ね じ り 飴

 

 文章を秩序だててまとめる方法として、起承転結ということがよく言われる。

 もともと漢詩の作法からきたもので、新明解国語辞典によれば、第一句で言い始めた事柄を第二句で展開し、第三句で転換

した末に第四句でまとめる構成法とある。

 内田百閧フ弟子で、ドイツ文学者でもあり名文章家としても知られている高橋義孝氏の文章作法によれば、Aという結論を

言いたいときは、まずAに関連したBを思いうかべ、つぎにBに関連したCを、さらにCに関連したDという風に連想をすす

め、書くときは逆にDから始め、つづいてC、Bと展開して、最後に結論のAにいたるという順で書くそうである。名手にか

かればこれで奥行きのある文章ができるのだから、起承転結にこだわることもないのかも知れない。

 ところで氏の師匠である内田百閧フ文章はといえば、まわり道の文学と評されたりするように、たえず話が横道にそれる。

しかしそれがすべてが計算ずくで、迷うことなくもどってくる安心感がある。林芙美子氏はこれを詰め将棋のようだと評した

けれども、この文体を音楽用語でいえば、ロンド形式ということになるのだろう。

 文章はそれでいいとして、短いスピーチにまで起承転結をつけるのは、すこしくどいように思う。やはりスピーチは簡単に、

ソナタ形式でいきたい。ソナタ形式というのは、まず主題提示部があり、つづいて展開部となり、最後に主題が再現して終わ

るというもので、簡単に言えば、話の途中で一回だけ横道にそれればいいのである。

 先日、職場の忘年会があった。出席する顔触れからいけばわたしが長老格ということになるので、一応つぎのような短いあ

いさつを用意していた。

「みなさん今年はどうもおつかれさまでした。わたしが思いますに、忘年会というのはひょっとしたら、若いひとたちのため

にあるのではないかと思います。なぜならわたしなど今現在、この一年いろいろなことがあったということだけは覚えていま

すが、実際になにがあったかということは、忘年会をする前から、すでに忘れてしまっています。

 一般に若いころは、心の傷は治りにくいが、肉体的な傷はすぐ治る。逆に年をとると、体の傷は治りにくいが、心の傷はす

ぐ癒えると言われています。

 実際、わたしくらいの年になりますと、体の傷がすぐによくなるような体力を取りもどすのはもう不可能ですが、若いみな

さんが、心の傷がすぐに癒える程度のボケを先取りするのは簡単なことです。目の前に並んでいるアルコールの助けをちょっ

と借りればすむことです。というわけで早速、乾杯といきましょう」

 乾杯の音頭でもスピーチでも、どちらでも通用するようにと考えたつもりであったが、それでも落とし穴はある。仕事の都

合などで、出席者のあつまりがバラバラになり、最後のメンバーが到着して、

「それでは乾杯の音頭を」

 と指名されたときには、先着組はすでにかなり崩れかかっているという状態で、あらたまったあいさつをする雰囲気ではな

くなっていた。しかたなく、

「それでは、乾杯」

 と、ひとことで済ませてしまった。

 これはこれで意外性ということで、一部にうけたけれども、期待していたかどうかは別として、せっかくそのつもりで覚悟

をしていた人に肩透かしをくわせたことは事実である。

 だがこの手には、実は前例があるのである。

 内田百閧ェ還暦をむかえた翌年から、毎年、弟子たちがあつまって誕生日を祝ってくれることになった。会の名前は、「摩

阿陀会」。還暦をすぎたのに、いつまでこの世にうろうろしているのか、「まあだかい」という意味である。

 この会で百關謳カは毎回、ビールの大杯をひといきに飲み干したあと、主賓として例のロンド形式の漫談調スピーチを延々

しゃべるのが常であったが、ある年、先生の虫のいどころが悪かったのか、

「諸君、まだだよ」

 とひとことだけで済ませたことがあった。わたしも恐れながら、この前例をまねたにすぎない。

 要するにスピーチはソナタ形式でいいが、文章はもうひとひねりか、ふたひねり効かせた方がよく、そしてそのひねり方に

は、起承転結という正統的なひねり方と、ロンド形式や逆連想法という天の邪鬼的なひねり方もあるということを言いたいの

だが、無意味にひねるだけだと、この文章のように収拾のつかないただのねじり飴になってしまうので、この辺がむつかしい

ところである。