川 遊 び
橋の下から男の興奮した声が聞こえてきた。
「おーい、ウナギがおった。雑魚ないか」
見ると、いい年格好をした五、六人の男たちがウエットスーツに身を包み、頭にはゴーグルとシュノーケルをつけ、建網を
しかけたり、アユの引っかけをしたり、中にはアイスボックスをかかえて水辺でただ待つ者もいたり、まるで子供のように無
心に川遊びを楽しんでいるところだった。
だれかが建網のところまで雑魚をとりに行っている間も、ウナギを見つけたひとりは、引っかけの仕掛けをほどきながら、
じれったそうにそれを待っている。穴のなかにいるウナギを、その雑魚をエサに釣ろうという魂胆のようで、雑魚のあたまを
ちぎってハリにつけ、ウナギの穴に突っ込んだが、ウナギは見向きもしなかったようだ。
「やっぱ雑魚じゃだめや。アユをくれ、アユを」
今度はアイスボックスをもったひとりが、早速ボックスをあけて中から一番ちいさいアユを選びはじめた。その時、橋の上
からそのボックスの中がちらと見えたが、人数といで立ちのわりにはそれほど取れてはいなかった。われわれは今朝からこの
川にアユの投網を打ちにきて、今帰るところだが、彼らの倍は取っていた。もっともそのほとんどは師匠が取ったもので、わ
たしが取ったのはわずか四匹だった。
師匠というのは土田さんといい、市役所につとめる野人で、二年前からわたしのアユ釣りの先生である。あえて野人と言っ
たのは、原始の狩猟採集本能をそのまま現代にひきついでいる珍しい人という意味である。
春先の潮干狩りに始まり、山菜とり、破竹取り、わさび取り、山栗ひろい、山芋ほりと、年間を通じてたえず何かを採集し
ているといってもよく、いちいち数えあげればきりがない程で、賭け事などには一切関心をしめさず、ひたすら自然界のタダ
でとれるものの採集に生きがいを見いだしている人である。それだけではなく、その合間には釣りを楽しみ、中でもアユの友
釣りにもっとも情熱をかたむけ、アユのシーズンが終われば、渓流釣りや海釣りにもでかける。
採集するだけでなく、採集したものを料理する腕もプロなみで、アユが取れすぎれば、アユのにぎりずしや卵の塩漬けをつ
くって持ってきてくれる。逆にわが家のきゅうりが取れすぎて持っていけば、きゅうりのキムチとなって翌日もどってくる。
そしてそのすべてが凝りに凝った絶妙の味なのである。
たくあん漬けなどにもひとかたならず凝っていて、職場でたくあん漬け同好会のようなものをつくり、それぞれの作品を持
ちよって、秘訣を披露しあったり、おたがいにきびしく批評しあって研鑚をつんでいるそうである。最近はもっとエスカレー
トして、職場でもたくあんを漬け、できあがればみんなに分けているという。
その師匠が、海釣り専門のわたしになんとか友釣りの醍醐味を教えようと、昨年から釣行のたびに誘ってくれるようになっ
たのだが、不肖の弟子のわたしは、二年目にしてまだ友釣りの楽しさがわかっていない。そのかわり投網の方は、その面白さ
にとりつかれて、いまや病みつきの状態である、
わたしは以前から投網に興味があって、網はすでにひとつ買っていた。打ち方は本かビデオで勉強するつもりでいたけれど
も、そんな本やビデオはどこにもなく、たまにテレビのグルメ番組で投網を打つシーンがあっても、テレビで見せるのは打つ
瞬間ばかりで、打つまでの手順を見せてくれないから参考にならない。近所のご隠居さんが、見よう見まねで、たしかこんな
風に投げていたという投げ方を教えてくれたが、それも完全ではないから、網はまるく広がらなかった。
ある日、ひとりで近所の空き地で投げる練習をしていたら、小学生の女の子がふたりそばに来て、わたしのやっていること
を不思議そうに見ているので、
「おっちゃんなあ、会社やめて漁師んなろおもて、網投げる練習してんねん」
と説明したら、
「ふうん、おっちゃんがんばってや」と言って、去って行った。
結局、空き地での練習も、網がやぶれるだけで、なんの勉強にもならなかった。
そんなある日、土田さんが、家族で琵琶湖の安曇川にキャンプにいき、投網で小アユをたくさん取ってきたという話が耳に
はいった。早速、話を聞きにいき、その場で弟子入りして、安曇川に連れていってもらうことになった。
ひと通り網を打つ手順を教わった後、
「あそこの波だっている所で打ってみなさい」
と言われて、半信半疑で打ってみると、網はちいさいながらも丸くひろがって、そのなかにたくさんの小アユがはいり、逃
