当を食べると気持ちがよさそうである。両岸とも枚方や高槻といった人口の密集した大都市だが、川原には人っこひとり

 

いない。正月だということと気候がわるいせいばかりでもなく、たとえ誰か川に遊びに来たとしても、川原に枯れた芦のやぶが

 

あったりして、水際まで近づけない所もたくさんある。

 

 カヌーを選ぶとき、カヤックでなくカナディアンカヌーにした大きな理由は、転覆したくないということがあった。炭田さん

 

によれば、カナディアンカヌーでも沈するときは沈するそうだが、そういう時にはあわてずに足をふんばって体を支えてさえい

 

れば、カヌー自体は少々傾いてもそう簡単に転覆するものではないとも言っていた。今日、下っている所は急流も瀬もなく淀川

 

でも一番静かな所だということもあるが、一体どうしたらこのカヌーが転覆するのだろうと不思議になるほど安定している。

 

 それだから本来ならのんびりツーリングが楽しめるところだが、なぜか我々のカヌーは川をジグザグに下っている。小早氏が

 

右側を漕いでいるので、わたしは左側を漕ぐ。そうしてふたりの漕ぐ力さえバランスしていれば、カヌーはまっすぐに進むはず

 

である。すくなくともその時点ではそう考えて、小早氏にこちらのペースに合わせてもらうように頼んだりしたが、なかなか思

 

うようにはいかない。小早氏はゴムボートを漕ぐような感じで、小手先だけでパドルを操っている。炭田さんも後ろから大声で

 

小早氏に漕ぎ方を指導している。そうしているうちにもカヌーはジグザグを繰返していた。見かねた炭田さんが、また叫んだ。

 

「舵は後がとるんじゃあ。前はひたすらエンジン!」

 

 びっくりして一瞬考えたが、なんのことか解らない。炭田さんは続いて、後の者はひと漕ぎ漕ぎ終わったあとパドルをすぐに

 

水から上げないでパドルを立てろと言っている。これがまた解らない。パドルを持ち上げて立ててみたり、寝かしてみたりした

 

がすべて違うようである。

 

 よく聞いてみると、パドルを立てるというのは、パドルのブレードを川底に対して垂直に立てるということで、この状態で前

 

を見て、カヌーの針度のぶれを舵で補正しろということだった。たとえば左を漕いでいるとすると、ひと漕ぎする度に舳先はす

 

こし右に向く。そのときパドルを漕ぎ終わった位置で止めておくと水の抵抗が手にかかってくる。この力に逆らってパドルをし

 

っかり持っていると舳先は今度は左にもどり始める。そして舳先が正しい方向にもどる直前にパドルを水から抜けばいいのであ

 

る。ひと漕ぎする度に毎回補正するのだから、これならまっすぐに進むわけである。

 

 これでやっと思い通りにまっすぐ進むことができるようになった。流れの一番はやい流心に乗りつづけることができるから漕

 

ぐのも楽である。

 

 しかしこのころから雪はしだいに雨にかわってきた。炭田さんが我々の濡れた手を見て、手袋はないのかと心配してくれた

 

が、すでにその必要はまったくないほど我々は温まっていた。風もだんだん強くなっているようだったが、追い風なのであまり

 

感じない。

 

 炭田さんによれば、我々の下る速さはだいたい時速五キロで、今日下る距離がほぼ十キロだから、所要時間は二時間ほどだと

 

いうことだった。一時間半ちかく漕いで、遠くに目的地の枚方大橋が見えてきた頃には、雨は本降りになっていた。

 

 あさの十時すぎに出発したから枚方大橋到着は昼過ぎになる。上陸したらカヌーはすべてその場に置いて、運転手だけ六人が

 

二台の車に分乗して出発地点までもどり、車を取ったら再度、枚方大橋まで帰ってくる。行ったり来たりとかなり手間なようだ

 

が、カヌーで二時間かかった距離が車だと二十分ほどで着く。

 

 全員がカヌーを車に積み終わると、みんなで近くのドライブインに行き昼食をとり、その足で高槻の奥座敷である攝津峡まで

 

足をのばし、最近できた温泉で冷えた体を温めることになっている。

 

 突然、我々の左横の方から、「目的地まであと一・五キロ」という炭田さんの声が聞こえたと思ったら、皆はあっという間に

 

我々を追い越して先にいってしまった。すぐに後を追おうとしたがなかなか追いつくことができない。そのうち皆は先に上陸し

 

てしまった。アリーが速いから皆は後ろにいるのだと思っていたが、どうもそうではないようだ。ひょっとしたらわざと後から

 

ついてきて新米の我々を見守ってくれていたのかもしれない。

 

 そして我々のカヌーが階段状の護岸に着岸するのに苦労していたら、先に上陸した何人かがすぐに手伝ってくれ、さっさと引

 

き揚げてくれた。やはり先輩はありがたいものだ。

 

 初漕ぎというのは、皆にとっては単に年の初めの初漕ぎということだろうが、我々二人にとっては文字通り生まれて初めての

 

初漕ぎだった。

 

                                                                    (2003.4.5)