ラ ス ベ ガ ス の ホ テ ル 事 情
数年前に仕事でアメリカに行く機会があった。出張で海外にでるのも初めてなら、アメリカに行くのも初めてである。わた
しに課せられた任務は、ラスベガスで毎年ひらかれる全米放送事業者連盟(NAB)の大会に参加し、同時に開催される放送
機器展を視察してくるというものであった。
ついでにアメリカのいくつかの都市を訪れ、その土地のテレビ局を二、三訪問したのだが、各地で日本とアメリカの国民性
の違いに驚かされた。そのことについては別の機会に書くとして、ここではいちばん印象深かったラスベガスについて書いて
みたい。
ラスベガスという町は、アメリカ人が理想の賭博天国をつくるために、フーバーダムから水を引いて、何もない砂漠のなか
に町を建設したのだが、町のなかには意外に緑が多い。といってもそれは自動給水機の設置しであるところに限られていて、
そうでない所は赤い地肌が顔をだしている。ホテルのネオンやデザインの派手さときたら、目をおおいたくなるほど趣味がわ
るい。すべてに人工の不自然さを強調したような町である。そんな所だから治安もさぞわるかろうと思うと、さにあらず、サ
ンフランシスコやニューヨークよりずっと治安はいいということだった。
わたしは出発前から、行く先々で時間さえあれば現地の音楽会を聞きにいくのを楽しみにしていて、サンフランシスコでも
注意していたところ、その晩デイビス・シンフォニーホールでアルフレート・ブレンデルのピアノ・リサイタルがあることが
わかった。早速、行くつもりでツアー仲間に吹聴していたら、それを聞きつけた旅行社の添乗員がやってきて言うには、
「ひとりで行かれるのでしたら、おやめになった方がいいと思います。行きは問題ありませんが、問題は帰りです。タクシー
はまずありません。来ている人達はほとんど自家用車ですからあっという間にいなくなります。そうなるとひとりでホームレ
スたちの間を縫って地下鉄まで歩くことになりますから、とても安全は保障できません。ぜひおやめください」
旅行者が音楽会にもひとりで行けないとは、一体なんという国だろうかと、かなり失望したけれども、すくなくともラスベ
ガスはそれよりは安全なようだった。それもそのはずで、ラスベガスという所は、空港に着くなり賭博機が歓迎してくれるほ
どの賭博の町である。大事な客をまもることにはそれなりに気をつかっているにちがいない。
ラスベガスのほとんどのホテルは一階がカジノになっている。フロントの前がすぐカジノである。そしてわれわれが泊まっ
たホテルは、部屋数が三千以上という大ホテルだったが、連日満室だった。といってもNAB大会のせいではない。NABの
関係者はほんのわずかで、ほとんどがカジノ目当ての観光客なのである。
大体、ホテルといっても、パチンコ屋がもうけて宿泊業も手掛けたという感じだから、サービスが一般客の方を向いていな
いのは、むりもないことである。フロントの両替所にしても、賭博資金の両替所のようで寄りつきにくく、たとえ行ってもす
べてコインに変えられてしまいそうな雰囲気がある。カジノの人ごみを縫ってレストランにいくのも、場違いな感じで気がひ
けるようだった。
二十五階の自分の部屋で寝ていても、下では徹夜でギャンブラーたちが頑張っていると思うと、パチンコ屋の二階で寝てい
るようで落ちつかない。夜中には負けた客が大声で部屋に帰ってくる。そんな客の中には、負けた腹いせに、帰りがけにホテ
ルの器物を失敬したり、宿泊料を踏みたおす者もいたのだろう。ホテル側の自己防衛がこれまた徹底している。
まずチェックインのときに保証金として百ドルあずけるか、クレジットカードの登録をしなければ、部屋から市内電話もか
けられない。そのかわり一度クレジットカードの登録さえしていれば、ビデオキャッシングやビデオチェックアウトという便
利なサービスまで受けられるようになっている。つまり部屋のテレビの画面上で、リモコンを使って、急な借金を申しこんだ
り、チエックアウトまでできてしまうのである。
たとえばテレビのスイッチを入れてホテルサービスというチャンネルを選ぶと、いくつかのサービスのリストが画面に出て
くる。そのうちのビデオチェックアウトという項目を指定すると、費用の明細が出てきて、これで間違いないか、今すぐチェ
ックアウトするかと聞いてくる。そこで“YES”というボタンを押すと、
「ありがとうございました。あなたのチェックアウトは終わりました。キーは部屋に置いたままお帰りください」
となり、急いでいるときに、フロントに行列しなくてもいいという訳である。
一度、寝るまえにビデオブレックファストというものを頼んでみた。すると翌朝、指定した時間に、指定したメニューの朝
食が部屋にとどけられた。ホテルのレストランに行けば、もちろんルームサービスよりは安く食事ができるが、レストランに
までキーノというゲームがはいっていて、食事をしながらでも壁の電光ディスプレーを見ながら賭けられるという慌ただしさ
を思うと、ひとりしずかに食べる朝食は、喧噪のなかに束の間のやすらぎを見いだした思いであった。