げ場をもとめて大騒ぎをしていた。しかしそのまま網をたぐり寄せたのでは、石のすきまからほとんど逃げられてしまうので、
ゴーグルをつけて潜り、網のなかにいる小アユの頭をいっぴきずつ手で押さえて弱らせなければならない。これが又、魚の手
づかみそのもので、わくわくするものがあった。
それがきっかけになって土田さんには、毎年シーズンがくると、友釣りを教わることになるのだが、友釣りに連れていって
もらっている時でも、内心では、投網の解禁日を待ちわびていた。
そして今年も八月になって、待ちに待った投網が解禁された。場所は奈良県の山奥、柳生の里の近くをながれる布目川とい
うちいさな川である。柳生の里といえば、もう十年ほど前、NHKの大河ドラマ「春の坂道」が放送されていた頃は、連日、
日本中からの観光客でごった返した所だが、今はふたたび山里のしずけさをとり戻している。
わたしと師匠は今年の六月末、友釣りの解禁日にこの川にきて、年券を買っていた。ところが今年は八月の末ごろまで梅雨
があけず、雨が降りつづき、川は増水したまま、それどころか笠置から柳生にいたる街道も、峠あたりで崖崩れして不通とな
り、友釣りどころではなかった。やっと雨がやんで、すこし夏らしくなった頃には、すでに投網が解禁されていたというわけ
である。
梅雨があけたといっても、あれだけ降りつづいた後である。川の水量はそう簡単に減らないであろう。透明度もわるく、濁
流になっているはずである。ということは友釣りをしても、居つきのアユに侵入者のすがたが見えないのだから、追うわけが
ない。それよりも投網の方に分があるに違いないということで、網を打ちにでかけてみた。
概して魚は水が澄んでいる時よりも、濁っている時の方が気をゆるしている。自分の姿が鳥などの外敵に見えないという安
心感からであろう。そういう時に投網を打つことをにごり打ちというそうであるが、どちらかと言えばだまし打ちである。又、
アユという魚は夜は寝てしまうのか、ボーッとしていて手づかみでも取れるというけれども、それだから鵜に食べられてしま
うのであるが、そういう時に網を打てば、さしずめ闇打ちということになるだろう。
期待してでかけたのだが、やはりその日は水量がおおく流れが急で、網が打ちにくく、たまに取れてもちいさい型ばかりで
期待はずれであった。天候不順で日照りがすくなかったために、苔の成長がわるく、アユの育ちがわるかったようだ。しかし
それからしばらくは夏らしい日がつづいたので、十日ほど後に再度、挑戦しに行ってみた。
この日は水量もある程度減り、なんとか川のなかを歩いて移動できるようになっていた。なにより前回とのちがいは、第一
投目から大物がとれたことで、師匠は気をよくして、徐々に川上にむかって移動している。わたしは師匠の後からついて行く
ことにした。
師匠はねらいをさだめては網を打ち、確実に獲物をふやしていたが、わたしの方には入らなかった。そのうちに腰までつか
る深みになったので、付いていくのをやめ、安全な所でひとりで投げる練習をしていたら、上の方から師匠のよぶ声が聞こえ
てきた。仕方なく覚悟をきめて上がっていくと、そこは浅瀬になっていて、川底の黒い石が見えていた。黒くてツルッとした
まるい石にはいい苔がつきやすく、したがってアユもそういう場所に好んで集まるということで、よく見るとその苔が、部分
的にヘラでけずったように剥げていた。それがアユの食みあとというものであった。
「わたしに続いて、その上のところを打ってみなさい」
と師匠に言われ、師匠の上にまわって打ってみると、投げる前には魚影など見えなかったのに、網がかぶさったとたんに網
の中で何かおおきな物がキラリと光った。やっとアユらしいアユが入ったようだ。師匠が打ったと同時に、すばやく上へ逃げ
たアユを、わたしが取り押さえたのである。
こうしてこの日師匠は、型揃いばかりを十五匹ほど取った。わたしはわずか四匹だったけれども、じゅうぶん一日を楽しみ、
堪能していた。できれば次の休みもここに来て網を打ちたいと考えていた。ところが師匠の思いはすこし違っていた。このち
いさな川で、目ぼしいポイントばかりを狙って一日打ってこれだけの獲物では、この川に残っているアユはもう知れている、
この川ももう今年はおわりだと言うのである。そして、
「熊野川なら十一月でも友釣りができますよ」とつけたした。
師匠の頭のなかでは、思いはすでに南紀の熊野川に飛んでいるようであった。